じじぃの「現生人類の誕生・未知なる世界への旅立ち!ヒトの起源を探して」

The Exctinction of Human Race - Real - Sub Ita 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ANrpE-7hZFE

Apollo 4 launch

ボトルネック効果 ウィキペディアWikipedia)より
集団遺伝学におけるボトルネック効果または瓶首効果とは、生物集団の個体数が激減することにより遺伝的浮動が促進され、さらにその子孫が再び繁殖することにより、遺伝子頻度が元とは異なるが均一性の高い(遺伝的多様性の低い)集団ができることをいう。
人類の規模が7万5千年ほど前に急減して総数1万人以下となり、遺伝子の多様性が急速に失われた形跡がある。この原因を、その頃のインドネシアスマトラ島トバ火山の大噴火(火山の冬)に求める意見もある(トバ・カタストロフ理論)。つまり、現在の全人類はこの時生き残った一握りの人々の子孫である可能性が高い。一方で、少数の人々が移住して現在の人類の祖先となった結果だとする説もある。

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『ヒトの起源を探して 言語能力と認知能力が現代人類を誕生させた』 イアン タッターソル/著、河合信和、大槻敦子/訳 原書房 2016年発行
謎に満ちた出現 (一部抜粋しています)
骨の構造から見て私たちと正確に――もしくはほぼ正確に――同じように見える人々の最古の証拠が初めて見つかったのは、アフリカ北東部の2つの遺跡からである。1960年代の終わり頃、現在ではおよそ19万5000年前のものと考えられているエチオピア南部のオモ盆地の堆積岩から断片的な頭蓋が出てきた。復元した結果、現在生きているヒトの個体群のメンバーのいずれともまったく同じではないが、どうやらホモ・サピエンスのように見えた。さらにごく最近になってエチオピア北部のヘルトにある堆積層から出土した、かなり完全な子どもと成人を含む3点の頭蓋もまた、いくつかの細かい点で今日の人間とは異なっているけれどもホモ・サピエンスだと考えるのがふさわしい。成体は間違いなく、高さと容量のある脳頭蓋とその前方の下に引っ込んだ小さな顔面という、私たちの種に独特なきわだった特徴を見せている。
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今日のヒトのDNA変異型の拡散状況に関する詳細な分析から、古代のヒトの個体群が更新世末期に一度あるいは複数回の激しいボトルネック(びん首効果)、すなわち激しい人口減少を経験してきたことを強く推定させるようなパターンも示している。中でも最も顕著な人口減少は、考古学と古生物学の両方の指標から、解剖学的にも知性的にも現代人である人々が最終的に世界中に住みつく前に初めてアフリカを離れたと考えられる時期に起きていた可能性が高い。
人口減少の時期と期間は、用いるデータによって若干異なるが、おおまかにはその出来事が起きたのは7万5000年前から6万年前の間だと思われる。古い方の年代を含める理由は、きわめて影響の大きい環境要因を主要な原因と考える説が存在するためだ。それはインドネシアの火山、トバ山の噴火である。7万3500年前頃、トバ山はまさしく近年の地質学史上最大で最も激しい火山の噴火によって吹き飛んだ。その巨大噴火によって付近一帯は荒れ果て、何百トンもの細かい火山灰が大気圏に吹き上げられて雲となり、おそらく何年もの間太陽光をさえぎって旧世界全体に影響を及ぼした「火山の冬」の原因を作った。およそ7万1000年前にMIS4の時期に入って世界の気温がさらに下がったことと相まって、この冬期化現象が、アフリカで生まれかけていたホモ・サピエンスを含むヒトの人口を劇的に減少させることにつながったとも言われている。確かに破壊的であることは疑いようもないが、トバ山の噴火がそれほど遠く離れた所にまで影響を与えると考えることには疑問を呈する人が多い。しかしほぼ間違いないのは、寒冷なMIS4(およそ7万1000年前〜6万年前)が急世界全体のヒトの個体群に大ダメージを与えたことだろう。
アフリカではその厳しい次期が始まると干ばつの時期が長くなり、アテール人をサハラから追い立てた。またほかのヒトの個体群をひどく苦しめたことも疑いようがない。これまで述べたように、こうした気候の悪化による環境破壊は、まさに小規模でばらばらに暮らしている個体群の反応を促進する類いのものである。アフリカのホモ・サピエンスの局地的な一個体群が、こうした環境の試練の中で完全に象徴化を達成して出現し、そこから世界に広がっていった可能性はきわめて高い。
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イスラエルの初期の原始的な移住者を除けば、分子の証拠が示すより古い時代に、アフリカ以外の場所では、明らかにホモ・サピエンスと思われる化石は一つも見つかっていない。近年、中国南部の智人洞で見つかった10万年前ほど前の下顎の破片がホモ・サピエンスのものではないかと言われているが、その特徴から、実際には初期の原生人類の侵入者というよりは、中国固有の「北京原人」、すなわちホモ・エレクトスの系統に分類されることははっきりしている。おおまかには、過酷なMIS4が快適な状況のMIS3に道を譲ったおよそ6万年以降の時期、アフリカのいくつかのDNA系統を持つ集団がは母なる大陸を後にしたことが分子によって示されている。最初の主要な移住は小アジアを経由してインドへ、そこからまた沿岸部を通って東南アジアへと続いた。これらはみな短期間のうちに起きたものである。なぜなら考古証拠から、現生人類は少なくとも5万年前にはオーストラリアに存在していたことがわかっているからだ。最初のオーストラリア人がその新しい故郷にたどり着くために外洋を80キロメートルも渡海したに違いないと考えると、これはなおさら驚くべきことである。それは小舟――あるいは少なくとも高度な筏――のみならず、すぐれた航行技術を必要とする大仕事だっただろう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
まだ全部読み切っていないが、イアン タッターソル著『ヒトの起源を探して 言語能力と認知能力が現代人類を誕生させた』に、こんなことが書かれていた。
「最初のオーストラリア人がその新しい故郷にたどり着くために外洋を80キロメートルも渡海したに違いないと考えると、これはなおさら驚くべきことである。それは小舟――あるいは少なくとも高度な筏――のみならず、すぐれた航行技術を必要とする大仕事だっただろう」
約6万年前に、アフリカを出た現生人類が短い期間にオーストラリアにたどり着いたことに驚きをもって書いている。
同じ頃、生きていたネアンデルタール人は現生人類と違って拡散することはなかった。
アフリカから全世界に広がっていったホモ・サピエンスは、大移動を始める前、絶滅に陥るほどの個体数の減少に見舞われた。
我々人類は未知なる世界へ旅立つ(順応性がある)ことで、他の動物とは違うのだそうだ。