じじぃの「カオス・地球_31_進化を超える進化・装飾品・ライオンマン」

人類の台頭はいかにして起こったか?

動画 TED
https://www.ted.com/talks/yuval_noah_harari_what_explains_the_rise_of_humans?language=ja

ライオンマン


ライオンマン

ウィキペディアWikipedia) より
この獅子頭象牙彫刻は、まずライオンマン(独: Lowenmensch、直訳すると "ライオン人")、次いでライオンレディ(独: Lowenfrau)と呼ばれた。
これは世界最古の動物形象の彫刻であると同時に、いわゆる彫刻として知られる最古のもののひとつである。この彫刻は、動物に人間の性質を擬した擬人化であると解釈されているが、神の表現である可能性もある。
発見されたのと同じ地層の放射性炭素年代測定により、この小立像は約32,000年前のものとされている。これは考古学上、オーリニャック文化のものとされている。
【特徴】
彫刻は高さ29.6センチ、幅5.6センチ、奥行5.9センチである。燧石(ひうちいし)でできた石製ナイフを使い、マンモスの象牙から刻み出された。
左腕に、横方向の曲がった線が7本平行に刻まれている。動物的な特徴としては、ライオンの頭部、すらりと長い体躯、獣の後肢のような腕が挙げられる。人間的な特徴としては、人間的な脚部と足、直立して伸びた背筋が挙げられる。

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文藝春秋 進化を超える進化

【目次】
序章
創世記
第1部 火
第2部 言葉

第3部 美

第4部 時間

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『進化を超える進化――サピエンスに人類を超越させた4つの秘密』

ガイア・ヴィンス/著、野中香方子/訳 文藝春秋 2022年発行

第3部 美 より

第10章 宝物――取引できる美が文化の交易を生み世界をネットワーク化した

交易の広がり

ドイツはドナウ川のほとり、ウルムという町の小さな博物館には、ライオンマンと呼ばれる精巧な像が展示されている。4万年前にマンモスの象牙を彫って作られたこの神秘な獣は、その彫刻家にとって最も恐ろしい捕食者であったはずのホラアナライオンの頭と人間の体を持つ。超自然的存在を具現化した像として、知られている限り最古のものだ。高さはわずか30センチだが、みごとに彫られた体、気力に満ちた顔、まっすぐなまなざしは、並外れた力強さを感じさせる。実験により、当時の技術でこの像を作るには、熟練した人でも400時間かかることがわかった。また、その体の摩耗は、長年にわたって手で扱われていたことを語る。ライオンマンはそれを作った社会にとって、精神的な意味を持つ美しい装飾品だったに違いない。
おそらく、人間界と動物界を行き来できる神だったのだろう。

この氷河時代の創造物は、貝殻ビーズと同じく、生物学的欲求を満たすために作られたわけではない。どちらも、素材に意味のある装飾を施し、美化することによって、その価値を高めたのだ。この像を作った社会は、創造的な技能を高く評価しており、また、その技能を学び訓練するために、時間と人的資源を投じる余裕があった。このライオンマンは、洞窟住居の奥まった部屋で、穴をあけたホッキョクギツネの歯やトナカイの角などと一緒に、大切に保管されていた。ライオンマンの口の中には有機物の微細な残骸があり、考古学者は、それを血液だと推測している。

この人工のシンボルが、洗練された古代社会が共有する物語の中で重要な役割を果たし、人々を団結させ、氷河時代の過酷な環境、ホラアナライオンの脅威、他の部族との闘争を乗り越えて生き残る力を与えていたのだろうと想像すると、ぞくぞくしてくる。

これらの最初期のヨーロッパ人が残した装飾品や印象的な絵画は、彼らが創意工夫に富む人々だったことを語る。彼らは、人類史上最も過酷な状況を単に生き延びただけではなく、文化的に取得したアイデア、技術、資源、資源、そして遺伝子を強力な貿易網によって交換することで、ネアンデルタール人を打ち負かして繁栄したのだ。

ネアンデルタール人を追い出した後、現生人類の人口密度は少なくとも10倍に増えた。彼らが土地の収容能力を向上させることができたのは、装飾品によって富の移転が可能になり、交易が効率的になったからだろう。ネアンデルタール人もさまざまな装飾品を作っていたが、彼らが広く交易したという証拠は残っていない。一方、わたしたちの祖先は、交易によって遠隔地の原材料を手に入れ、それらから楽器や置物、宝石などの付加価値のある装飾品を作り、それらをまた交易した。そのような交易によって、より広大なソーシャルネットワークを構築し、集団の規模や文化制度を拡大し、過酷な環境への体制を強めた。また、ネアンデルタール人ユーラシア大陸の外へ出ることはなかったが、わたしたちの祖先は、外の世界へと拡散していった。

世界を作り変えたヤムナヤ文化

ヨーロッパ人の白い肌、言語、そのた多くの特徴は、非凡な遊牧民、ヤムナヤに由来する。
ヤムナヤは、世界で初めて大陸横断の交易網を構築し、アイルランドから中国までの部族の遺伝子と文化を徹底的に作り変えた。ユーラシア大陸の草原地帯、黒海カスピ海の周辺を本拠地とするヤムナヤは、およそ5500年前に北へ領地を広げ、大いに成功した。彼らは魅力的な商品と、それを売るための兵站を持っていた。ヤムナヤによる変革は、野生の馬をただ狩るのではなく、家畜化し、荷物を運ばせたり、戦時の乗り物にしたりすることから始まった。その後、彼らは車輪を発明し、物品をより遠くまで、より速く運ぶことを可能にした。彼らが暮らす草原を干ばつが襲うと、青々とした牧草と新しい交易の機会を求めて、ある集団は荷馬車で中欧と北欧を目指し、別の集団は東のアジアに向かった。

このヤムナヤの容姿や文化は、ヨーロッパの農民にとって初めて見るものばかりだった。色白で黒い目のヤムナヤの戦士たちは、ブロンズの宝飾品で身を飾り、馬にまたがり、車輪のついた荷車を引いていた。彼らはインド・ヨーロッパ祖語の言語を話し、高度な金属加工技術を持ち、収集価値のある装飾的な宝石や鐘状ビーカーと呼ばれる、複雑な模様が刻まれた鐘型の陶器を作った。この陶器は広く取引され、スカンジナビアからモロッコまでの広域で出土している。最近の分析により、ヤムナヤは大麻も吸っていて、ユーラシア大陸で初めてマリファナの取引を行ったことがわかっている。

ヤムナヤは、牧畜と、家畜の繁殖でも成功を収めた。選択的に交配することで、野生のウシ、ヤギ、ヒツジをおとなしい家畜に変え、肉、皮革、血液、乳製品を調達した。多くの牧畜民が、動物の血を採取する。それは、動物を殺さずに、カロリーとタンパク質を得る良い方法だ。しかし、ヤムナヤは他に先立って、家畜の乳を利用したらしい。多くの鐘状ビーカーにミルクの痕跡が残っていたことから、草原の遊牧民が今も行っているように、ヤムナヤはヨーグルトや凝乳、チーズなどを作っていたと考えられる。そしてこの文化は、彼らの遺伝子を変えた。
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数世紀のうちに、ヤムナヤはヨーロッパの社会、文化、遺伝子に革命的変化をもたらし、その地で農業を営んでいた人々を、石器時代から青銅器時代へと急速に進ませた。常に栄養が足りず、生育不良気味だった農耕民族にとって、乳糖の分解を可能にする遺伝子(ラクターゼ活性持続性遺伝子)は大きな利点になった。今日、北西ヨーロッパの成人のおよそ98パーセントが牛乳を飲むことができる。

絹とペスト

ヤムナヤが遺伝子と文化に革命を起こした時期、世界人口はわずか500万人だった。それがシルクロードの最盛期には、3億6000万人に増えていた。人口の増加は、文化と遺伝子の多様化をもたらした。そして、交易路は単に文化の輸出入を支えるだけでなく、新しいアイデアや技術や信念を伝播し、文化進化を加速させた。

シルクロードの起源は、ヤムナヤが野生の馬を家畜化する方法を発見するよりずっと前に遡る。約7500年前の中国で、職人たちが馬よりもずっと小さな生物を飼い始めた。学名BoBombyx mori 蚕(かいこ)だ。数世紀にわたる交配の結果、蚕はより大きくなり、より速く繁殖し、より多くの卵を生むようになった。こうして品種改良された蚕は、もはや飛ぶことができず、繁殖や、餌となる桑の葉の供給を人間にすっかり頼るようになった。
蚕の幼虫は食用にもなったが、その本当の価値は、その虫が繭(まゆ)を作るために吐き出す糸にあった。蚕の繭を紡ぐと、光沢があって強く、価値の高い絹糸が得られる。その絹糸で織った絹布は金銭の代わりに、他の部族との取引や、和解のための贈り物、兵士や労働者への支払いに使われた。人間が引き起こした生態系の変化、つまり野生種の人為的進化は、生物には利益をもたらさなかったが、人間の文化には大いに寄与した。
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やがて、絹の秘密は外に漏れた。ホータン国の翡翠王に嫁ぐ中国の皇女が、王の指示で髪の毛の中にカイコと桑の種を隠して持ち出したとも、ビザンチンの僧侶2人が竹の杖の中に蚕の卵を入れて持ち出したとも言われているが、真相は闇の中だ。中国は絹生産の独占権を失ったが、主な輸出国であり続けた。絹は、山や川や何千キロもの距離によって隔てられていた部族間の文化と遺伝子の交流を促進した。

そして通貨が生まれた

経済が複雑になり、国際的な貿易網が広がるにつれて問題が生じてきた。多くの国では、商品やサービスの支払いに金などの貴金属を用いていた。そのため、人々は金や銀の塊を持ち歩かなければならなかった。そして取引するたびに、価値に応じた重さを計量し、切り落として支払いにあてた。これは不便だった上、純度の問題にも悩まされた。と言うのも、金は自然な状態でも銀や他の金属と混ざり合っているので、容易に純度を落とすことができるからだ。
アルキメデスは密度を調べることでこの問題を解決したと伝えられるが、単に取引したいだけの場合、その方法は時間がかかり、面倒だ。この問題を解決したのが硬貨である。国家が硬貨を発行し、その価値を証明し、保証することで、純度にまつわる悩みは消えた。貿易は容易になり、活発になった。最初の硬貨はトルコと中国でほぼ同時期(2500年前)に発明され、たちまち成功を収め、大きな富をもたらした。トルコのリュディア王国のクロイソス王は世界で初めて金本位制を確立した。同国の錬金術師が金と銀を分離し、ライオンの紋章を使って重さを刻印するという難しい作業を成し遂げたからだ。たちまち硬貨は、日常的に使われる最も重要なものとして量産されるようになり、経済の形態を変えた。

通貨の次の段階は、まさに革命的だった。刻印によって保障した金貨の信頼度を、基本的に無価値なもの、すなわち紙幣に拡張したのだ。紙幣は人々に信頼の飛躍を求めた。つまり、紙幣は実質的には無価値で、それ自体、美しくはないが、国の印章が押されると、刻印された金貨と同等の価値が付与される。それを承認し、信頼することを人々に求めたのだ。そのためには、紙幣の価値だけでなく、その価値を保証する制度と国家に対する信頼が必要とされた。