じじぃの「世界初のオートフォーカスカメラ・コニカC35AF!国産はじめて物語」

Konica C35 AF.3gp 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4Mhb3rY7iGU
Konica Hexar AF Review 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=JL8Nd1_O_8w
コニカミノルタ、カメラから撤退 ソニーが「α」を継承 2006年01月19日 ITmedia ニュース
デジタル化が加速させた優勝劣敗の原則は名門を撤退に追い込んだ。コニカミノルタは、不振のカメラ・フォト事業から完全撤退。「αマウント」はソニーが継承し、同マウント準拠のデジタル一眼レフカメラを発売する計画だ。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0601/19/news047.html
オートフォーカス ウィキペディアWikipedia)より
オートフォーカス(Autofocus)とはカメラのピント合わせを自動化する機能のこと。近年販売されているコンパクトカメラや一眼レフカメラにおいては標準的に装備されている。また、一部のカメラ付き携帯電話に搭載されるものもある。AFと略されることがある。
【黎明期のオートフォーカスカメラ】
世界で初めてオートフォーカスを搭載した市販カメラは1977年11月に発売された愛称「ジャスピンコニカ」ことコニカC35AFである。二つの窓から入った被写体像を二つのミラー(片方は固定、片方は可動)で捉え、その二つの像が合致する箇所を判断、そのピント位置にレンズを駆動する。すなわち二重像合致式の距離計を自動化した原理である。これがベストセラーとなりヤシカAFが1978年10月、フラッシュフジカAFが1978年11月、ミノルタハイマチックAFが1979年10月、キヤノン「オートボーイ」AF35Mが1979年11月、ローライフラッシュ35AFが1980年4月、マミヤ135AFが1981年5月、オリンパスC-AFが1981年3月、ペンタックスCP35AFが1982年11月、ニコン「ピカイチ」L35AFが1983年3月と各社追随した。ほぼ同時期ながら1978年ポラロイドSX-70は唯一超音波を被写体に投射して距離を測定するシステムにてオートフォーカスを実現した。

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『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』 レトロ商品研究所/編集 2003年発行
世界初のオートフォーカス・カメラ 「コニカC35AF」 (一部抜粋しています)
電子シャッター、ストロボ内蔵、そしてボディの小型化、プラスティック使用による軽量化と、カメラは短期間にめざましい進歩をとげていたが、業界そして一般ユーザーの究極の夢ともいえるオートフォーカス(Auto Focus)の実用化は遅々として進んでいなかった。
オートフォーカスの試みは、8ミリカメラ用や一眼レフの交換レンズ用で行われていたが、カメラ本体より重いなど実用化とはほど遠いものであった。またその心臓部には非常に高価なアメリカ製の部品が用いられ、もし実用化してカメラに内蔵できるようになったとしても、コストパフォーマンス的に高級かつ高価なカメラ向けになるであろうというのが業界の常識だった。
巨人軍の長島茂雄選手が「巨人軍は永久に不滅です」の名言を残して引退した昭和50(1975)年に、世界初のストロボ内蔵カメラが発売された。「ピッカリコニカ」と名付けられたこのカメラは、世間をあっといわせ、爆発的なベストセラーになった。
コニカではこのピッカリコニカオートフォーカスを内蔵しようという意表をついた発想で開発に着手した。まさに業界の、世間の常識をくつがえすところからのスタートだったのである。
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世界初の自動焦点調整機能(AF)カメラは、巨人軍の王選手が米大リーグのアーロンの記録を抜く通算本塁打756号を達成した1977年に「ジャスピンコニカ」の愛称で誕生した。それは「ピッカリコニカ」発売の2年後のことであった。
ピント合わせに悩まされ、ピンボケ写真に手を焼いていたアマチュアカメラマンたちにとって、「覗いてシャッターを押すだけ、後はすべてお任せ」というカメラの登場は願ったり叶ったりの朗報だったに違いない。このカメラのテレビCMの「ピンぼけさんさようなら……」はその年の流行語にもなったほどだった。
2年間に100万台を超える売り上げを記録し、爆発的な大ヒット商品となったのである。現在、コンパクト・カメラのほとんどがストロボ内蔵でオートフォーカス化されていることからも、このカメラの誕生がいかに画期的なものだったかがわかるといえよう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』という本を見ていたら、「世界初のオートフォーカス・カメラ 『コニカC35AF』」というのがあった。
「世界初の自動焦点調整機能(AF)カメラは、巨人軍の王選手が米大リーグのアーロンの記録を抜く通算本塁打756号を達成した1977年に「ジャスピンコニカ」の愛称で誕生した。それは「ピッカリコニカ」発売の2年後のことであった」
昭和50年の2年後(1977年)か。ネットで「昭和52年」をキーにして調べてみた。1月にアメリカでジミー・カーター大統領就任した。ロッキード事件丸紅ルート初公判が1月に行われた。4月に中山千夏らを代表とする「革新自由連合」が発足した。6月にJTから「マイルドセブン」が発売された。7月に日本初の静止気象衛星「ひまわり1号」が打ち上げられた。7月にキャンディーズが普通の女の子に、と引退宣言した。8月に北海道の有珠山が32年ぶり噴火した。9月に巨人の王貞治選手がホームラン世界新記録の756号を達成した。そして、9月に日本赤軍日航機をハイジャックし、ダッカ空港で同志の釈放と身代金要求した。日本政府は「超法規的措置」で要求を受諾した。11月に福田改造内閣発足した。 第77回 芥川賞池田満寿夫が『エーゲ海に捧ぐ』で受賞した。歌では、ピンク・レディーが「カルメン77」、「UFO」を、千昌夫が「北国の春」を、松崎しげるが「愛のメモリー」を歌っていた。映画では新田次郎原作の『八甲田山』、山田洋次監督 高倉健主演の『幸福の黄色いハンカチ』、スティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』がヒットした。テレビではNHK 大河ドラマ花神」が、日本テレビアメリカ横断ウルトラクイズ」が放映された。アニメではテレビで「ルパン三世」が放映された。その他、昭和52年には中野浩一選手が日本人として初の自転車世界選手権の優勝を果たした。エルビス・プレスリーが42歳で死去した。イギリスの喜劇王チャールズ・チャップリンが88歳で死去した。
「2年間に100万台を超える売り上げを記録し、爆発的な大ヒット商品となったのである。現在、コンパクト・カメラのほとんどがストロボ内蔵でオートフォーカス化されていることからも、このカメラの誕生がいかに画期的なものだったかがわかるといえよう」
世界で初めてオートフォーカスを搭載した市販カメラは1977年11月に発売された愛称「ジャスピンコニカ」ことコニカC35AFである。
カメラといえば、ストロボが内蔵され、オートフォーカスが内臓されているのが当たり前になっている。そして、それを発明した会社が意識されることもない。
しかし、当たり前となった製品の歴史を辿ると、日本のコニカに行き着くのである。
コニカは、2003年にミノルタと合併し、コニカミノルタホールディングスとなった。そして、コニカミノルタホールディングスはカメラから撤退し、現在はソニーがカメラ部門を継承している。