じじぃの「人の死にざま_1160_安藤・緑山」

安藤緑山 「竹の子と梅」

安藤緑山 「柿」

美の巨人たち 安緑山 『竹の子と梅』
他の牙彫師は色を付けず
吉田道楽作 「花売娘」
http://blog.livedoor.jp/konnnatv/tag/%E5%AE%89%E8%97%A4%E7%B7%91%E5%B1%B1
安藤緑山 ウィキペディアWikipedia)より
安藤緑山(あんどうりょくざん、明治18年(1885年)頃 - 昭和30年(1955年))は大正〜昭和中期の彫刻家。
【生涯】
生涯や詳細な人物像など、彼にまつわる事は殆ど不明である。僅かに残っている情報によれば、1885年頃東京府に生まれ、東京彫工会に所属し、彫工会の住所録では大正10年(1921年)に、下谷御徒町(現在の台東区西部)に住んでいた。1955年に70歳前後で死去したと言う事ぐらいである。
象牙彫刻(牙彫〔げちょう〕と呼ばれた)の分野で活躍し、野菜や果物を中心に多くの作品を製作した。現存している物だけでも50数点以上あり、美術館でもしばしば展示されている。牙彫は江戸時代に始まり、明治期に外貨獲得の国策として海外に輸出され始めたことから、「牙彫ブーム」と呼ばれる最盛期に突入した。しかし、大正になると牙彫の難しさ(素材を削り取る彫刻スタイルのため、完成するまでの時間が非常にかかる)から、ブームは沈静化。安藤はそのような時期に牙彫に挑んだ彫刻家だった。
安藤の彫刻で最大の特徴は色つけである。これは象牙に着色すると、色が滲んで独特の味わいを持つ、彼独自の理論であった。しかし、当時の美術界では、牙彫の王道である“白地の肌合い”が主流だったため、彼の理論は異端視され殆ど評価されなかった。加えて、彼自身も気難しい性格で人との交渉を嫌ったため、弟子を全く取らず、「安藤緑山一代限り」とのポリシーを持っていた。こうした事が原因で、彼自身の素性は全く不明で解明の手がかりもないと言われている。

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日曜美術館 「明治の工芸 知られざる超絶技巧」 2014年5月11日 NHK Eテレ
【司会】井浦新伊東敏恵 【ゲスト】山下裕二(美術史家)
象牙で作られた本物そっくりのタケノコ。体が自由自在に動く金属のヘビ。刺しゅうで描かれた巨大なクジャク。激動の時代、日本人の技と誇りをかけて生まれた驚異の世界がある。
「明治の工芸」。万国博覧会などを通して西欧に輸出されたため、作品の多くが海外のコレクターの手に渡った。日本では長く忘れ去られた存在だったが「現代では再現不可能」とまで言われる超絶技巧にいま注目が集まっている。技の再現に挑み、秘密に迫る。http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2014/0511/index.html
美の巨人たち 安藤緑山「竹の子と梅」 2013年5月25日 テレビ東京
【ナレーター】小木薫
今日の作品は、伝説の牙彫師・安藤緑山の最高傑作『竹の子と梅』。大きさは本物の竹の子とほぼ同じで、“牙彫”(げちょう)と呼ばれる象牙彫刻です。何よりも驚かされるのは、まるで本物と見紛うばかりのその造形のリアルさ!根元から生えた根の生き生きとした艶や、ピンク色の新しい根には生命力さえ感じさせます。隙間まで再現した極めて薄い皮の作りは圧巻です。傍らには青梅が添えられており、その薄い葉の精妙な細工や、枝一本の質感の作り込み、丸々とした果実の肌触りと色合い・・・。こうなると、新鮮な竹の子を紹介しているのか、美術品を紹介しているのか判らなくなるほどの造形。美術工芸界最大の謎、超絶技巧の極致とも呼ばれる作品です。
日本の象牙彫刻は江戸時代に始まりました。明治時代半ばごろになると、外貨獲得の国策として海外に輸出され始めたことから牙彫は最盛期に突入。この時代には多くの牙彫師が腕を競い、精緻な象牙の置物が作られました。安藤緑山は、牙彫ブームが去った大正から昭和にかけて活躍した牙彫師ですが、人物像はおろか、その制作過程も全くわかっていません。彼の作品は判っているだけで50数点あり、その多くは、果物や野菜など身近なものばかりです。
安藤緑山の作品における最大の特徴は「色付け」です。牙彫の王道である“白地の肌合い”に背を向け、緑山が目指したものとは・・・?謎めいた牙彫師・安藤緑山の超絶技巧の数々に迫ります。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130525/index.html
5月25日、テレビ東京美の巨人たち』 安藤緑山「竹の子と梅」より
吉田道楽作 明治時代 牙彫 「花売娘」
これは名人と言われた吉田道楽の「花売娘」。しかし、色はありません。
アイボリー(象牙)、そのものの色と質感が生かされているのです。これが象牙彫刻の王道なのです。
安藤緑山作 大正・昭和時代 「竹の子と梅」
では、安藤緑山はなぜ色をつけたのか?
たった一人のスーパーリアル
現代の牙彫師、宍戸濤雲さんの「柿」の製作もいよいよ佳境です。色づけの前に熱した酢に作品の象牙を漬けて、1、2分煮込みます。象牙の表面に色を浸み込みやすくするための下処理です。
絵の具は酸性染料を使います。幾度も塗り重ねることで色が浸み込み、内側から発色する象牙彩色特有の深い色合いが生まれます。
ヘタや枝といった凸凹のある表面に色を重ねていくと、光沢を抑えた落ち着いた色になります。彫や磨きの段階で仕上げた質感の違いがここで生きてくるのです。
最後に虫食いの跡に墨を塗ります。作業開始から22日目。これが完成した宍戸濤雲さんの「柿」です。おそらく、緑山の色づけもこのように行われたと考えられるのです。
宍戸さん、「安藤緑山に教わった牙彫師はいない。緑山もおそらく酸性染料を用いたが、象牙彫刻の王道は白上がり(彩色無し)なんです。きれいだから白上がりという考え方から、白だからいろんな色がつけられる。象牙の可能性を探ったのではないか」
ミカンの皮が一部剥かれた画像が出てきた。
安藤緑山はきわめて珍しい牙彫師でした。白地の肌合いを愛でる象牙彫刻。その王道に背を向け、色づけしたことで異端視されたのです。
一筋一筋、彫られた皮の造形。竹の子を包み込む滑るような肌合いと艶。なぜこのような形なのか、なぜこの色が必要なのか。自然の神秘を探るように、凝視する眼差しが生み出した造形と色彩の奇跡です。
安藤緑山は50数点の作品を残し、歴史の舞台から消えていったのです。
安藤緑山 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&sa=X&oi=image_result_group&ei=idqiUb7zMYeJlAXFlIGYBg&ved=0CBsQsAQ&q=%E5%AE%89%E8%97%A4%E7%B7%91%E5%B1%B1%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch