じじぃの「カオス・地球_194_ウイルスとは何か・第6章・ネアンデルタール人の遺伝子」

ネアンデルタール人由来 遺伝子が“重症化予防”(2021年2月21日)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=G-ZooyZnUiU

図6-16 現生人類(左)とネアンデルタール人の頭骨

図6-17 古代DNAの系統樹


ウイルスという存在

COVID-19とネアンデルタール人の遺伝子

科学バー 文と写真 長谷川政美
ネアンデルタール人由来の遺伝子との関係
ドイツ・マックスプランク人類進化学研究所のヒューゴ・ツェベルクと、同研究所と沖縄科学技術大学を併任するスヴァンテ・ベーボ(図3-1)は、COVID-19の重症化リスクを高めるとされる変異の由来を調べたところ、思いがけないことを発見した。
https://kagakubar.com/virus/03.html

『ウイルスとは何か―生物か無生物か、進化から捉える本当の姿』

長谷川政美/著 中公新書 2023年発行

「ウイルス」という言葉を知らない人はいないだろう。ただし、その定義は曖昧である。目に見えない極小の存在で、ほかの生物の細胞内でしか増殖できないために、通常は生命体とはみなされない。だが、独自のゲノムを有し、突然変異を繰り返す中で、より環境に適した複製子を生成するメカニズムは、生物の進化と瓜二つだ。恐ろしい病原体か、あらゆる生命の源か――。進化生物学の最前線から、その正体に迫る。

第6章 進化の目で見るコロナウイルス より

1 新型コロナウイルス感染症ゲノム解析

ゲノムデータで追った感染経路
2019年12月に武漢で採取されたSARS-CoV-2の最初のゲノム配列は、2020年1月上旬には公開された。
その後、感染が世界中に拡まるにつれてデータ量も爆発的に増えていき、2022年4月には、およそ1000万件を突破した。これらのゲノムデータを用いて、このウイルスの感染経路を含めてさまざまなことが明らかになってきた。

図6-2は、2019年12月24日から2020年4月12日にかけて患者から採取されたウイルスのゲノムデータをもとに描かれた系統図である。
つまり、この系統樹はおよそ4ヵ月間におけるこのウイルスの進化の様子を示している。それぞれのウイルスは枝の先端の点で示されている。真ん中の点が、中国武漢で最初に採取されたものである。この共通祖先から進化したウイルスが世界中に拡がった様子が分かる。初期に採取されたウイルスは、祖先ウイルスにくらべて変異が蓄積していないので枝が中心からあまり伸びていないが、後の時期に採取されたものは時間経過の分だけ変異が蓄積しているため、枝が長く伸びている。この系統樹で、世界中に拡まったSARS-CoV-2は、すべて2019年末の武漢で採取されたウイルスに非常に近い。ひとつの祖先ウイルスに由来していることが分かった。

コラム2 COVID-19とネアンデルタール人の遺伝子

ネアンデルタール人由来の遺伝子との関係

2022年度のノーベル医学生理学賞を受賞したスヴァンテ・ベーボのチームは、COVID-19の重症化リスクを高めるとされる変異の由来を調べたところ、思いがけないことを発見した。

ベーボはおよそ4万年前に絶滅したネアンデルタール人のゲノムを解析したプロジェクトのリーダーとして有名である。ペーボらは、COVID-19の重症化リスクを高めるという第3染色体の変異が、5万年前に南ヨーロッパにいたネアンデルタール人のゲノムに存在することを発見した。

チャールズ・ダーウィンが『種の起原』を出版する3年前の1856年に、ドイツ・デュッセルドルフの10キロメートルほど東にあるネアンデル渓谷の採石場ネアンデルタール人の化石が発見された(図6-16 画像参照)。

旧人」と呼ばれるネアンデルタール人は、「新人」とも呼ばれるわれわれ現生人類Homo sapiensよりもがっしりとした体つきで、脳も大きく、われわれとは別種のHomo neanderthalensisと命名された。現生人類はアフリカで進化し、10万年ほど前にユーラシアに進出したが、そのころにはまだネアンデルタール人がヨーロッパや中東にいたのである。しかし、その後およそ4万年前に絶滅した。彼らがなぜ絶滅したかはよく分からない。

ペーボたちの研究は、およそ4万年前に南ヨーロッパにいたネアンデルタール人が絶滅してしまう直前に、現生人類との間で交雑が起こり、ネアンデルタール人の遺伝子の一部が現生人類に移入されたことを示唆する。

図6-17(画像参照)で、伝子移入③と記された矢印がそのことを表している(図の中おほかの矢印については後に解説)。

この遺伝子変異がなぜCOVID-19の重症化をもたらすのか詳しい理由は不明であるが、ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝的遺産がパンデミックにおいて悲劇的な結果をもたらしている可能性があるのだ。

古代DNA研究と人類進化
絶滅した生物のDNAを研究する分野を古代DNA研究という。ベーボは、この分野の開拓者としてノーベル賞を受賞することとなった。彼のグループは最初、ネアンデルタール人ミトコンドリアDNAを解析した。その結果、図6-17のような系統樹が得られた。

つまり、現在地球上に生きているおよそ80億人の現生人類は、系統樹上でひとつのグループにまとまり、絶滅したネアンデルタール人は現生人類がさまざまな人種に分かれるはるか以前の50万年以上前にわれわれから分かれて独自の進化を遂げた人類であることが明らかになったのである。
現生人類の系統樹における初期の枝分かれはすべてアフリカ人の間で見られ、アフリカ以外の枝分かれはすべて後の時代になってからのものである。このことは、現生人類はアフリカで誕生し、その後およそ10万年前以降になってユーラシア大陸に進出し、世界に拡がったことを示している。
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現生人類がユーラシアに進出したころ、そこにはネアンデルタール人とは別の人類もいたことが明らかになった。デニソワ人である。2008年にロシアの考古学者がシベリア南部アルタイ山脈のデニソワ洞窟で古い子供の指骨を見つけた。

ペーボらのグループがその試料から最初ミトコンドリアDNAを取り出して解析したところ、ネアンデルタール人が現生人類と分かれる以前のおよそ80万年前に、これらから分岐した系統であることが示唆された。しかし、いくつかのデニソワ人個体の核ゲノムも調べたところ、デニソワ人はネアンデルタール人に比較的近い系統で、両者が分かれたのはおよそ50万年前と推定された。しかし、デニソワ人、ネアンデルタール人、現生人類の間ではしばしば交雑による遺伝子移入が起こったのだ。

ニューギニア人やオーストラリア原住民にはデニソワ人ゲノムの痕跡が見られる。ニューギニア人ゲノムの3~6%がデニソワ人由来だという。東アジア人や東南アジア人にも少し見られるが、ヨーロッパ人やアフリカ人にはほとんど見られない。この遺伝子移入は、図6-17の②で示したものである。この図をその通りに解釈すると東アジア人にはデニソワ人の遺伝子は見られないはずだが、系統間の交雑があるので少し混じってくるのである。

また、チベット高原の北東端に位置する中国甘粛省の標高3280メートルのバイシャ・カルスト洞窟で見つかったおよそ16万年前のヒトの下顎骨がデニソワ人のものであるという報告がある。この研究では古代DNA解析はうまくいかなかったが、骨に含まれるたんぱく質の解析によりデニソワ人であることが明らかになったのである。デニソワ人の遺伝子の一部は標高の高い環境に適応しているチベット人のゲノム中にも見出されており、彼らの高地適応にデニソワ人由来の遺伝子が関係している可能性がある。

今回の話題の中心である、COVID-19の重症化リスクを高めるとされる第3染色体の遺伝子は、以上とは別の交雑でネアンデルタール人から現生人類にもたらされた(図6-17の③)。この交雑は最後のネアンデルタール人が残っていた南ヨーロッパで起ったと考えられる。ただし、ネアンデルタール人からの最初の遺伝子移入①は現生人類がユーラシアにやってきた直後であったので非アフリカ人の大部分でその痕跡が見られるが、③のほうは後の時代であったために、ヨーロッパや南アジアなど限定された地域の人々にしか見られないのである。

ネアンデルタール人由来のCOVID-19の重症化リスクを高めるとされる遺伝子がそのような働きをする機構は不明である。ペーボらはほかの感染症に対処する上で有効であったためにネアンデルタール人で進化したのかもしれないという。そのような遺伝子が、新しく出現したCOVID-19に対しては、逆効果になった可能性がある。

先住民からの遺伝子移入は、長い間アフリカで進化し、ユーラシアの感染症にはあまり適応していなかった現生人類にとって、適応的な働きをした可能性がある。しかし、COVID-19は存在していなかったので、そのころのネアンデルタール人はまだそれに対する備えがなかったのだ。