じじぃの「歴史・思想_661_人類の足跡10万年全史・現生人類はいつ生まれたのか」

Aboriginals of Australia and the Out of Africa theory

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vmcyztxQjNQ

現生人類はデニソワ(ネアンデルタール)人と混血していた


フィリピン人のDNAを調査


フィリピンの民族、デニソワ人のDNAを最も高い割合で保有 進化の謎解明に光

2021.08.17 CNN
フィリピンとスウェーデンの共同チームは今回、フィリピンの人類史を幅広く調査し、118の集団の遺伝子構成を調べた。
その結果、アイタ・マグブコンがデニソワ人の遺伝子を約5%保有していることが判明。
論文の著者であるスウェーデン・アプサラ大の遺伝子学者、マティアス・ヤコブソン氏によると、これは以前の研究で約4%との結果が出ていたオーストラリアのアボリジニやパプア人を上回る値だという。
https://www.cnn.co.jp/fringe/35175309-2.html

人類の足跡10万年全史

ティーヴン・オッペンハイマー(著)
【目次】
プロローグ
第1章 出アフリカ

第2章 現生人類はいつ生まれたのか

第3章 2種類のヨーロッパ人
第4章 アジア、オーストラリアへの最初の一歩
第5章 アジア人の起源を求めて
第6章 大氷結
第7章 だれがアメリカへ渡ったか

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『人類の足跡10万年全史』

ティーヴン・オッペンハイマー/著、仲村明子/訳 草思社 2007年発行

プロローグ より

遺伝子系統を名づける

本書では、父系あるいは母系一族、遺伝子系統、血統、遺伝子集団/系統、さらにはハプログループといった表現を言い換えながら使っている。これらの言葉はだいたい同じことを意味しており、共通の(たいていはそのミトコンドリアDNAかY染色体による)祖先をもつ遺伝子の型からなるグループということである。集団の大きさはあるていど恣意的で、その系統の根元を遺伝子系統樹のどのあたりまでさかのぼるかにかかっている。
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ミトコンドリアDNAの場合はもう少し容易である。早い段階で多くの研究室が1つの用語体系に統一することに合意したからだ。たとえば、ただ1つの出アフリカ系統L3には、2つの非アフリカ娘系統のNとMがあることが認められている。わたしはそれらについては、Nは南アラビア起源であることを示すナスリーンと、Mはインド亜大陸に起源にふさわしいマンジュと呼ぶことにしている。

第2章 現生人類はいつ生まれたのか より

ヨーロッパ人は最初の現生人類なのか

「神経学的に完全な現生人類」は4万~5万年以降になってから現われたというクラインの議論には、避けがたい論理上の仮定がいくつか含まれている。まずアフリカの早期現生人類は生物学的に現生人類より劣っていたという明らかな含意がある。言い換えれば彼らは、現生人類のような行動を発達させる神経的な能力をもっていなかったということだ。この奇妙な結論は必然的に、アフリカに残された現生人類や、アジアやオーストラリアへ移動した最初の現生人類にも適用される。なぜなら、これらの移住が行なわれたのが5万年前(東地中海で上部旧石器が確認できるもっとも早い時代)よりかなり前だったことが、今では一般的に受け入れられているためだ。
この仮説に従えば、5万~13万年前に生きていた今日のアフリカ人の直系の祖先たちは、上部旧石器時代の講堂と技術を開発し、使用することが生物学的に不可能だったということになる。
彼らには描き、彫り、交易し、組織することなどができなかったということだ。彼らは話せなかった――あるいは話せたとしても、その言語は「原始的」なものだったとの主張も多い。そのような不利な条件にあれば、機会があたえられても、彼らには車を運転したり、飛行機を操縦したり、ソウル、ゴスペル、レゲエ、クラシック、ジャズの作曲や演奏をしたりすることはできないし、医師、財務家、遺伝学者になることもできないだろう。
しかしミトコンドリアDNAとY染色体系統樹は、今日のアフリカ人はおもに5万年前以前に存在した系統の子孫であり、アフリカの外からの系統ではないことを示している。それなのにどうして今日のアフリカの子孫たちは、彼らの祖先には遺伝的に不可能とされていることをしているのだろうか。

論理上の問題はさらにある。もしヨーロッパ人が生物学的に最初の現生人類で、孤立して比較的遅くやってきた者たちだったなら、世界のほかの場所のことはどうあるのだろうか。ほかの場所はどうやって彼らに追いついたのか。すべての生きている現代人は完全い「解剖学的な現生人類」であり、わたしたちは遺伝的な手がかりを、およそ19万年前のアフリカで分岐しはじめた祖先の小さなグループまでたどっていくことができる。それ以後のどの時点においても、現生人類の総人口が1000人以下になったことはないので、1つのグループが拡大と分岐によって多くの集団へとつながっていったと想像しなければならない。

最初の核となった現生人類はこのようにして拡大や分裂をおこない、また早期に分かれ、いくつかの系統は近代になるまでふたたび会うことはなかった。この「戻ることのない」分離は、成功したただ1つの出アフリカ・グループが紅海を渡ってインドとオーストラリアに向かったときにもっとも決定的だったと言えるだろう。もし多くの進化主義者が考えているように、ヨーロッパで後代になってから遺伝的な変化があり、それがわたしたちを行動上現代的にしたのなら、その突然変異(あるいは複数の突然変異)は4万5000年前以後の時代に、明らかにアフリカの外で、個々のヨーロッパ人たちに起こったことになる。

新しい突然変異は子孫のすべての集団に伝えられ、彼らは突然変異した遺伝子を受け継ぐが、「いとこ」やその子孫には伝わらない。例外は、突然変異した遺伝子がその後に交雑の結果として受け継がれた場合である。そのような交雑の機会は、各集団が分かれて世界へ拡大していけば、急激に減少する。そのため、たとえば「描くことの突然変異」あるいは「話すことの突然変異」というようなものがほんとうにあるとすれば、その突然変異をとげた個人からの子孫だけが、その技術を受け継ぐことになる。それゆえもし4万~5万年前にヨーロッパ人のあいだで初めて「行動的に完全な現生人類」の突然変異集団が地域的に進化したなら、ほかの殖民された世界」――アジア人、アフリカ人、オーストラリア人――は描き、刻み、話し、石刃をつくり、あるいは馬に賭けるようなことはできないことになり、彼らの現代の子孫にもそれができないことになる。彼らはそのようなことをすべておこなってるのだから、これはまったくばかげた話である。

この理論によれば、アジア、アフリカ、オーストラリアの古代の現生人類が、遺伝的変異の結果浮かれたヨーロッパの上部旧石器文化に追い付くただ1つの方法は、彼らがそれらの新しい「文化遺伝子」の注入を受けることだけである。そして遺伝子の注入、あるいは遺伝子流動を可能にする生物学的な方法は、移住と異人種間の結婚だけだ。しかし、外国のいとこが何人かいるだけでは不十分だ。すべての子孫の能力を変えるには、古い「文化遺伝子」なるものが、完全に「新しい」ものと入れ替わらなければならない。奇妙なことだが、そのような大規模な遺伝子流動は、信用をおとしている多地域進化説の議論とまったく同じもので、彼らの論ずるところによれば、現生人類の集団は世界の異なる地域で地元のホモ・エレクトロニクスの変種から進化してきたが、結果的に各地の現生人類は地元のエレクトスの型よりお互いに似ることになったというのだ。遺伝子流動で均一化したという説のおもな問題点は、ミトコンドリアDNAとY染色体系統樹の地理に、そのような大規模な地域間の混合があった証拠が示されていないことだ。

文化的な例を見てみよう。ヨーロッパに初めてロック・アートが出現したのと同じ3万2000年前ごろにオーストラリア人がロック・アートを描くためには(彼らはそのころじっさいに描いていた)、彼らがその水準に達することを生物学的に「可能にする」ための、ヨーロッパから世界の反対側への瞬時にして大規模な遺伝子流動がなければならない。これがこっけいな話であることは、容易にわかるだろう。遺伝的な記録から、現代オーストラリア人人はヨーロッパと共通する、およそ7万年以上前に現れた出アフリカ系MとNの2つの祖先をもつが、彼ら自身のMとN型も保持していることがわかる。彼らがヨーロッパ人の子孫だという証拠はない。またそれ以降の旧石器時代のあいだに、ヨーロッパからオーストラリアへの重要な遺伝子流動もなかった。

出アフリカ後に遺伝子混合はなかった

男系、女系の標識であるY染色体ミトコンドリアDNAによる遺伝子の証拠は、実際に、大規模な遺伝子流動とは反対のことを示している。Y染色体ミトコンドリアとDNAの示すもっとも重要なメッセージの1つは、現生人類が初めてアフリカを出て拡散したあと、それぞれ旧世界とオーストラリア地域は殖民され、さらなる地域間の遺伝子流動は、2万年前の最終最大氷期が訪れるまでほとんどなかったということだ。どちらの遺伝子標識システムとも地域的、大陸間の分離をはっきりと示している。

文化が長距離を伝播したのは、旧石器時代の文化の拡散(多くの人類の移動を必要としない文化の浸透ないし拡大)によるというほうが、ありそうな話だ。しかし3万2000年前にさかのぼるオーストラリアのロック・アートが、同じ時代にヨーロッパから由来するということはほんとうに可能なのだろうか。その文化は信じられない短期間のうちに地球を半周しなければならないだろう。

このパラドックスや、同様の疑問に答えるもっとも簡単な答えは、すべての非アフリカ人の祖先たちは、アフリカを出るとき、すでに描き、話し、歌い、踊る完全な現生人類だった、ということだ。

このように、完全な現生人類につながるような遺伝的進化が4万年にレバント(東部地中海沿岸)、ヨーロッパ、その他アフリカの外で起きたという主張に反する生物学てき、理論的な証拠はたくさんあるのだ。そのようなわけで今度は、最初の解剖学的な現生アフリカ人は知的能力においてすでに完全な現世人類であったという単純なモデルを、直接的な考古学的証拠と考古学証拠と人類学議論から検証していくことにしよう。