約2千年前の弥生時代、なぜ凄惨に殺された人骨が大量発掘…国と課税と戦争の誕生
2018.09.20 ビジネスジャーナル
通説では紀元前4世紀ごろに九州北部で始まったとされる弥生時代といえば、水稲農耕が始まった時代として知られる。縄文時代晩期に渡来人によって北九州に伝えられた水稲技術が、まず西日本、次いで東日本にも広まった。
同じ時期に日本列島に広まったものがある。戦争だ。
考古学の研究結果によれば、狩猟採集に基礎を置く縄文時代には、集団と集団とがぶつかり殺し合う戦争はなかった。専用の武器をつくらなかったし、ムラの守りを固めることもなかった。殺されたことが確かな埋葬人骨もごく少ない。
ところが弥生時代に入ると様子が一変する。周囲に堀を巡らした環濠集落や、台地や山頂に築く高地性集落など、防御を固めた集落が現れる。青銅・鉄・石による専用の武器が登場し、武器を祭器として尊崇する信仰まで生まれる。
https://biz-journal.jp/2018/09/post_24828.html
『理系の素朴な大疑問』
博学こだわり倶楽部/編 KAWADE夢文庫 2019年発行
弥生時代の始まりが500年早まるって? より
日本の文化でいちばん古いのが縄文時代で、その次が弥生時代である。
では、縄文文化と弥生文化の違いはなんだろうか。
答えは土器である。古代日本では縄文土器が使われていたが、大陸から稲作が伝わると弥生式土器が使われはじめた。それが、弥生時代のはじまりというわけだ。したがって、弥生時代のはじまりを探すカギは、土器の年代測定ということになる。
弥生式土器の年代を測定する際、これまでは出土した土器を中国や朝鮮の青銅器と比べて似通ったものを同年代としたり、出土した地層から年代を類推していたりした。
ところが最近は、「炭素14年代法」と呼ばれる科学的な測定技術によって調査ができるようになっている。
炭素14年代法では、大気や海水、生物の体に含まれる放射性炭素(炭素)を利用して土器の年代を特定する。土器の場合、表面に付着している煤(すす)から年代を導き出す。
2003年、国立歴史民俗博物館がこの炭素年代法を用いて北部九州出土の弥生式土器を測定したところ、考古学界を揺るがす結果が出たという。
土器は紀元前10世紀頃のものということが明らかになったのである。つまり、弥生時代は紀元前10世紀頃からはじまっていたことを示している。
従来の定説では、弥生時代のはじまりは紀元前3~4世紀、早くても紀元前5世紀とされていた。だが、この調査結果が正しいとすると、500年以上早まることになる。
この新説をうけた東京大学のグループは、3年にわたって検証をかさね、2008年に「弥生時代の起源は紀元前10世紀頃である」という報告書をまとめた。
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どうでもいい、じじぃの日記。
むかしむかし、大陸と陸続きだった頃に日本列島に渡った人たちが縄文文化をつくり、後にやってきた渡来人は弥生文化をつくりました。
弥生人は、元々住んでいた縄文人とも仲良く暮らして日本人が形成されていったのです。
めでたし、めでたし。
ところが最近の研究では、弥生人が大量に日本に移り住んだ紀元前後に、約30万人いたとされる縄文人が約8万人にまで減ったのだとか。
考えられるのは、弥生人による縄文人 集団虐殺(ジェノサイド)があったのではないか。
なにか、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を駆逐していったようなイメージです。