じじぃの「科学・地球_422_始まりの科学・日本人の始まり」

【核DNAから探る】日本列島人は、どこからやって来たのか?|斎藤成也

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Tfc3J_GwbMc

ゲノム人類学 私たちはどこから来たか


ルーツや病気、自分を知るDNA検査が大はやり プライバシーは大丈夫か

2018.06.30 朝日新聞GLOBE+
■ゲノム人類学 私たちはどこから来たか
日本人はどこから来たのか。私たちは祖先といわれる縄文人弥生人の遺伝子をどれだけ引いているのか。DNAをもちいた遺伝子解析では、個々人の来歴だけでなく、日本人の由来をたどることもできる。
https://globe.asahi.com/article/11646510

『【図解】始まりの科学―原点に迫ると今がわかる!』

矢沢サイエンスオフィス/編著 ワン・パブリッシング 2019年発行

パート11 日本人の始まり――さまざまな民族が列島に集結 より

●いまでは古い日本人苦言説
日本人であるからには誰もが、日本人はいつどこからやってきたのかを知りたいと考えるのが自然である。自分の祖先を何千年、何万年の過去へとさかのぼれば、人類アフリカ起源説(パート9)を考える前に、まず日本民族の起源にたどり着けるのではないか。
このように書き始めておきながら落胆させるようでもあるが、ありていに言って、日本人の起源はまだ漠としている。問題を複雑にしているひとつの理由は、日本列島の地理的条件である。この島々は、ユーラシア大陸(広域アジア大陸)の東の端から太平洋へとジャンプしたところに浮かんでいる。太古の人間が陸伝いに、ないし原始的な舟で海を渡ってここにたどり着いたであろうことは確かだが、それ以外は推測の域を出ない。
現代の日本人の多くも、日本列島がアジア大陸から海で切り離されている以上、そこに住む人びとが単純に”アジア人の一部”とは考えない。おそらく多くの人は、日本人は多かれ少なかれ周辺地域――アジア大陸北方、朝鮮半島、中国大陸、東南アジアなど――との海を隔てた歴史的交流の産物という見方を共有しているのではなかろうか。21世紀のいま、遠い祖先が天から高天原(たかまがはら)に降ってきたと信じている人はあまりいそうもない。
最新の仮説を見まわす前に、少し古い日本人起源説に触れておかねばならない。古い説と新しい説はつねに対比すべきものだからだ。最新の仮説とは言うまでもなく、情報的な批判や否定を許さない科学的手法、すなわち遺伝子解析から導かれるものだ。

●日本人は3つの起源をもつ?
いまから1万5000年ほど前まで、地球は氷河時代の中の氷期であった(氷河時代には、非常に寒冷な氷期と温暖な間氷期が交互に訪れる。現在の地球は間氷期)。
それ以前、日本は列島ではなく、いくつかの陸橋でアジア大陸とつながっていた、または狭い海峡をはさんで指呼の間にあった。いまの北海道はサハリンからシベリアへとつながり、九州や山陰地方はいまの朝鮮半島の陸続きだった。そして九州南部は琉球(沖縄)から台湾まで陸続き、ないし海峡をはさんで飛び石づたいの距離にあった。つまり日本はアジア大陸の極東地域をなしていた。
さらに南を見ると、フィリピンはインドネシアからヴェトナム、中国へと続き、その東側はオーストラリア大陸に接近していた。これらは地質学的な見解である。
20世紀後半、そこにひとつの新説が登場した。それは、このような地勢が広がっていた3万5000年ほど前、いまのインドネシアなどの南方地域から琉球に到達した種族が現れ、彼らが琉球人・日本人の祖先(日本祖人=原日本人)になったというものだ。実際に1970年には沖縄で全身骨格化石(港川人)が発見されたが、後にこれは琉球人の祖先ではなく南方のアポリジニに近いとされた。アポリジニはいまのオーストラリア先住民につながる古い種族である。
時代が下って1万5000年前になると、今度はシベリアから北海道に南下してきた種族がアイヌの祖先となり、一部は本州に広がった先住の原日本人に追い返された、または一部は交雑したとの説が登場した。つまり日本民族は、アイヌと原日本人と琉球人の3つの起源をもつことになる。
これらの仮説はどれも個々の研究者の私見であり、それなりの説得力はあるが物理的証拠が不足する。とりわけ原日本人とは誰かについては混乱している。いろいろな仮説はあるが、深入りしても答えはない。

●メスの遺伝子とオスの遺伝子の系譜
ここで用いられる遺伝子の解析は、2つの手法で有史以前の祖先日本人に迫ろうとするものだ。
第1は「ミトコンドリアDNA」の追跡である。細胞内の核には遺伝子DNAの主役がおさまっているが、核の外にあるミトコンドリア――何万個――の内部にもDNAがある。しかし新しい個体(生命)が発生する最初の段階、すなわち受精卵の内部では精子ミトコンドリアは消滅してしまい、卵子ミトコンドリアしか残らない。そのためミトコンドリアでは、母親のDNAのみが子に伝わる「母系遺伝(母性遺伝)」tpなっている。
第2は性を決定する染色体(性染色体:Y染色体)を追跡するものだ。これはいま見たミトコンドリアDNAとは対照的に、もっぱらオス(父親)の遺伝形質を子に伝えるルートである。メスはY染色体をもっていないので、祖先探しにはいっそう好都合である。
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この手法を用いれば、はるか太古の祖先の特徴も見当がつき、たとえば次のような日本人起源図が描かれる。
まず、大陸から日本列島に”移民”ないし”漂流民”がたどり着いたのは弥生時代だけの出来事ではない。より古い縄文時代にすでに、おもにアジア大陸から渡来人(北方中国系?)がやってきていた。この渡来人たちは、遺伝子の中に同じ特徴のY染色体をもっている。彼らは日本列島に渡来した後、何千年かを経て縄文時代後期には関東地方以北まで広がり、先住者の原縄文人(原日本人)と混雑した。その後、弥生時代になって、朝鮮半島から新たな渡来人が侵入してきた――
これは、分子人類学者篠田謙一(国立科学博物館)らが、縄文人や周辺国の古代人の人骨化石の遺伝子DNAを比較解析して、2000年代はじめに描き出したおおざっぱな人類学マップである。これで物事が確定したわけではないが、少なくとも1万年ほど前の縄文時代に中国大陸から日本に渡来した種族が、初期の稲作などの農耕技術を持ち込んだらしいと思われる。

●日本人を地質学的な過去で見る
日本列島が大陸とつながっていた時代、そこにはアジア大陸で生息していたあらゆる動植物も生きていたはずだ。日本列島で6500万年前に地球から消え去った恐竜化石が頻繁にみつかるのは、こうした歴史ゆえである。日本人の真の起源を求めるなら、こうした地質年代史に立たなければ説得力をもち得ない。
さらに時代を下ると、いまから20万年ほど前にアフリカで霊長類の一種――さきほどの”イブ”――から進化した新人類(ホモ・サピエンス)の一部は、5万~6万年前、過酷な生存環境を抜け出して生き延びるためアフリカ大陸から外の世界へと移動しはじめた。
彼らは行く先々でさまざまな旧人類と出合った。中央アジア西アジア、ヨーロッパなどで何十万年も前から生きてきたネアンデルタール人インドネシア方面のジャワ原人やアジア大陸東部の北京原人などだ(後の2種族は当時すでに絶滅していたとの説が主流。21世紀はじめにインドネシアフローレス島で身長1mほどの種族の化石がみつかったが、これはジャワ原人の小型化亜種が別種の原人ホモ・フローレシエンシスとみられている)。
また新参のホモ・サピエンスは途中で出合った古い種族と混交したとする説もある。
ともあれアフリカからの新人類の移住者の子孫は、ユーラシア大陸では北方(中国、シベリア方面)と南方(インド亜大陸)に別れ、南方に向かった者たちはそこからさらに東南アジアにたどり着いた。その間に彼らの外観は異質な自然環境に適応した姿へと変化した。そして太平洋に達した人々の中から、陸続きないしは狭い海を渡って日本にやって来る者がいた。北方からは北海道へ、南方からはフィリピンや台湾、琉球(沖縄)を通過して本州へ、朝鮮半島からは九州北部や中部地方へ、それも時代を隔てて何度もである。
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こうして見ると、原初の日本人は”大和民族”と呼ぶような固定された民族集団からは程遠い。むしろ、多様化したいくつもの種族が地学的必然によって日本列島に再集結し、そこで”新日本人”を形成したように見える。その意味では現代の日本人は、世界のどの種族・民族よりも複雑な過去史を秘めた遺伝子集団と言わねばならない。それをもし大和民族として再定義するなら、さしたる異論は出ないのではないか。