じじぃの「人の生きざま_410_高・英男」

追悼の森/高英男さん死去
「雪の降る町を」や「枯葉」などの曲で知られるシャンソン歌手の草分け的存在として知られた 高英男さんが2009年(平成21年)5月4日午前9時40分、肺炎のため千葉市内の病院で死去した。90歳だった。
http://memory-jp.com/pc_memory/pc_container/memory_2009/data_16.html
高英男 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E9%AB%98%E8%8B%B1%E7%94%B7/65523
高 英男 Hideo Koh_雪の降る町を (1953) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=rfmyLdelEGo
枯葉 高 英男 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=GyTYgkC5BAM
高英男

高英男 ウィキペディアWikipedia)より
高 英男(こう ひでお、本名:吉田 英男、1918年10月9日 - 2009年5月4日)は、樺太庁(現・サハリン)出身の日本の歌手、俳優。日本におけるシャンソン音楽普及の第一人者であり、フランス国内でも活躍。独自のムードを醸し出す歌手・俳優として知られた。経済学者で日本大学第4代総長の呉文炳は従兄弟にあたる。

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『逢えてよかった!』 永六輔/著 朝日新聞社 1995年発行
高英男さん――『夢を売る男』でいようと思います (一部抜粋しています)
『雪の降るまちを』が聞こえてくる季節になった。
歌った高英男さんは相変わらず美青年である。
「冗談いっちゃいけません。あの田中角栄さんと同い年だからね。でもね、ファンの方が美青年を期待するから、サービスで、ウン、若づくり」。ということは75歳。
サービスとはいえ高さんのステージは昔の『ひまわり』『それいゆ』のグラビアと変わりない。
樺太に生まれ、樺太に育って上京する。「雪の降るまちを、の雪は私にはサハリンの雪です。だからサハリンのまちを、歌いながら歩いてみたい」。戦後、落ち着かないころ、パリからシャンソンを持ち帰った高さん。中原淳一さんの描いた美青年は高さんだった。
その画伯の最後をみとったのは房総半島の館山。
今でも高さんは、その海岸で体長を整え、レッスンして、舞台に出かけてゆく。
淡谷のり子さんとのジョイントも多く、姉弟のような関係が優しい。両方で相手のことを「お化けだね」とからかっているが、寄席の方に母娘孫3代をよく見かける。
40年前、東京・新宿には第一劇場があった時、僕は舞台監督として高さんを手伝っているから長い交際なのだが、僕の体重は倍になっている。