じじぃの「科学・地球_397_人類の起源・デニソワ人」

Who Were The Denisovan Humans?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EWaREXA8_fE

Denisovans hominin?


Israeli DNA Study Unveils Reconstructed Face Of Mysterious, Long-Lost Human Relative

September 22, 2019
According to a university statement, the researchers began by comparing DNA methylation patterns among the three human groups (modern humans, Neanderthals, Denisovans) to find regions in the genome that were differentially methylated.
Next, they looked for evidence about what those differences might mean for anatomical features-based on what’s known about human disorders in which those same genes lose their function.
https://nocamels.com/2019/09/israeli-dna-study-face-mysterious-human-relative-denisovan/

『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』

篠田謙一/著 中公新書 2022年発行

第2章 私たちの「隠れた祖先」――ネアンデルタール人とデニソワ人 より

最古のヒトゲノム

これまでの祖先を探す努力は、おもに化石の発見とその解釈でした。しかし21世紀になり、生物の持つDNA配列を自由に読み取れるようになったことで状況は大きく変わります。「はじめに」でも触れましたが、次世代シークエンサが実用化したことによって、2010年以降は古代の人骨に残るDNAの分析までもが可能になり、DNAデータをもとに人類の系統研究から新たな事実が次々に明らかになっています。
今のところ、もっとも古い人類化石のDNA情報は、前章で紹介したスペインの43万年前のシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟出土の人骨です。1976年以降の発掘で28体分の人骨が発見されているのですが、特に近年ではDNA分析を意識した調査が注意深く行われています。
古代資料にはごくわずかなDNAしか残されておらず、しかもそれは非常に短い断片となっています。PCR法を使って、それらの資料を増幅して分析を行うのですが、その際に問題になるのが外在性DNAの混入、いわゆるコンタミネーションです。これは古代資料のDNA分析が始まった1980年代から、研究者を悩まし続けている問題です。そもそも古代資料にDNAが分析可能な形で残っていることを最初に報告したエジプトのミイラの研究結果も、今では現代人のコンタミネーションの結果を見ていたことがわかっているくらいで、結果に大きな影響をおよぼすやっかいな問題なのです。
現代人のDNAの混入は、発掘調査の現場から実験室の分析に至るまで、あらゆる過程で起こる危険性があります。実験室での手順については、数々の経験を積んできたこともあり、世界の主要なラボでコンタミネーションの危険性をほぼ払拭できるようになっているのですが、発掘時、あるいは人骨資料の保管時にこの問題が浮上してきます。そもそも発掘を行うのは考古学者や形質人類学者ですから、コンタミネーションにまで注意を払われるケースのほうが稀だったといえます。
しかし近年では、のちのDNA分析を前提とした発掘が行われるようになっており、発掘の時点からコンタミネーションを起こさないように慎重な措置が取られるようになっています。シマ・デ・ロス・ウエソスの人骨群は洞窟の縦穴の地下13メートル地点から出土しました。安定した環境に置かれていたことも、DNAの長期にわたる保存を助けたのでしょう。発掘された人骨に残るDNAは、保管状態が悪いと徐々に分解してしまいますが、出土した歯と肩甲骨は、のちにDNA分析を行うことを考慮して、2006年の発掘当初から冷蔵状態で保管されました。そのサンプルを使うことで、43万年前という、これまでの常識からは考えられないような古い人骨の核ゲノムの解析が可能になったのです。
シマ・デ・ロス・ウエソスの人骨は、形態からはネアンデルタール人の特徴を多くもつと指摘されています。ただ、発見当初には60万年前のものとされていたこともあり、ハイデルベルゲンシスの仲間であると考えられていました。年代が43万年前に訂正されたことで、30万年ほど前にヨーロッパに出現するネアンデルタール人の直接の祖先と考えられるようになったのですが、分析の結果はそれほど単純なものではありませんでした。なんと、デニソワ人という、DNAから初めてその存在が明らかとなった第三者との関係が浮上したのです。

ネアンデルタール人の拡散

ゲノムの解析によって、ネアンデルタール人の共通祖先からまずデニソワ洞窟のネアンデルタール人(5号)が分離し、次にチャギルスカヤ洞窟の系統が東に移動したことが明らかになりました。そしてヨーロッパに残った系統の中からヴィンデジャや他の西ヨーロッパのネアンデルタール人が誕生したと考えられています。
東に移動したチャギルスカヤ洞窟とデニソワ洞窟のネアンデルタール人は、比較的少数のグループ、具体的には60人以下の集団で婚姻していたこともわかりました。少人数での婚姻、いわゆる近親交配を繰り返すと、両親から受け継いだ遺伝子同士が同じものにそろっていきます。それを調べることで婚姻の状況を類推することができるのです。
デニソワ5号の両親は、片方の親が違う兄弟姉妹だったと推定されています。このような状況は、西ヨーロッパのネアンデルタール人には見られないので、東に移動したグループは次第に数を減らしていき、袋小路に入り込んで消滅したのではないかと考えられています。
2021年の段階で、10を超える遺跡から出土した30個体以上のネアンデルタール人のゲノムが解析されています。次世代シークエンサを使って古代ゲノムが分析できるようになったわけですが、より詳しい分析を進めるには、さらに多くのゲノムデータを集める必要があります。しかしネアンデルタール人骨は滅多に出土するものではなく、それが研究を遂行する際のネックになっています。

デニソワ人の正体

デニソワ洞窟からは、2018年にさらに驚くべき発見が報告されています。この洞窟で発見された9万年前のものとされる1センチメートルほどの長幹骨の破片(デニソワ11号)から検出されたDNAが分析され、この人物がネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親から生まれた混血であることが判明したのです。骨の厚さからは13歳前後と推定されており、ゲノム解析の結果、女性であることもわかりました。デニソワ洞窟からはネアンデルタール人とデニソワ人のゲノムが見つかっていますから、両者が交雑したとしても不思議ではないのですが、その直接的な証拠が見つかるのは奇跡的なできごとというべきでしょう。
私たちは両親から受け継いだゲノムを持っています。したがって私たち自身のゲノムを分析することによって、両親のゲノムについても知ることができます。興味深いことに、デニソワ11号のネアンデルタール人の母親由来のゲノムは、同じ洞窟から発見されたネアンデルタール人(デニソワ5号)よりも、後期の西ヨーロッパのネアンデルタール人に似ていました。
おそらく母親は、チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人の系統だったと考えられます。ここでも、ネアンデルタール人の中での集団の交代が西シベリアで起きていたことが確認されました。彼女の父(デニソワ人)のゲノムからは、何百世代も前の祖先の中にネアンデルタール人がいたことも判明しています。古代ゲノムが解析できるようになったことで、化石証拠からはまったく追求できなかった古代人の集団の歴史が明らかになりつつあります。
デニソワ人の痕跡は、指の骨や臼歯、長幹骨の破片など、ごく限られた小さな骨や歯しか残っていません。臼歯はネアンデルタール人ホモ・サピエンスとくらべると大きくてべつの種であることを予想させるのですが、姿形や分布の範囲についてもほとんどわかっていません。まさになぞの人類なのですが、その実態に迫る発見や研究も進んでいます。2019年には、1980年にチベット高原に位置する中国甘粛省夏河の白石崖溶洞で見つかっていた16万年前の下顎がデニソワ人のものであると同定されました。これはDNAを調べたのではなく、コラーゲンタンパク質のアミノ酸配列から結論されたのです。この下顎はデニソワ洞窟以外で発見された初めてのデニソワ人の報告になります。なお、2020年には、この洞窟の6万年前と10万年前の堆積物からデニソワ人のミトコンドリアDNAが検出されていますので、デニソワ人はかなり長期にわたってこの地域に暮らしていたと考えられます。
この下顎骨をデニソワ人のものだと浮き止めた方法について、少し説明しておきましよう。
アミノ酸の配列は、DNA情報によって規定されていますから、DNAの配列同士を比較したほうが細かい情報を得ることができるのですが、化学的には安定な物質であるタンパク質は、よりダメージの大きなサンプルからも情報を引き出すことができます。DNAと同様に、タンパク質の分析技術が発展したことで、このような分析が可能になったのです。