じじぃの「神話伝説_43_神武天皇」

神武天皇のお話1 動画 Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=aQ1YjnNODYo
神武天皇のお話2 動画 Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=o4CctILE0QY
神武天皇

皇室のきょうかしょ 少年タケシ
神武天皇は実在した
初代天皇神武天皇は「伝説の人物で実在しない」といわれることがあります。むしろ戦後は盛んに非実在説が唱えられ、この考え方が広く浸透しているのが現状です。
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/takeshi/column/koshitsu/koshitsu62.html
[日本の歴史]を読んで
●大和平定 紀元前660年
平和宣言「八紘一宇」による日本建国−天孫系と出雲系の合体。 神武天皇は大和を平定して橿原に都を開き、この地で即位式を行った。これが檀原神宮(奈良県)のもとであるが、そのときにこういうことを言っている。
「六合を兼ねて都を開き、八紘を掩(おお)いて宇となさん。また可(よ)からずや」
http://bewithgods.com/hope/japan/a08.html
神武天皇 ウィキペディアWikipedia)より
神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)は、日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇古事記日本書紀による)。
日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日 - 神武天皇76年3月11日とされる。
古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。
【即位】
辛酉の歳(神武天皇元年)の正月、磐余彦は橿原宮践祚し、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称した。52歳であった。
神武天皇2年、功を定め、道臣命は築坂邑に大来目を畝傍山の西に居住させ、椎根津彦倭国造に、弟猾を猛田邑の県主、弟磯城磯城の県主に任じ、高皇産霊尊の子孫の剣根を葛城国造に任じた。併せて八咫烏を「幸を運ぶ鳥」と褒賞した。
神武天皇4年、天下を平定し海内無事を以て詔し、鳥見山に皇祖天神を祀った。
神武天皇76年、127歳にして崩御した。

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『日本神話の謎を楽しむ本』 鎌田東二/監修 PHP研究所 2012年発行
神武天皇 長き旅路の末に初代天皇に即位した伝説的覇王 (一部抜粋しています)
現代にいたるまで連綿と続いてきた天皇の系譜。その初代にあたるのが神武天皇である。天孫ニニギの孫ウガヤフキアエズの四男として生まれ、名を「豊御毛沼命(とよみけぬまのみこと)」、または「神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)」という。「カムヤマト」は「神聖な大和」。「イワレ」は「謂(いわ)れ」で、「神聖な大和の由来を表わす男」の意となり、この名自体が初代天皇を表わしているといわれる。
そのイワレビコは、『古事記』によれば、天下を治めるための地を求め、長兄イツセとともに日向国高千穂から東征の旅に出発した。当初は順調に進軍した東征軍であったが、浪速(現在の大阪府)の白肩津に至った際には、土地の豪族ナガスネビコが立ち塞がって妨害。この激戦でイツセは負傷し、東征軍は撤退を余儀なくされる。ここでイツセは太陽に向かって、つまり西から東へ進軍したのがよくないとして、熊野への迂回を選ぶも、途中で力尽きた。『日本書紀』によれば、熊野に至ったところで暴風雨に絶望した次兄のイナヒと三兄のミケヌまでもが海中に身を投じてしまう。
さらに熊野の神の毒気にあたり、東征軍は壊滅の危機を迎えるが、ここで天津神の助けが入った。タケミカズチが剣を授けてイワレビコを毒気より解放し、タカミムスヒが道案内の八咫烏(やたがらす)を遣わして大和(現在の奈良県)への道を先導させたのである。
これを受けて、土地の首長たちの服従を受け容れながらイワレビコ一行は吉野を踏破。エウカシや土蜘蛛のヤソタケルなどを打ち破って大和入りを果たす、最後に、ナガスネビコの主・ニギハヤヒが宝物を進呈して服従し、大和平定が成し遂げられた。そしてイワレビコ橿原宮で即位したのである。