じじぃの「カオス・地球_27_進化を超える進化・文化の爆発・陶器の登場」

【短縮版】『火焔型土器をつくる』1.粘土で形成 【縄文土器制作】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=f92PxPgHevw

「火焔型土器」 国宝・新潟県 笹山遺跡出土


縄文文化の基礎知識。土器はいつ作られたのか?

2018.07.05 和樂web
●世界初の土器を生み出したのが縄文文化です
縄文時代のスタートは、今から約1万5000年前。日本列島の温暖化が始まった旧石器時代終盤から弥生文化の直前まで、1万3000年ほど続きました。
「縄文」の名前は、人々がこの時代につくった縄目(なわめ)文様の土器に由来します。
粘土に鉱物などを混ぜた胎土で自由な形をつくり、文様をつけた後、800~1000℃の低温で野焼(のや)きする。粘土が溶けることで硬く固まるという化学変化を利用した縄文土器は、「世界最古の土器」であり、「人類初の化学製品」でもありました。
https://intojapanwaraku.com/rock/art-rock/2056/

文藝春秋 進化を超える進化

【目次】
序章
創世記

第1部 火

第2部 言葉
第3部 美
第4部 時間

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『進化を超える進化――サピエンスに人類を超越させた4つの秘密』

ガイア・ヴィンス/著、野中香方子/訳 文藝春秋 2022年発行

第1部 火 より

第5章 文化の爆発――文化は道具で身体能力を拡張し集団知で問題解決させる

人工物の発明

鳥が巣を作り、ビーバーがダムを作るように、動物も、環境にある物を有用な物に作り替えるが、地球から生の素材を取り出し、それを使って多様で複雑な物を作り、物質的な進化を導いたのは人間だけだ。技術は組み合わせることで進化し、また、社会と文化は相互に結びついているので、あらたな発見や実践は、社会的・技術的な依存関係のネットワークを通じて無数の他者に伝播していく。また人間は、新しい発見を認識し反応する知性や、脳の可塑性を備えている。
たとえば、粘土について考えてみよう。わたしたちは年度からさまざまな物を作ることができる。粘土で作った物を焼くと、柔らかい分子のシートがまったく異なる性質を持つ立体的な硬い物質、つまり陶器に代わり、その形は永続的になる。粘土を焼くことは、粘土の性質を大いに変えるが、人間の文化も大いに変化させた。

陶器は、シチューやスープの調理を可能にした。また脂肉や魚介類を調理したり、発酵飲料を作ったり、液体を運んだりできるようになった。陶器が登場する前の遊牧民は、水の運搬や備蓄に動物の膀胱か皮を使っていたので、血液、乳、水、油、内臓などの入れることのできる硬い容器の登場は画期的だったろう。スープを作れるようになると、乳児の離乳が早くなり、また、滋養豊かで、消化がよく、解毒した食品を幅広く食べられるようになった。危険性のある食物を工夫して食べることも増えただろう。また、陶器の鍋で作った魚のスープにはオメガ3などの脂質が大木含まれ、子どもの脳の発達や女性の生殖能力の向上を促した。スープ1つで、子どもの健康状態や生存率が向上し、結果的に人口がふえたのである。

陶器が農業を可能にしたとも考えられる。陶器がない時代に、どうやって穀類を貯蔵し、調理し、発酵させたのか、想像もつかない。世界各地で、農業が始まった時期に陶器文化が爆発的に発展したのは明らかだ。また、食料の貯蔵は、平等主義だった狩猟採集社会の社会構造、土地所有、経済に永続的な影響を及ぼした。貯蔵された食物は所有・再分配できるので、政治的活動の機会をもたらしたのだ。

粘土は人間が人工物に変えた最初の自然素材であり、社会が発明を生み、その発明が社会の可能性をさらに広げるという、フィードバックの関係を明らかにする。何千年という文化進化の間に、陶器を成形・焼成・装飾する技術は、世界中で、より複雑かつ多様になり、同時にその製品も牛乳壺から置物、レンガ、屋根瓦、照明器具、便器、電子部品へと、複雑かつ多様になっていった。製陶術で1番コストがかかる工程は焼成で、燃料を集め、窯(かま)を高温に保たなければならないが、陶器は何個も焼くことができる。つまり陶器は大量生産によってコストダウンできるので、一度に1個しか作れない籠細工や木箱作りのような競合技術にとって代わり、急速に普及したのだ。

社会がより多くのエネルギーをコントロールするようになると、技術はさらに進歩し、より多くの仕事を、より効率よく行えるようになった。

窯の技術は陶器作りのために発展したが、その高温を保つ技術が、冶金術を生み出したと考えられる。装飾のために岩石を砕くと、銅の小粒が火床に残り、それらは叩いて溶かすことができた。

鮮やかな緑色の孔雀石(マラカイト)、銅藍(どうらん)、硫化銅といった鉱石を高温の火で溶かすと銅が得られるという発見は、衝撃的だったはずだ。地面の下に埋もれている単なる岩に、驚くべき新素材が隠されていて、それはどのような形にもなり、繰り返し作り直して使えることがわかったのだから。

冶金には、陶器作りより多くのエネルギーを必要とした。窯に石炭をくべ、ふいごで燃焼を助け、その内部を摂氏1000度以上の高温にしなければならなかったのだ。それでも、この新たに登場した銅製の硬い刃を使えば、骨や木や石さえ断ち切ることができた。ちなみに、エジプトの巨大ピラミッドの石を、奴隷たちは銅製のノミで削った[青銅製という説もある]。
約30万個のノミが必要だったと推定され、それだけのノミを作るには、坑夫の命が1年ももたない過酷な環境で、およそ1万トンの銅鉱石を採掘しなければならなかった。

紀元前3000年頃には、銅に錫(すず)を混ぜる技術が発明され、青銅が生まれた。銅よりも硬い合金だ。青銅の登場により、新しい交易路が開かれた。錫は捕獲的希少で、イングランドコーンウォール地方から調達しなければならず、そこからはるかアフガニスタンまで、錫の道ができたのだ。この交易路は、商品だけでなく、アイデアも広めた。それは最初の大規模な国際交易ネットワークであり、新興のエリート層をきわめて裕福にした。紀元前1200年頃、この交易路が遊牧民の侵入によって遮断されたため、人々は青銅に代わる物を探した。それはそこら中にあった。ほぼすべての岩石に、最も庶民的な金属である鉄が含まれていたのだ。こうして鉄器時代が幕を開け、それは今も続いている。