じじぃの「人の死にざま_1349_水原・弘」

水原弘 - あのひと検索 SPYSEE
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『黒い花びら / 水原弘』 (cover kiyota) レコード大賞編/第一回59年 動画 YouTube
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水原弘 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=OzTmby3ogmI
水原弘 ウィキペディアWikipedia)より
水原 弘(みずはら ひろし、1935年11月1日 - 1978年7月5日)は、東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)出身の歌手。愛称は「おミズ」。東京都立赤坂高等学校商業科卒業。
【略歴】
1959年(昭和34年)、「黒い花びら」(作詞:永六輔・作曲:中村八大)でレコード・デビュー。夏木陽介主演の東宝映画『青春を賭けろ』に歌手役で出演。「黒い花びら」は発売初年に30万枚、総合計57万枚という当時としては大ヒット作となった。ちなみに最初のマネージャーは渡邊美佐の妹、曲直瀬信子だった。
1978年(昭和53年)6月24日未明、北九州市小倉北区の宿泊先「ホテルニュー田川(現・ホテルニュータガワ)」の客室トイレで大量に吐血した。
吐血から11日後の同年7月5日未明、同院で、肝硬変の重症化による食道静脈瘤破裂のため42歳の若さで死去。残った借金は当時の額で9000万円とも言われる。

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『逢えてよかった!』 永六輔/著 朝日新聞社 1995年発行
水原弘さん――歌手には珍しい無頼派 (一部抜粋しています)
年末、レコード大賞の時期になると水原弘のことを思い出す。
第1回のレコード大賞が彼の歌った『黒い花びら』であり、彼も、作詞の僕も全くの無名、作曲の中村八大だけがジャズピアニストとして知られていたというトリオの受賞だった。
この賞そのものも、全くの無名で、文京区の公会堂で授賞式があり、その前の小さな喫茶店でパーティーがあった。
放送の中継もなく、翌日の新聞に小さな記事になっただけだったが、歌のヒットがレコード大賞の名前もPRすることになる。
あれから、34年、水原弘の名前も忘れかけられているが、歌の上手さは耳に残っている。
彼は若い歌手には珍しい無頼派だった。酒に溺れ、恋に酔い、意識して礼儀知らずで通した。借金を名誉と心得て自分を痛めつけ、その中で歌い続けた。
子分には慕われたが、仲間からは遠ざけられ、それさえも、当人の好むところだった。歌はますます深みを増し、説得力のあるものになっていった。
デビュー曲の作詞・作曲家ではあっても、こうした水原弘を遠くから見ているよりほかはなかった。体調を崩し、血を吐きながら歌っているという噂を聞いていたが、意見して聞くような男ではなかった。

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水原弘 Google 検索
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