じじぃの「人の死にざま_1275_川瀬・巴水」

川瀬巴水 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%B7%9D%E7%80%AC%E5%B7%B4%E6%B0%B4/104742
川瀬巴水 大田区立「郷土博物館」 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=V5bXdTWWtDs
千葉市美術館 生誕130年 川瀬巴水展 ― 郷愁の日本風景 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=EG2yzWtr-GY
木版画 「東京十二題 こま形河岸」

木版画 「馬込の月」 昭和5年

ジョブズが愛した新版画家・川瀬巴水、そして関連本と展覧会 2013年12月22日 トブ iPhone
スティーブ・ジョブズが日本の文化の影響を受けたことはよく知られています。蕎麦や寿司を好んだり、禅宗に傾倒したり。
書籍「ジョブズの料理人」第4章に次の様にあります。
 スティーブは版画の前で足を止めて、「日本に行くたびにこの版画家の作品を何点か買ってくるんだ」とうれしそうに話していた。
http://applembp.blogspot.com/2013/12/Hasui-Kawase-Steve-Jobs-Shin-hanga.html
生誕130年 川瀬巴水展 - 郷愁の日本風景 千葉市美術館
会期:2013年11月26日(火)〜 2014年1月19日(日)
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2013/1126/1126.html
日曜美術館 「郷愁に染まる風景 〜版画家 川瀬巴水〜」 2013年12月22日 NHK Eテレ
【出演】大林宣彦(映画監督)
大正から昭和にかけて活躍し、生誕130年を迎える版画家・川瀬巴水(かわせ・はすい 1883〜1957)。生涯、日本全国を旅し、600点に及ぶ大量の風景版画を残した。日本よりも欧米での人気が高かった巴水だが、東日本大震災をきっかけに、いま、郷愁を誘うその風景に注目が集まっている。巴水の名を世に知らしめたのは、関東大震災のあとに東京を描いたシリーズ。被災した巴水自身がこだわったのは、震災前と変わらぬ情緒ある東京。そこには、失われ行く風景への独自の思いが込められていた。
巴水が、版画と出会ったのは35歳の頃。もともと日本画を学んでいたが、なかなか芽が出ず苦しんでいたときのことであった。きっかけは“新版画”と呼ばれる新しい試みに挑んでいた版画店の店主渡邊庄三郎との出会い。“新版画”は、浮世絵の技法を受け継ぐ彫師、摺師(すりし)の熟練した技術を用いながら、すりむらやバレン跡をそのまま生かすなど、浮世絵の常識を打ち破り、新時代の版画を生み出そうというものだった。巴水は鋭いまなざしで、風景の微細な光や影の表情を捉え、浮世絵にはない新しい日本の風景を切り取って行く。
初期の頃の作品から、多くのなぞを秘めた絶筆まで、その豊かな表情をじっくりと味わいながら、巴水の魅力に迫っていく。
巴水の絶筆となったのが、岩手県平泉の中尊寺金色堂を描いた「平泉金色堂」だった。
映画監督の大林宣彦さんは、僧侶が一人階段を上っていく絵を見て、晩年の自身の心を描いたのではないか、と語った。
巴水は版画となった自分の作品を見ることなく、胃がんで亡くなった。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2013/1215/index.html
川瀬巴水 ウィキペディアWikipedia)より
川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年(明治16年)5月18日 - 1957年(昭和32年)11月7日)は、日本の大正・昭和期の浮世絵師、版画家。本名は川瀬 文治郎(かわせ ぶんじろう)。
衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られる。近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる。アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介によって欧米で広く知られ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎歌川広重等と並び称される程の人気がある。
1957年(昭和32年)、自宅において胃がんのため死去。享年74。

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『すぐわかる画家別近代日本版画の見かた』 岡本祐美、滝沢恭司、今井圭介、西山純子/著 東京美術 2004年発行
旅情を詩う風景版画 「川瀬巴水 (一部抜粋しています)
荒木寛友、鏑木清方日本画を、洋画を岡田三郎助に習った巴水は、従来のイメージを大胆に破った伊東深水の<近江八景>をみたことが機縁となって、版画家として立つ決心をしたと自ら語っている。
その<近江八景>が版行された1918年(大正7)に巴水は塩原三部作でデビューする。これらは、夕景・雨景・晴景を描き分け、その風情が風景版画の楽しみを教えてくれる。また、省筆する部分の大胆さは、新しい風景版画に意欲を燃やす巴水の意気込みを示していた。
巴水の作風を決定づけたシリーズ《旅みやげ第一集》は、繊細で洗練された描写が画面を支配する。画家の感性が、対象となった土地の生活に入り込み、その生活感情が深い感動を呼びおこさせるのである。
新しい様式による浮世絵版画の復興を目指した渡邊庄三郎にとって、巴水の登場はこの上ない喜びであったろう。以後、巴水が亡くなる1957年(昭和32)に至るまで、版元と画家の信頼が、数々の優品を生み出してした。渡邊の版画制作にかける情熱と、彫師(ほりし)・摺師(すりし)の技に支えられた巴水は、スケッチの段階で版画の効果を十分に予測し、版画の正確に合わせて絵が出来上がるようになったのである。

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