じじぃの「歴史・思想_664_人類の足跡10万年全史・アジア人の起源」

Evolution of human face

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bqV-ut6pfFA

沖縄 港川人1号人骨


   

380万年前 古代の人間の顔


Face of Ancient Human Ancestor That Lived 3.8 Million Years Ago Revealed: 'A Game Changer in Our Understanding of Human Evolution'

8/28/19 Newsweek
https://www.newsweek.com/face-ancient-human-revealed-evolution-1456512

人類の足跡10万年全史

ティーヴン・オッペンハイマー(著)
【目次】
プロローグ
第1章 出アフリカ
第2章 現生人類はいつ生まれたのか
第3章 2種類のヨーロッパ人
第4章 アジア、オーストラリアへの最初の一歩

第5章 アジア人の起源を求めて

第6章 大氷結
第7章 だれがアメリカへ渡ったか

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『人類の足跡10万年全史』

ティーヴン・オッペンハイマー/著、仲村明子/訳 草思社 2007年発行

プロローグ より

遺伝子系統を名づける

本書では、父系あるいは母系一族、遺伝子系統、血統、遺伝子集団/系統、さらにはハプログループといった表現を言い換えながら使っている。これらの言葉はだいたい同じことを意味しており、共通の(たいていはそのミトコンドリアDNAかY染色体による)祖先をもつ遺伝子の型からなるグループということである。集団の大きさはあるていど恣意的で、その系統の根元を遺伝子系統樹のどのあたりまでさかのぼるかにかかっている。
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ミトコンドリアDNAの場合はもう少し容易である。早い段階で多くの研究室が1つの用語体系に統一することに合意したからだ。たとえば、ただ1つの出アフリカ系統L3には、2つの非アフリカ娘系統のNとMがあることが認められている。わたしはそれらについては、Nは南アラビア起源であることを示すナスリーンと、Mはインド亜大陸に起源にふさわしいマンジュと呼ぶことにしている。

第5章 アジア人の起源を求めて より

変化する頭蓋

オーストラリア先住民も身体は縮小し、またニューギニア人の一部もそれより程度は小さいものの縮小しているが、彼らはほかのほぼすべての集団より、頭蓋の頑強さを保持してきたと思われる。オーストラリア人の頭蓋は前後の長さも左右の幅も縮小している。オーストラリア先住民は祖先の姿をもっともよくとどめていると言われることがあるが、いくつかの理由から、ニューギニア人のほうがよい事例となるだろう。過去と現在のオーストラリア先住民については、いくつか解明されていない詳細がある。その1つは、オーストラリアで出土した最早期の頭蓋化石は繊細で、頑強ではなかったことだ。オーストラリア人がたぶん混合の結果、祖先の型からいくらか変わったと見られる理由にはほかに、ほとんどのオーストラリア人は縮れ毛ではなく巻き毛をしていることがあげられる。

オーストラリア人やニューギニア人と同じ程度の頑強さを保持している集団が、ほかにただ1つだけある。南アメリカのティエラ・デル・フエゴ人で、今では事実上絶滅している。

日本では、亜熱帯の島、沖縄で発見された有名な港川人の頭蓋化石で、最終氷期の最盛期ごろと推定されるが、やや頑強な特徴が見られる(画像参照)。

それらの頭蓋は形によって、前新石器時代にあたる日本古代の縄文人と分類され、彼らは北部日本の先住集団、アイヌ人の祖先と考えられている。
ヨーロッパ人と中東の祖先には、頭蓋の長さと頑強さに限定的でさまざまな程度の縮小があり、その結果、ある程度前後が長めの頭蓋(長頭)が残り、また頑強さもさまざまに保持されていて、わたし自身の突き出た眉もそれで説明がつく。

もっとも著しい変化が起きたのは、現在モンゴロイドと言われている集団である。身体の縮小はおもに頭蓋の前後の長さで起こり、その幅と高さは維持された。モンゴロイドのさらなる変化は、顔の平板化が極端に進んだ点だ。これは、シベリアのバイカル湖東岸とモンゴル付近の新石器時代の集団にもっともよく表わされている。これを極端と呼ぶのは、顔の平板化は通常範囲の人類の変化において目新しい特徴ではないからだ。顔の平板化はある程度、初期のアフリカ人の頭蓋や、現在の狩猟採集民のコイサン族にも見られるし、またアパルトヘイト撤廃後の南アフリカの尊敬される建国の父にもうかがえる。この変化は結果として、現在東アジアに優勢な、高くほっそりした、やや広めの頭(短頭)の形となり、これはほぼ確実に遺伝的に決定されている。東アジア人はまた、現代の諸集団のなかでもっとも繊細でもある。

ネオテニー

わたしはガスリーの北における進化的圧力(寒さによるストレス)の説明にひかれるが、また歯と遺伝の証拠にもとづいて南から北への移動説にもひかれる。この2つに橋渡しをするほかの進化現象がある。それは何年も前に古生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドによって立てられた仮設で、それによるとモンゴロイドの一連の解剖的変化は、幼態あるいは子供の体型が成熟しても維持される幼形成熟ネオテニー)という現象によって説明されるという。

ヒト科におけるネオテニーは、わたしたちが過去数百万年で急速に、不釣合いなほど大きな脳を発達させてきたことの単純な説明にもある。比較的大きな脳と脊柱上の前方に展開した頭蓋、そして体毛の消失という人類の特徴は、いずれもチンパンジーの胎児段階でみられるものである。グールドはモンゴロイドネオテニーの軽度の強化があることを示唆し、それにたいして「幼形保有(ペドモルフィー)」という名をあたえている。そのようなメカニズムにはわずかな制御遺伝子がかかわっているだけらしく、それゆえ比較的短期間で起こりうる。直観に反する上を向いた鼻や、顔の毛の相対的な薄さという特徴にも納得がいく。

幼形保有の個人が、時がたつうち比較的多くの子孫をつくるような遺伝的なメカニズムがいくつかあり、それらは浮動や選択を通して作用し、またそれらは互いを排除しない。そのようなメカニズムの1つは、寒いステップ地帯で有用な、倹約する遺伝子と関係している(不必要な筋肉の量を減らし、歯のかさを少なくし、骨を薄く、そして体を小さくする)。これは、モンゴロイドの選択/適応型進化モデルにしたがうのだが、その進化には、南から沿岸を北上したスンダ型の集団にたまたま生まれた既存の形質が利用されたのだろう。同様に、幼形保有の女性は、かわいらしく見えて高く評価されたかもしれない。これはむしろ性的な選択と浮動にもとづく仮説であり、北でさらに誇張された浮動ないし選択が起こったとしても、すでに存在した形質はもとは南から来たものだったろう。

モンゴロイドの発達においては、この双方のメカニズムが働いたとわたしは考えている。南モンゴロイドの特徴はまず、性的選択と浮動のどちらか、あるいは両方の結果として発達したのかもしれない。それから人々の一部が北の中央アジアへ移動し、そこで、デイル・ガスリーが鮮やかに描いた進化的圧力に反応した、さらなる発達があったかもしれない。それゆえある意味で、モンゴロイドの特徴の発達には基盤となる故郷が2つあったことになる。この机上の仮説に直接的な科学的裏づけはない。なぜなら遺伝学者たちはまだ成長と身体の形成をつかさどる遺伝子を解明しはじめたばかりで、わたしたちの種の重要な差異を見つけることなど手にあまる現状だからだ。しかし遺伝子を追跡していくことにより、移動の方向をさぐる手がかりは得られるかもしれない。