じじぃの「神話伝説_42_ヤマトタケル」

天皇系図 12〜19代

ヤマトタケルノミコトは今の天皇ご一家の先祖なんですか? 2010/3/7 Yahoo!知恵袋
古事記日本書紀に書いてある事が本当ならば、現在の天皇ご一家の先祖ということになります。
ヤマトタケルノミコトは12代景行天皇の2番目の息子で、本人は若くして亡くなっていますが、その息子は14代仲哀天皇として天皇に即位しています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1137679161
ヤマトタケル ウィキペディアWikipedia)より
ヤマトタケル(やまとたける景行天皇2年 - 43年)は、記紀に登場する皇子である。ヤマトタケルノミコト(やまとたけるのみこと)とも呼ばれ、諱は小碓尊(命)(おうすのみこと)。第12代景行天皇の皇子・第14代仲哀天皇の父。

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『日本神話の謎を楽しむ本』 鎌田東二/監修 PHP研究所 2012年発行
倭建命(ヤマトタケルノミコト) 父に疎まれ、征旅の果てに倒れた悲劇の英雄 (一部抜粋しています)
ヤマトタケルは、日本国土を平定した類(たぐい)稀な武勇と悲劇的な生涯から、日本人に人気の高い英雄である。第12代景行天皇(オオタラシヒコ)の皇子で、幼名をオウスといった。ふつうなら皇位継承者にもなれた人物である。しかし、『古事記』によると、実父の景行天皇は、オウスが生まれ持ったか怪力に恐れをなし、自分から遠ざけて過酷な遠征へ向かわせる。
あるときオウスは、兄オオウスが父の側女(そばめ)を奪ったことに憤(いきどお)り、兄の手足をひきちぎって殺してしまった。オウスの怪力と粗暴性を恐れた天皇は、九州南部に割拠してヤマト政権に抵抗する熊襲(くまそ)の首長クマソタケル兄弟の征討を命じるのだ。
オウスが熊襲の領域に入ると、ちょうどクマソタケル兄弟の屋敷は宴会の最中。オウスは叔母のヤマトヒメにもらった衣装で少女に扮して宴会に紛れ込んだ。クマソタケル兄弟はオウスの美貌に油断し隙を見せたため、オウスはすかさず兄を殺害。続いて逃げ出した弟を捕えると、尻から剣を突き刺して殺害した。その際、オウスの武勇を讃え、弟は「ヤマトタケル」の名を捧げている。
こうして首尾よく熊襲を平定したヤマトタケルは、直接大和へは帰らず、出雲の首長イズモタケルのもとへと赴(おもむ)き、友人として近づくと、騙し討ちによりイズモタケルを討ち取っている。その活躍は、華々しい英雄伝というより、一見卑怯な騙し討ちばかりが目立つが、日本人が騙し討ちを恥とするようになったのは、鎌倉時代以降で、当時はあくまで勝利することが大事だった。敗者は弱者でしかなかった。
父のもとに戻ったヤマトタケルであるが、褒(ほ)められるどころか、すぐに東国平定を命じられてしまう。ここでようやく父から疎まれていることを知ったヤマトタケルは、苦難の東国遠征の末に伊吹山の神との闘いに敗れ、短い生涯を終える。彼の魂は一羽の白鳥となって飛び立ったという。