じじぃの「日本神話・天孫降臨伝説の地はどこか?謎解き世界史」

天孫降臨高千穂峰 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=7aCvKLzcIn0
天孫降臨 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E9%99%8D%E8%87%A8&gs_l=hp...0l5j41l3.0.0.7.1772907...........0.TWI2nZd1_do&sa=X&oi=image_result_group
歴史秘話ヒストリア 「女王・卑弥呼は どこから来た? 〜最新研究から読み解く 二つの都の物語〜」 (追加) 2014年6月4日 NHK
【案内役】渡邊あゆみ
●エピソード1 卑弥呼はここに住んだ?纒向遺跡
簡素な竪穴住居が一般的だった時代、高床式建物が並ぶ“都市”−奈良県・纏向(まきむく)遺跡から推測された景観です。ところがこの遺跡、近畿にあって同地域の他の遺跡と異なり、むしろ日本の他の地方との共通性が数多く発見されました。纏向は、九州から関東の人々が集住した古代都市だったのか。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
プライムニュース 「古事記に学ぶ『国柄』 日本人のルーツを探る 神話の自然観と死生観」 2013年8月14日 BSフジ
【キャスター】八木亜希子、反町理 【ゲスト】工藤隆(古代文学研究家 大東文化大学名誉教授)、竹田恒泰慶應義塾大学講師 明治天皇玄孫)
改憲論議において、識者から「伝統や歴史など国柄を盛り込むべき」という意見が出ている。国柄を知る上で参考になるのが、約1300年前に編さんされた日本最古の歴史書古事記」である。それには、神々による日本の成り立ちに関する神話や、その子孫である天皇のことなどが描かれている。
日本再建が叫ばれる今、古事記から国柄を知り、何を学ぶべきなのかを考察する。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d130814_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d130814_1
天孫降臨 ウィキペディアWikipedia)より
天孫降臨は、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(邇邇藝命・ににぎ)が、葦原中国平定を受けて、葦原中国の統治のために降臨したという日本神話の説話である。
古事記
天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命玉祖命の五伴緒を従えさせ、天降りをすることになった。
さらに、三種の神器八尺瓊勾玉八咫鏡天叢雲剣)と思金神、手力男神天石門別神を副え、「この鏡を私(天照大御神)の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。思金神は、祭祀を取り扱い神宮の政務を行いなさい」(「邇邇藝命者 此鏡者同我御魂 欲祭此者 當如拜吾前 尊崇而祭之 次 思金神者 取持前事 輔其為政」『古事記』)と言った。
これらの二柱の神は伊勢神宮に祀ってある。登由宇気神伊勢神宮の外宮に鎮座している。天石門別神は、別名を櫛石窓神、または豊石窓神と言い、御門の神である。手力男神は佐那那県(さなながた)に鎮座している。
天児屋命は中臣連(なかとみのむらじら)の祖神である。布刀玉命は忌部首(いみべのおびと)らの祖神である。天宇受売命は猿女君(さるめのきみ)らの祖神である。伊斯許理度売命は作鏡連(かがみつくりのむらじ)らの祖神である。玉祖命は玉祖連(たまのおやのむらじ)らの祖神である。
邇邇藝命は高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降った。
古事記 ウィキペディアWikipedia)より
古事記は、その序によれば、712年(和銅5年)に太朝臣安萬侶によって献上された、現在確認できる日本最古の歴史書である。上・中・下の全3巻に分かれる。原本は現存せず、幾つかの写本が後世に伝わっている。この写本の序に記された『和銅年』及び月日に拠って古事記の成立年代としている。
古事記』は神典の1つとして神道を中心に日本の宗教文化と精神文化に多大な影響を与えている。古事記に現れる神々は、多くの神社で祭神としてまつられている。
【概要】
成立の経緯を記している序によれば、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したもの。一般的に「誦習」は「暗誦」することと考えられているが、荻原浅男小学館日本古典文学全集)は、「古記録を見ながら古語で節をつけ、繰り返し朗読する意に解すべきであろう」という。
古事記』の書名は、もともと、固有名詞ではなく、古い書物を示す一般名であり、正式名ではないといわれている。書名は安万侶が付けたのか、後人が付けたのかは明らかでない。読みは「フルコトブミ」との説もあったが、今日では一般に音読みで「コジキ」と呼ばれている。
日本書紀 ウィキペディアWikipedia)より
日本書紀とは、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本における伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全三十巻。系図一巻が付属したが失われた。
【原資料】
日本書紀』の資料は、記事内容の典拠となった史料と、修辞の典拠となった漢籍類(『三国志』、『漢書』、『後漢書』、『淮南子』など)にわけられ、さらに、史料には以下のようなものが含まれると考えられている。
帝紀
旧辞
古事記
・諸氏に伝えられた先祖の記録(墓記)
・地方に伝えられた物語(風土記
・政府の記録
・個人の手記(『伊吉連博徳書』、『難波吉士男人書』、『高麗沙門道顯日本世記』、(釈日本紀に挙げられている『安斗宿禰智徳日記』、『調連淡海日記』))
・寺院の縁起
・日本国外(特に、百済の記録)
・その他

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『古代史論争最前線』 安本美典/著 柏書房 2012年発行
卑弥呼はだれか、邪馬台国はどこか (一部抜粋しています)
北九州から出雲方面には天の菩卑(ぼひ)の命が行き、それから大和方面には饒速日(にぎはやひ)の命が天下り、そして、南九州には邇邇藝(ににぎ)の命が天孫降臨したという形で行ったとみられます。
このように、この台与の時代は、北九州から日本のあちこちに勢力がおよんでいった時代だったろうと思います。その一環として南九州に天降った人たちがいた。そうしてそれが後の大和朝廷につながるということになるというわけです。
要するに、日本の神話では、邇邇藝の命の3代後の子孫の神武天皇が、宮崎県から出発して東征して大和朝廷を建てました。それは北九州にあった邪馬台国のヤマトの名を継ぐものであったと、私は考えるわけです。

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『謎解き世界史 ふしぎ伝説の真相に迫る!』 歴史の謎を探る会/編集 KAWADE夢文庫 2010年発行
古事記』『日本書紀』に示された「天孫降臨」の地とは… (一部抜粋しています)
古事記』『日本書紀』によれば、天上の日のアマテラスが、その孫ニニギに地上を治めるために天降りさせたことにより、日本がはじまったとされている。ニニギの子孫は天皇家とつながっていき、そこから日本は発展していくのだ。
この天孫降臨(てんそんこうりん)と呼ばれる物語をはじめとする日本の神話に関しては、これまで大和政権が創作したものであると考えられてきた。しかし、必ずしもフィクションとは言い切れない部分がある。天孫降臨にしても、ニニギが降り立ったと伝わる場所が存在するのだ。
その場所はどこかというと、「高千穂(たかちほ)」という地である。『古事記』には「竺紫(つくし)の日向の高千穂」とあり、『日本書紀』には「日向の襲(そ)の高千穂峰」と記されている。
では、ふたつのうち正しいのはどちらか。天皇家発祥の地という特別な場所だけに、その比定地をめぐっては今も激しい論争が繰り広げられている。
論争のキーワードは、『古事記』『日本書紀』のどちらにも登場する「高千穂」である。宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山高千穂峰と、宮崎県高千穂町が有力な候補地だ。
霧島山高千穂峰天孫降臨の地とする「霧島説」は、言葉を根拠にしている。『日本書紀』に記された「日向の襲の高千穂峰」の「襲」とは、鹿児島県の大隅地方を指す。したがって「日向(宮崎県)と襲(鹿児島県大隅地方)の高千穂峰」とくれば、宮崎県と鹿児島県大隅地方の境にある霧島山高千穂峰に間違いというのである。
また『古事記』には「韓国に向かひ」という記述がある。霧島説の支持者は、この「韓国」はお隣の国、大韓民国のことではなく、霧島山高千穂峰の北西に位置する「韓国岳(からくにだけ)」のことだと見なしている。そこから、ニニギが降り立ったのは、霧島山系の高千穂峰に違いないというのである。
一方、宮崎県高千穂町天孫降臨の地とする「高千穂町」は、史跡を根拠としている。
日向国風土記』には「ニニギが天下り、稲のモミを投げると、あたりの霧が一斉に晴れたので、そこに宮を建て、その地を『高千穂』と呼んだ」とある。現在、高千穂町には高千穂神社というニニギを祀る神社があるのだが、その神社が『日向国風土記』に出てくる「宮」だというのだ。
また高千穂神社の近くにはアマテラスが隠れたとされる岩戸をご神体とする『天岩戸神社』や、ニニギなどを祀る「くし触(ふる)神社」、神武天皇の兄弟神が誕生したという「四皇子降誕地」など、神話にまつわる史跡が多く残されている。
こうした事実を考慮すると、高千穂町このニニギが降り立った場所にちがいないというのである。
さらにニニギという名前には「稲の穂が実る」といった意味合いもあるため、霧島山にニニギが降り立つよりも、稲の生育地としてふさわしい盆地である高千穂町に降り立つほうがふさわしいといった説もある。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『謎解き世界史 ふしぎ伝説の真相に迫る!』という本をめくっていたら「古事記日本書紀に示された『天孫降臨』の地とは…」というのが出てきた。
天孫降臨」というのは『古事記』と『日本書紀』に出てくる。
古事記』は天皇一家の記録を中心とした記録で、天皇家の血すじを書いたものだが、これに対し『日本書紀』は日本とその周辺国も意識して書かれ、『三国志』や百済の記録、『古事記』、地方の風土記などからなる。
「論争のキーワードは、『古事記』『日本書紀』のどちらにも登場する高千穂である。宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山高千穂峰と、宮崎県高千穂町が有力な候補地だ」
また、こんなことも書かれている。
「ニニギという名前には『稲の穂が実る』といった意味合いもあるため、霧島山にニニギが降り立つよりも、稲の生育地としてふさわしい盆地である高千穂町に降り立つほうがふさわしいといった説もある」
天孫降臨と言うんだから、平らな平野か、盆地に降り立ったんだろうなあ。
安本美典著 『古代史論争最前線』にはこんなことが書かれていた。
「要するに、日本の神話では、邇邇藝の命の3代後の子孫の神武天皇が、宮崎県から出発して東征して大和朝廷を建てました。それは北九州にあった邪馬台国のヤマトの名を継ぐものであったと、私は考えるわけです」
なんか、説得力がある。