じじぃの「人の死にざま_1050_GL・ベルニーニ」

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ - あのひと検索 SPYSEE
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Gianlorenzo Bernini 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=GX0KOPcMC3Y
2009_I marmi vivi. Gian Lorenzo Bernini e la nascita del Barocco_ita 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=lZYLHtKnOeI
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ ウィキペディアWikipedia)より
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini,1598年12月7日-1680年11月28日)は、バロックの時期を代表するイタリアの彫刻家、建築家、画家。
「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛されたバロック芸術の巨匠である。古代遺跡が残る古き都ローマは彼の手によって、壮大なスケール、絢爛豪華な装飾にあふれる美の都に変貌していった。人々は彼の作品を「芸術の奇跡」と絶賛した。
1984年から1999年まで発行された50000イタリア・リレ(リラの複数形)紙幣の裏面に肖像が採用されていた。
【彫刻作品】
・「アポロンとダフネ」(1625、ローマ、国立ボルゲーゼ美術館
 美しい娘ダフネに恋して我が物にしようと迫る太陽の神アポロン。しかし、その手がダフネに触れた瞬間、彼女は月桂樹の木へと姿を変える。5本の指は茂る枝葉へと変貌し、足先からは根が生え、体は見る見る木の皮に覆われていく。ふたりの絶妙なバランスと躍動感、劇的な一瞬を見事に切り取っている。神話の世界があたかも目の前で起こっているような緊迫感。発表当時、ローマ中の人々がこの作品を見るために押し寄せ、口々に「これは奇跡だ」と語ったと云われている。
・「聖テレジアの法悦」(ローマ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂コルナロ礼拝堂)
 16世紀スペインに実在した聖女テレジアが神と出会い、その喜びに満たされる奇跡の場面。頭上からは彫刻で表現された神の光が降り注ぎ、天使とテレジアを包み込んでいる。ベルニーニにはこの礼拝堂の全てを設計し、様々な仕掛けを施すことで、新たな奇跡を起こした。
・「四大河の泉」(1648-51、ローマ、ナヴォーナ広場)
 4つの大陸を流れる大河、ガンジス川(アジア)、ナイル川(アフリカ)、ラプラタ川(南アメリカ)、ドナウ川(ヨーロッパ)を擬人化した作品で、4つの大河を表現することで教会は、4つの大陸を支配することを表現している。また、19世紀中頃まで行われていた夏のお祭り「ラーゴ」で、ある演出が行われていた。それは「四大河の泉」の排水溝に栓をして数時間掛けて水をあふれさせ、ベルニーニは旧約聖書に登場する「ノアの箱舟」を題材にした人口の湖を作った。ベルニーニは単なる彫刻家だけではなく、型破りなアイデアでローマの町全体を劇場に変えた。

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『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行 (一部抜粋しています)
印刷された文字の力
ルネサンスのもう一つの特徴は、一連の発明である。その内でもっとも重要なものの一つは、印刷術であった。改版可能な活字を、ヨーロッパではじめて使用したのは、マインツの発明家のヨハン・グーテンベルグ(1400?-1468)と、彼の協力者で金細工師兼金融業者であったヨハン・フストであるとされている。彼等の最初の重要な仕事は、1456年の『42行聖書』であった。彼らは、1150年ごろ、スペインのムーア人がヨーロッパに伝えた工法によるぼろ布から作った紙を用いた。
1500年までに、ヨーロッパの諸都市の印刷機は183台となった。印刷術によって、政治や宗教に関する新しい理念が、ヨーロッパ中の考える人々の手に入るようになった。ラテン語と『聖書』は、教会や大学、修道院の独占物ではなくなった。印刷された文字を利用して、オランダのエラスムスのような思想家が、以前よりもはるかに広い層に呼びかけることができるようになった。カトリック教会内部の悪弊を反撃したエラスムスの『愚神礼賛』は、全ヨーロッパの思想に影響を与えた最初の書であった。印刷業者が、社会の枢要な人物となった。そしてしばしば、彼ら自身も学識が豊かであった。
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この新しい学問がもっとも鋭い衝撃を与えたのは、イタリアにおいてであった。それは単にフィレンツェ、マントゥア、ミラノのような都市だけではなく、ローマにおいてもそうであった。1447年から1455年まで教皇職にあったニコラウス5世は、書籍収集家であり、バチカン図書館を建てている。ユリウス2世はバチカン宮殿を建て、それを居館とした。16世紀には、ローマには、53の新しい教会が建ち、ミケランジェロラファエロベルニーニの故郷であったこの都市は、ルネサンスの黄金都市となった。

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美の巨人たち ベルニーニ 「アポロンとダフネ」 2012年12月15日 テレビ東京
【ナレーター】小木薫
天才彫刻家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ。彼の手掛けた作品は、400年の時を経た今なおローマの街を鮮やかに彩っています。その腕前は、時のローマ教皇に「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにある」と言わしめたほど。今回はそんな天才彫刻家ベルニーニの最高傑作『アポロンとダフネ』をご紹介します。
高さはおよそ2m50cm。彫られているのはギリシャ神話に出てくる神ゼウスの息子アポロンと、河の神ペネイオスの娘ダフネの物語です。ダフネに恋をしたアポロンがその後を追いかけています。しかし、ダフネは彼を拒絶。アポロンに捕まりそうになった瞬間、ダフネは父に助けを求めました。「私の姿を変えて欲しい」と。その刹那、ダフネの体は月桂樹へと変身していきます。月桂樹が生え始めた指先。悲しみに暮れるダフネの顔。物語のクライマックスが劇的に表現されています。さらに驚くべきは、その質感。布の光沢や振り乱した髪の毛先、繊細な月桂樹の葉など、その全てが迫真を持って見る者に迫ってくるのです。恐るべき造形力と繊細にして華麗な彫り。まさにベルニーニという天才が生み出した大理石の奇跡です。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/121215/index.html
12月15日、テレビ東京美の巨人たち』 ベルニーニ 「アポロンとダフネ」より
ローマは一日にして成らず
ローマ市内に古代ローマを偲ばせる石柱が並んでいる映像が出てきた。
築き上げた栄光と威厳の残照、フォロ・ロマーノは今もこの町の風景の中に佇んでいます。
その永遠の都、ローマを一人占めした男がいました。ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ。時のローマ教皇から、こんな言葉をおくられた彫刻家です。
「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにある」
たとえば、「四つの川の噴水」、「サン・ピエトロ広場」、「サンタンジェロ橋」。ベルニーニの手掛けた作品が400年の時を隔てた今でも、この町を鮮やかに彩っているのです。
その彼の最高傑作があります。
宮殿内の大広間に男女がからみあっている彫刻が出てきた。
恐るべき造形と繊細にして華麗な彫り。人々は大理石の奇跡と呼びました。ところが、その奇跡にはあらゆる謎が隠されていたのです。
白亜の宮殿のような建物が出てきた。
ローマ市内にあるボルゲーゼ美術館。ここはイタリアの名門貴族、ボルゲーゼ家の歴代の当主のコレクションが展示された美術館です。その一室の中央にジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作「アポロンとダフネ」があります。彫刻の高さはおよそ2m50cm。からみ合う男女はギリシャ神話に出てくる神ゼウスの息子アポロンと、河の神ペネイオスの娘ダフネです。
驚くべきはその軽やかさ、その質感。布の光沢や振り乱した髪の毛先、繊細な月桂樹の葉など、その全てが迫真を持って見る者に迫ってくるのです。恐るべき造形力と繊細にして華麗な彫り。まさにベルニーニという天才が生み出した大理石の奇跡です。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8B&gs_l=hp...0.0.0.4.535338...........0.kQajTFksI_I&sa=X&oi=image_result_group