TOBA Catastrophe Theory - the Most Destructive Explosion Ever
トバ火山は7万5000年前に、超巨大噴火を引き起こした
人類の進化に影響を与えた超巨大噴火、スマトラ島のトバ火山の謎
2021年11月10日 ニューズウィーク日本版
地球の気候に深刻な影響をもたらすおそれのある超巨大噴火を生じさせる火山は、世界に5~10か所あるとみられる。そのうちのひとつがインドネシア・スマトラ島のトバ火山だ。
7万5000年前の二度の超巨大噴火は、世界最大級のもので、これによる火山灰はインドで5~7センチにも及んだ。この大噴火によって、地球の気温は5℃低下し、長期におよぶ寒冷化は人類の進化に大きな影響を与えたとも言われる。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/11/post-97438.php
ハプログループDE (Y染色体)
ウィキペディア(Wikipedia) より
ハプログループDE(Y染色体)とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体のハプログループ(型集団)の分類で、YAPと呼ばれる変異の型に定義されるものである。
現生人類の共通祖先発祥の地、東アフリカのトゥルカナ湖の東北附近に7.6~7万年前 に住んでいた一人の男性(俗称: YAPアダム)にこの変異が起こり、これが父系で遺伝するY染色体の特定のSNPを持つ集団(Y染色体ハプログループ)のうち「YAP(M1)」と呼ばれるSNPを持つハプログループDE系統を生み出し、その後6万年程前にこれが更に2つ集団(ハプログループ)DとEに分岐した。
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プロローグ より
遺伝子系統を名づける
本書では、父系あるいは母系一族、遺伝子系統、血統、遺伝子集団/系統、さらにはハプログループといった表現を言い換えながら使っている。これらの言葉はだいたい同じことを意味しており、共通の(たいていはそのミトコンドリアDNAかY染色体による)祖先をもつ遺伝子の型からなるグループということである。集団の大きさはあるていど恣意的で、その系統の根元を遺伝子系統樹のどのあたりまでさかのぼるかにかかっている。
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ミトコンドリアDNAの場合はもう少し容易である。早い段階で多くの研究室が1つの用語体系に統一することに合意したからだ。たとえば、ただ1つの出アフリカ系統L3には、2つの非アフリカ娘系統のNとMがあることが認められている。わたしはそれらについては、Nは南アラビア起源であることを示すナスリーンと、Mはインド亜大陸に起源にふさわしいマンジュと呼ぶことにしている。
第4章 アジア、オーストラリアへの最初の一歩 より
YAP論争――アフリカ系かアジア系か?
出アフリカ・アダムからの3つめの主要な系統はYAPと呼ばれることが多く、わたしはアダムの第二子にちなんでアベルと呼んでいる。この系統は、2つに分岐し、小さくて古いアジアの分枝はほとんど極東だけに途切れ途切れに分布する。もう1つの、YAPの西の分枝はさらに分かれて、おもにアフリカの北部と中東に殖民したが、少数はパキスタン、インド、中央アジアへ広がった。YAPから派生したいくつかの系統はアフリカでごく一般的なものになり、ほかのものは中東の特徴になっている。
ここには聖書との類似がある。創世記のセムとハムがそれぞれ中東と北アフリカに殖民した兄弟だったことだ。本書にとっては残念なことだが、YAP+が東と西に分かれる以前の、原初アベル系統の根源は生き残ったらしく、アベル誕生の地がエチオピアかアラビアかという謎だけが残された。この「アフリカかアジアか」という問題は、YAPの多くの子孫が使っている「セム-ハム」語族という名称にも尾を引いている。「セム-ハム」語族という古い聖書の家系名を使おうと「アフリカ-アジア」語族という新しい名称を使おうと、語族の起源がアフリカかアジアかという論争は残る。おおかたの大きな語族が若い年齢であることを考えれば、紅海を西から東に渡ったにせよ、東から西に渡ったにせよ、そのような拡大は過去1万2000年前後のあいだに起こったに違いない。
アメリカの遺伝学者マイク・ハマーは、YAPはアフリカの外で生まれ、その2人の息子のうち1人はその後アフリカへ戻ったと主張し、ピーター・アンダーヒルのグループは、アフリカ起源を主張する。わたしとしてはマイク・ハマーの側につき、YAPはどこであれアフリカを出て最初の殖民地で進化し、それからまたアフリカに戻ったと論じたいが、アフリカ-アジア語族の起源のあいまいさには、類似以上のものがある。非アフリカ遺伝系統がエチオピアと北アフリカに戻っていったのは、最終氷河期のあとで砂漠から回復した緑の野に、人々がふたたび広がっていったときだろう。
最後の氷期のあと、どのくらい早く再拡大が起こったかは興味深い問いだ。言語学者や考古学者によっては、世界のおもな語族の拡大は、新石器時代の農業革命にともなう、この5000年から7000年のことだとしている。しかし遺伝子の年代は、再拡大が起こったのは中石器時代(1万2500年前)、言い換えれば新石器時代よりずっと早期だったことを示唆している。
3人のアジア男系始祖系統
要約すると、成功した南からの出アフリカの最初の故郷である南アジア地域では、その拡大の遺伝的な源が、インド洋沿岸のいわゆる先住民のなかだけではなく、現代の多くの集団のなかにも存在している。これらの源のなかには、やがて内陸の広大なユーラシア大陸に進んでいくための、西端にある遺伝子のベースキャンプもつきとめられる。小休止ののち、この集団はヨーロッパ、コーカサス、中央アジアへと出発した。
海岸採集コースの先頭集団は、出アフリカ集団に残された原初の遺伝的多様性を驚くほどの割合で保持しながら、かなり速くインド洋沿岸をまわっていった。実際、非常に速かったので、彼らのいとこ(ネアンデルタール人)が初めてヨーロッパに着く前にインドネシアへまわり、近辺のオセアニアに入り、オーストラリアまで到着していた。
出アフリカおよび東南アジア到着と、7万4000年前のトバ火山大爆発との正確な年代的関係は非常に重要である。
まず、トバ噴火はもっとも厳密に年代決定されている旧石器時代の出来事で、そこから降った火山灰は南アジア全体の時間的基準点になっているからだ。
2つめに、トバの直接の降灰は当然「核の冬」の時代をもたらし、その行く手のあらゆる生命に大打撃をあたえ、はるか遠くまで被害をもたらしたからだ。マレー半島では、現生人類がつくったと思われる道具が、トバの灰とともに発見された。海岸採集の先頭集団は、噴火の前までに極東に到着していたのだ。噴火の年代とほかの証拠との三角測量によって、このシナリオは裏づけられている。ほかの手がかりとしてあげられるのは、柳江頭蓋の新しく出された年代、オーストラリアにおけるルミネッセンス年代測定法による年代、6万5000年前にオーストラリアへ渡ることを可能にした低海水面の年代、8万3000年前にL3集団が拡大した遺伝子の年代、そして8万5000年前と推定される紅海の著しい塩化の始まりなどがある。アジアにおける早期現生人類の最良の証拠は、実際の化石と、その年代決定された背景から出るだろう。そのような作業はフローレス島のリアンブア洞窟で進行中である。
もしトバがほんとうに、インドが殖民された後で爆発したのなら、インド半島で大量絶滅があったはずで、半島の西よりも東側に大きな影響があっただろう。これはたしかに、インドの遺伝子的構図のパラドックスを解く1つの解釈となる。海岸採集民の遺伝子の形跡をたどると、マンジュとロハニのインドにおけるサブグループの大半が、インド亜大陸、ことに南東の部族のあいだに独自のものなのだ。これは、大災害からの回復にともなうこととして予想される。これらの地域系統でもっとも古いものが、7万3000年前ごろと推定されている。
次章ではそれらの先駆者たちがアジア大陸の北と東に到着してから何をしたか、そして彼らがどのようにしてそこへたどりついたかを検証していこう。