じじぃの「科学・地球_483_温度から見た宇宙・生命・人類・最初の火花」

【ゆっくり解説】縄文時代の謎!

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cA--eRYTbg4

縄文土器

ウィキペディアWikipedia) より
縄文土器は、日本列島各地で縄文時代に作られた土器である。日本列島における土器の出現=縄文時代の始まりであり、明確な稲作農耕文化に伴う土器型式は弥生土器とされる。
縄文時代の土器すべてが縄目文様を施すわけではなく、さらに縄文時代を通じて土器に縄文を施さない地域もある。そのため、縄文時代に作られた土器をもって縄文土器であるという定義もある。このような定義は再帰的かつ同語反復にも見えるが、あまりにも多様で、土器であるという以上の普遍的定義が難しい縄文土器の実態を考えると、境界領域では納得せざるをえない。
縄文時代の年代は流動的ながら、放射性炭素年代測定法によると約1万6000年前に始まり、約2400年前(紀元前5世紀)までである。

                • -

『温度から見た宇宙・物質・生命――ビッグバンから絶対零度の世界まで』

ジノ・セグレ/著、桜井邦朋/訳 ブルーバックス 2004年発行

第2章 尺には尺を より

最初の火花

ホモ・サピエンスの祖先のうち、どの種が火をおこす術を身につけたのか、あるいは、いつ最初の火が燃やされたのかについてはわからない。わかっているのは、私たちがアウストラロピテクス族の類人猿の子孫であるということだけである。
アフリカ中南部に出現した私たちの祖先は、500万年ほど前にチンパンジーから分岐して、その進化の道筋を、アウストラロピテクス・アナメンシスから、同アファレンシス、次いで同アフリカヌスとたどったのであった。この最後の祖先は背丈が120センチメートル、体重30キログラム足らずで、脳の大きさは私たちの3分の1であった。人間というよりも、チンパンジーにずっとよく似ていたが、骨盤の形はすでに、挙を地につけて動くよりも直立して歩くように変わっていた。
その後、およそ250万年前に、もう一度分岐が起こった。初期のいくつかの類人猿は絶滅してしまったが、一種が生き延び、進化して反映し、ホモ・ハビリスから、ホモ・エレクトスへ、そして遂にホモ・サピエンスへと変異した。
初期の洞穴には、少なくとも20万年前に、木で火を燃やした化学的な証拠がある。この頃が、ホモ・エレクトスからホモ・サピエンスへの移行期にあたっているのである。これらの洞穴は、木々が選択的に吸収したミネラルを含む灰の堆積物が残されている。この事実は木材が燃やされたことを示唆するが、人工の火かどうかを立証するには十分ではない。しかし多くの石器、原始的な暖炉、捕えられて食用にされた大きな哺乳類の骨が見つかっているので、当然、人類がすでに肉食性だったことは想定できる。
ハンガリーのヴェルトツォロスの近くでは、キャンプ・ファイアをしたあとに見られるように放射状に焼いた骨が並べられている場所が残っている。これは明らかに人工の火を用いて作られており、その年代は少なくとも20万年以上前までさかのぼれる。これよりもっと古い年代を正確に決定する方法は知られていない。
    ・
生の塊茎は繊維が多く消化できないが、調理すると容易に消化できるエネルギーに変えられるのである。アフリカでは現在でも、これら塊茎が最も多く食されている。ランガムは、アフリカ平原ではこのデンプン質の根が180万年前にすでに調理されたと言っている。この主張は、人間社会の進化における多くの相対立する理論の1つだが、疑問が残る。確かに根菜を調理した時に比べて、肉を調理すれば骨というはっきりした痕跡が残る。しかし、根菜も何かはっきりとした化学的痕跡を残しているに違いない。
火は食事だけではなく、人々の生活様式をも変えた。赤々と燃える焚き火は動物を脅かして遠ざける。洞穴の入り口にある火は、最も危険な侵入者すら中に入れないようにしてしまう。
火はまた、洞穴内に光をもたらし、奥深くに住むことを可能にする。さらに、火は、人類が進化してきた中緯度帯から、厳しい気候帯に向けての移住を可能にした。特に、人類が狩猟の道具をもち、衣類を作れるなら、この移住はさらに容易になる。
良質の武器や道具が5万年くらい前に南東ヨーロッパと近東に出現した。この時代は「大躍進時代」と呼ばれている。槍(やり)や銛(もり)を使って遠くから大きな動物を狩ることが可能となり、裁縫は衣類の質を向上させた。ラスコー洞穴内の巨大な壁画のように、芸術が誕生した。しかしこのような進歩があったものの、人類はずっと石器時代に留まっていた。道具や武器はかなり改善されたが、それらは岩石を砕いたtり削ったりして作られていたのだった。温度は依然として、道具製作の要因ではなかった。
このような移行のあと、人類は間もなく、地殻に大量にある粘土を使い始め、それを乾燥させたり、火で焼くなどして利用するようになった。粘土は通常、酸化鉄を含んでいるので、約過程で固くなるだけでなく、色ももつことになる。酸素の豊富な空気中で焼くと赤い色が強くなるし、煙の立つ酸素の乏しい空気中で焼くと、悪い磁鉄鉱に変わる。

最古のものとして知られる粘土像は、2万7000年も前までさかのぼるもので、現在のチェコ共和国で発見されている。また、最古の粘土の焼き物は、日本で見つかったもので、1万4000年前のものである。

野生の穀物を収穫するための道具は、紀元前1万1000年頃の遺跡で出土している。人類の一部は、1万年ほど前に、狩猟・採集者から農業耕作者へと移行した。この移行は、地中海沿岸部、東南アジア、それに、中東のティグリス、ユーフラテス両河にまたがる肥沃な三日月地帯で起こった。その2500年後には、肥沃な三日月地帯で小麦と大麦が栽培されていたという明確な証拠がある。農耕用のよりよい機具、貯蔵用のよりよい容器、それに戦争用のよりよい武器が必要となったこれら初期の文明は、火のおこし方の改良へと乗りだしたのだった。この変化は、金属の加工法に顕著に現れている。
    ・
鉄は2段階で精錬する必要があるため、単に火で灼(や)くだけではだめで、大変な改良を必要とした。地中にある鉄は普通、酸化鉄の状態で見つかるので、鉄の精錬の第一歩は、酸素を追い出すことである。還元として知られるこの過程は、実際には炉に酸素を送り込んで820度Cの温度で進められる。送りこまれた酸素は、燃える木炭の中の炭素と化合して一酸化炭素を生成する。この一酸化炭素が酸化鉄から酸素を奪い、二酸化炭素を作る。この二酸化炭素は注意深く排気され、あとに鉄が残る。
だが、この最初の鉄には、まだいろいろな不純物が含まれている。第2段階でこれをさらに加熱すると、溶融した鉄から鉱滓(こうし)が浮かび上がり、それを流し出すと、あとに純鉄が残る。この最終段階では温度は、これら不純物の融解温度以下で、かつ鉄の融解温度の1500度C以下にしなければならない。文明のこの段階を、私は、1400度Cの温度で表現することにする。
人類がおこした火は、多くの地域で今から2000年ほど前までには1400度Cに達した。その後1600年間にわたって、あまり大きな進歩は、少なくとも西洋社会ではほとんどなかった。だが、以後、温度の測り方に著しい進歩があったおかげで、事態は急変したのであった。