じじぃの「科学・地球_396_人類の起源・ネアンデルタール人」

Who were the Neanderthals? | DW Documentary

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8p8tFcIQ8K4

Reconstruction of a Neanderthal woman


Neanderthal genetics

From Wikipedia
Genetic studies on Neanderthal ancient DNA became possible in the late 1990s. The Neanderthal genome project, established in 2006, presented the first fully sequenced Neanderthal genome in 2013.
Since 2005, evidence for substantial admixture of Neanderthal DNA in modern populations is accumulating.
The divergence time between the Neanderthal and modern human lineages is estimated at between 750,000 and 400,000 years ago. The recent time is suggested by Endicott et al. (2010) and Rieux et al. (2014) A significantly deeper time of parallelism, combined with repeated early admixture events, was calculated by Rogers et al. (2017).

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私たちのDNAにネアンデルタール人の痕跡~日経サイエンス2010年8月号より

●複数の変異領域が一致
 ネアンデルタール人が現生人類にDNAを引き継いだという発見は,研究チームにとって驚きだった。ペーボは5月5日の報道発表で,「最初は統計上の何かの間違いだと思った」と述べた。今回の発見は彼の以前の仕事とはまるで対照的だ。ペーボらは1997年,ネアンデルタール人ミトコンドリアDNAの配列を初めて解読した。ミトコンドリアはエネルギーを作り出している細胞小器官で,それ自身が独自の小さなDNAを持っている(細胞核にある長いDNA配列とは別物)。解析の結果,ミトコンドリアDNAに関して現生人類がネアンデルタール人から引き継いだものは何もないことがわかった。
 ただ,ミトコンドリアDNAは個体の遺伝子構成のごく一部にすぎないので,細胞核DNAに関しては話が違う可能性が残った。それでも,その後の遺伝子解析の結果も総じて現生人類の「アフリカ単一起源説」を支持するものとなった。ホモ・サピエンスがアフリカで誕生し,それが他の地域に広がって,既存の古人類と交配することなしに取って代わったという考え方だ。
 ところが,実は交配していた。ペーボらは現代人の細胞核ゲノムの変異パターンを調べ,アフリカ人以外だけに見られる変異を含む12のゲノム領域を特定した。これらはネアンデルタール人から引き継いだ可能性が考えられる領域だ(ネアンデルタール人はユーラシアに住み,アフリカにはいなかったため)。これらのゲノム領域と,新たに配列を解読したネアンデルタール人ゲノムの同じ領域を比較したところ,10領域が一致した。つまり,非アフリカ人が持つこれら12の変異のうち10までがネアンデルタール人由来ということだ。ただし,これらの部分は機能的に重要なことは何もコードしていないようだ。
 面白いことに,ヨーロッパ人に特に近いことを示す証拠は見つからなかった。ネアンデルタール人が約2万8000年前に姿を消すまで,他のどこよりもヨーロッパに長く住んでいたことを考えると,関連性が強くても不思議ではないのだが。しかし実際には,ネアンデルタール人のDNA配列は現在のフランス人とパプア・ニューギニア人,中国人のそれぞれに等しく近かった。研究チームはその説明として,交配は8万年前~5万年前の間に中東で起こり,その後に現生人類が他の旧世界地域に広がってさまざまな集団に分かれたのだろうとみている。
https://www.nikkei-science.com/?p=16203

『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』

篠田謙一/著 中公新書 2022年発行

第2章 私たちの「隠れた祖先」――ネアンデルタール人とデニソワ人 より

最古のヒトゲノム

これまでの祖先を探す努力は、おもに化石の発見とその解釈でした。しかし21世紀になり、生物の持つDNA配列を自由に読み取れるようになったことで状況は大きく変わります。「はじめに」でも触れましたが、次世代シークエンサが実用化したことによって、2010年以降は古代の人骨に残るDNAの分析までもが可能になり、DNAデータをもとに人類の系統研究から新たな事実が次々に明らかになっています。
今のところ、もっとも古い人類化石のDNA情報は、前章で紹介したスペインの43万年前のシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟出土の人骨です。1976年以降の発掘で28体分の人骨が発見されているのですが、特に近年ではDNA分析を意識した調査が注意深く行われています。
古代資料にはごくわずかなDNAしか残されておらず、しかもそれは非常に短い断片となっています。PCR法を使って、それらの資料を増幅して分析を行うのですが、その際に問題になるのが外在性DNAの混入、いわゆるコンタミネーションです。これは古代資料のDNA分析が始まった1980年代から、研究者を悩まし続けている問題です。そもそも古代資料にDNAが分析可能な形で残っていることを最初に報告したエジプトのミイラの研究結果も、今では現代人のコンタミネーションの結果を見ていたことがわかっているくらいで、結果に大きな影響をおよぼすやっかいな問題なのです。
現代人のDNAの混入は、発掘調査の現場から実験室の分析に至るまで、あらゆる過程で起こる危険性があります。実験室での手順については、数々の経験を積んできたこともあり、世界の主要なラボでコンタミネーションの危険性をほぼ払拭できるようになっているのですが、発掘時、あるいは人骨資料の保管時にこの問題が浮上してきます。そもそも発掘を行うのは考古学者や形質人類学者ですから、コンタミネーションにまで注意を払われるケースのほうが稀だったといえます。
しかし近年では、のちのDNA分析を前提とした発掘が行われるようになっており、発掘の時点からコンタミネーションを起こさないように慎重な措置が取られるようになっています。シマ・デ・ロス・ウエソスの人骨群は洞窟の縦穴の地下13メートル地点から出土しました。安定した環境に置かれていたことも、DNAの長期にわたる保存を助けたのでしょう。発掘された人骨に残るDNAは、保管状態が悪いと徐々に分解してしまいますが、出土した歯と肩甲骨は、のちにDNA分析を行うことを考慮して、2006年の発掘当初から冷蔵状態で保管されました。そのサンプルを使うことで、43万年前という、これまでの常識からは考えられないような古い人骨の核ゲノムの解析が可能になったのです。
シマ・デ・ロス・ウエソスの人骨は、形態からはネアンデルタール人の特徴を多くもつと指摘されています。ただ、発見当初には60万年前のものとされていたこともあり、ハイデルベルゲンシスの仲間であると考えられていました。年代が43万年前に訂正されたことで、30万年ほど前にヨーロッパに出現するネアンデルタール人の直接の祖先と考えられるようになったのですが、分析の結果はそれほど単純なものではありませんでした。なんと、デニソワ人という、DNAから初めてその存在が明らかとなった第三者との関係が浮上したのです。

ホモ・ネアンデルタレンシス

ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルタレンシス)は、化石人類の中ではもっともよく知られている種です。19世紀の初めにはベルギーとイベリア半島南端のジブラルタルで発見されていましたが、ホモ・サピエンスとは別の人種であると最初に認識されたのは、1856年にドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル渓谷で発見された個体です。その後の発見によって、現在ではヨーロッパから西アジア、シベリア西部にわたるユーラシア大陸の西半分に分布していたことがわかっています。
姿形から典型的なネアンデルタール人と考えられる化石は、ヨーロッパや西アジアの遺跡から数多く発見されており、それらはおよそ14万~13万年前のもとと考えられています。成人の推定身長は150~175センチメートル、がっちりとした体格で体重は64~82キログラムと見積もられています。脳容積は1200~1750ミリリットルで、頭骨は前後に長く、眉の部分がひさしのように飛び出し、顔面全体が前方に突き出ているなど、私たちとは異なる独特の風貌をしています。
ネアンデルタール人と私たちホモ・サピエンスの関係を調べるときに重要になるのは、彼らが生息していた年代ですが、実はそれを特定することはかなりの難題です。年代の測定には、多くの場合、放射線炭素が5730年で半分になるという性質を利用していますが、この方法では5万年前よりも古い時代を測定することが難しく、時間の壁にぶつかります。放射性炭素年代測定法はホモ・サピエンスがアフリカを出て世界展開した以降の年代や、ネアンデルタール人の絶滅の時期を特定するのには適しているのですが、それよりも古いネアンデルタール人の化石の年代を調べるためには別の方法を用いる必要があります。
ネアンデルタール人よりも古いアウストラロピテクスなどの化石人類の年代の決定にも、火山岩の成立年代を調べる方法や、過去に何度か地磁気の逆転現象が起こったことを利用して、岩石に残る磁気からそれができた時代を推定する方法などが使われてきました。50万~10万年前の年代測定には、熱ルミネッセンス法やウラン系列年代測定法という方法が用いられますが、放射性炭素を用いた測定よりも精度はかなり落ちてしまいます。また、条件によってはこれらの方法が使えない場合も多く、放射性炭素年代測定法が使えない時代の化石については、どうしても不確かなものが多いです。そのため、ネアンデルタール人に関してもいまだに年代不明の化石は数多く存在しており、ネアンデルタール人同士の関係を明らかにすることには困難がともないました。
しかし、ゲノムの解析が可能になったことで、現在はその関係が明確になりつつあります。ネアンデルタール人が発見された19世紀以降、彼らと私たちの関係についてはさまざまな学説が提唱されてきました。大まかには彼らが私たちの祖先であるという学説と、共通の祖先から派生した親戚同士と考える学説の2通りがあり、多くの論争が繰り広げられてきました。それに一応のケリをつけたのが、1997年に発表されたネアンデルタール人ミトコンドリアDNAの一部領域の配列決定でした。

ネアンデルタール人の拡散

ゲノムの解析によって、ネアンデルタール人の共通祖先からまずデニソワ洞窟のネアンデルタール人(5号)が分離し、次にチャギルスカヤ洞窟の系統が東に移動したことが明らかになりました。そしてヨーロッパに残った系統の中からヴィンデジャや他の西ヨーロッパのネアンデルタール人が誕生したと考えられています。
東に移動したチャギルスカヤ洞窟とデニソワ洞窟のネアンデルタール人は、比較的少数のグループ、具体的には60人以下の集団で婚姻していたこともわかりました。少人数での婚姻、いわゆる近親交配を繰り返すと、両親から受け継いだ遺伝子同士が同じものにそろっていきます。それを調べることで婚姻の状況を類推することができるのです。
デニソワ5号の両親は、片方の親が違う兄弟姉妹だったと推定されています。このような状況は、西ヨーロッパのネアンデルタール人には見られないので、東に移動したグループは次第に数を減らしていき、袋小路に入り込んで消滅したのではないかと考えられています。
2021年の段階で、10を超える遺跡から出土した30個体以上のネアンデルタール人のゲノムが解析されています。次世代シークエンサを使って古代ゲノムが分析できるようになったわけですが、より詳しい分析を進めるには、さらに多くのゲノムデータを集める必要があります。しかしネアンデルタール人骨は滅多に出土するものではなく、それが研究を遂行する際のネックになっています。

ゲノム解析が明らかにする集団の変化

こうした状況を打破する研究も2017年に報告されています。洞窟の堆積物からネアンデルタール人ミトコンドリアDNAを抽出することに成功したのです。
遺物が出土して、そこに古代人が住んでいたことがわかっていても、人骨が出土していない洞窟は数多く存在します。そうした洞窟の土壌からゲノム情報を得ることができれば、この分野の研究が大きく進むことが期待されます。2021年には、スペインのガレリア・デ・ラス・エスタツアスという洞窟と、前述したチャギルスカヤ洞窟の堆積物が詳しく調べられ、ネアンデルタール人ミトコンドリアDNAと核ゲノムの一部を検出することに成功しています。
特にガレリア・デ・エスタツアス洞窟では、12万年前の地層から検出されたミトコンドリアDNAと、10万~8万年前の地層から検出されたものではまったく系統が異なっていることが判明し、この洞窟でネアンデルタール人の集団の交代があったことが示唆されています。チャギルスカヤ洞窟から検出されたミトコンドリアDNAには、そのような傾向は認められませんでした。
洞窟堆積物からも古代ゲノムを検出することができるようになったことで、同一地域での集団の変遷についても追及できる可能性が示されました。核ゲノムでは、得られたデータが同一個体からなのか、あるいは複数の個体に由来するのかお判定しなければならず、人骨から得られたデータよりも解析が困難になります。それでも今後この方法は、ネアンデルタール人だけでなく、ホモ・サピエンスの解析にも応用されていくでしょう。化石の空白地域での集団の変遷についても、新たな知見をつけ加えていくことが期待されます。古代ゲノム解析は、ついに人骨がなくても集団の変化を追求できるようになったのです。