じじぃの「人の死にざま_1169_E・マッカラム」

たけしの万物創生紀ビタミン 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=R61gWrILtlA
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1913年エルマー・ヴァーナー・マッカラムは、バターまたは卵黄の脂肪の中にネズミの成長に不可欠な成分があることを発見し、翌年その成分の抽出に成功した。マッカラムの抽出した成分は、フンクが抽出した成分と明らかに異なるため、前者を「油溶性A」、後者を「水溶性B」と名付けた。
http://treyfla.tumblr.com/post/10071708145/1913
ASBMB Presidents:1927 - 1928 Elmer V. McCollum
http://www.asbmb.org/uploadedfiles/aboutus/asbmb_history/past_presidents/1920s/1927McCollum.html
目との関係が深いビタミンA
ビタミンAを多く含む食品や過剰摂取の注意点など、ビタミンAの効果について解説しています。多く含まれる食品には、鶏レバー、豚レバー、うなぎ、モロヘイヤ、春菊、にんじんなどがあります。
http://www.creampanda.com/vitamin_a/
ビタミン ウィキペディアWikipedia)より
ビタミン(vitamin)は、生物の生存・生育に微量に必要な栄養素のうち、炭水化物・タンパク質・脂質以外の有機化合物の総称である(なお栄養素のうち無機物はミネラルである)。
【発見の歴史】
ビタミンは通常の食事を取っていれば必要量が摂取できる。単調な食事に縛られた時、ビタミン不足による障害が発生するが、長い間それは単なる病気と見られていた。
ビタミン発見の発端は、軍隊が今ではビタミン不足による障害と知られている壊血病脚気に集団でかかり、当時の軍医らがこれらの病気の撲滅を狙って研究したことから始まる。
物質としてビタミンを初めて抽出、発見したのは鈴木梅太郎であった。彼は1910年、米の糠からオリザニンを抽出し論文を発表した。ところが日本語で発表したため世界に広まらなかった。 1911年には、カジミール・フンクがエイクマンにより示唆された米ヌカの有効成分を抽出することに成功した。1912年、彼は自分が抽出した成分の中にアミンの性質があったため、「生命のアミン」と言う意味で "vitamine" と名付けた。このとき発見されたのは、ともにビタミンB1チアミン)である。
1913年エルマー・ヴァーナー・マッカラムは、バターまたは卵黄の脂肪の中にネズミの成長に不可欠な成分があることを発見し、翌年(1914年)その成分の抽出に成功した。マッカラムの抽出した成分は、フンクが抽出した成分と明らかに異なるため、前者を「油溶性A」、後者を「水溶性B」と名付けた。

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『栄養学を拓いた巨人たち 「病原菌なき難病」征服のドラマ』 杉晴夫/著 ブルーバックス 2013年発行
マッカラムの脂溶性栄養素の発見 (一部抜粋しています)
ビタミンのうち最初に発見されたのは、ビタミンAである。その欠乏症も、はじめは医師たちにとって謎であった。
まずオーストリア海軍の長期航海で、乗組員に夜盲症が発生したが、医師シュバルツが肝臓を食べさせたところ治癒した。しかし、彼の報告は無視されてしまった。また、1880年エストニアのドイツ大学の研究生レニンは、ある飼料で飼育したマウスがすべて死亡したのを見て、ミルクを飼料に加えたところ、正常に育つことを見いだした。レニンはミルクに必須の栄養素があるのではないかと考えたが、彼の指導者ブンゲはこの考えを否定した。ブンゲは生化学者であったが、偏見により、ビタミン発見のチャンスを逃した。
1906年、オランダのペケルハリングは、レニンと同じような動物飼育実験で、やはりミルク中に未知の栄養素が存在すると結論して論文を発表したが、不幸にもオランダ語で書かれていたため英語圏の学者の目にとまらず、結果的に無視されてしまった。なお、英国のポプキンスも同様な動物飼育実験でミルク中の栄養素の存在を指摘し、彼は後年、「ビタミン発見者」としてノーベル賞を受賞する。ただし、この受賞には次章で述べるような問題があった。
ついにこの未知の栄養素を発見したのが、栄養学史上最大の巨人といわれる米国の化学者エルマー・マッカラムであった。
マッカラムは1879年、カンザス州の農家に生まれた。1歳のときに重い壊血病にかかったが、母親に試しにリンゴの皮を与えたところ、幼いマッカラムはこれを貪るように食べ、容態は快方に向かった。母親がさらに野菜とイチゴジュースを与えると、彼は快癒した。母親は本能的に、息子がかかった病気を治す栄養素(現在のビタミンC)を多く含む食品を察知していたと思われる。驚くべきことである。
成長したマッカラムは1907年、ウィスコンシン大学農学部に勤務し、栄養学の研究を開始した。当時の農学部では、動物に与える飼料を化学分析し、飼料の成分が動物の健康に及ぼす効果を検討していた。彼が研究に参加したときは、牝牛を3つのグループに分け、それぞれ小麦、カラス麦、トウモロコシを与えて飼育する時るt券が進められていた。これらの飼料は化学分析の結果を見れば、みなほとんど同じ化学組成であった。
ところが、飼育の結果は劇的な差を示した。小麦で飼育した牝牛は体が小さく、みな盲目であった。この牝牛が産んだ子牛は未熟児で、生まれてまもなく死んだ。カラス麦で飼育した牝牛も、生まれてきた子牛のほとんどがまもなく死んだ。しかし、トウモロコシで飼育した牝牛は正常で、生まれてきた子牛もまた正常であった。
研究に参加したマッカラムは、化学組成が等しいにもかかわらず、このように結果に大きな差が生じる謎の究明を任された。
最初、マッカラムは牝牛の飼料をさまざまに変えて研究を進めたが、一向に成果があがらなかった。やがて彼は、牛の寿命が長く、結果が得られるのに時間がかかるのが難点であることに気づいた。そこで、寿命が短く、また短時間で成熟して子を産むネズミを実験に使用することにした。現在では生物学的、生理学的、栄養学的なあらゆる研究に使用されている、この短寿命の小動物を実験に使用する方法は、マッカラムが創始したのである。
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優れた化学者であったマッカラムは苦心の末、バターに含まれる謎の物質の抽出に成功し、これをオリーブ油に混ぜてネズミに与えた。ネズミは元気に生きつづけた。この結果は、それまで知られていた三大栄養素のほかに、未知の栄養素が存在することの決定的な証拠になった。
1914年、マッカラムはこの栄養素を「脂溶性A因子」と命名した。現在の「ビタミンA」である。前述したように、それまでのビタミン欠乏症はいずれも、医学的には対策が発見されたが、疾病の原因となる物質の同定にまでは至っていなかった。マッカラムは化学的技術により、一挙に栄養素の化学物質としての本態にまで到達したのである。これは栄養学史上もっとも輝かしい勝利といわれる。彼はのちのジョンズ・ポプキンス大学の教授となり、栄養生化学の創始者となった。