じじぃの「人の生きざま_146_渡辺・淳一」

川島 なお美 『失楽園古谷一行 動画 Woopie
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渡辺淳一オフィシャルブログ「楽屋日記」 Powered by Ameba
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渡辺淳一 ウィキペディアWikipedia)より
渡辺淳一(わたなべじゅんいち、1933年(昭和8年)10月24日 - )は、日本の作家。北海道上砂川町出身。1958年札幌医科大学医学部卒業。医学博士。
【作風とその変化】
主題は、伝記(『花埋み』『女優』『遠き落日』など)、医療(『白い宴』『麻酔』など)、性的描写の濃い男女関係(『化身』『失楽園』『愛の流刑地』など)の三つに大別されるが、各ジャンルを融合したものも少なくない。初期においては医療をテーマとした社会派的な作品が多かったが、80年代からは中年男女の性愛を大胆に描いた作品で話題を呼んでいる。伝記は時期を問わず書き続けられており、現代日本の代表的な伝記作家の一人となっている。
この他、医療や身体から恋愛論、身辺雑記にいたるまで、幅広いテーマでエッセーも多く手がけている。
失楽園』 概要 ウィキペディアWikipedia)より
不倫を主題にし、一般向け新聞連載ではあまり例のない性描写を含め、連載当時から話題になる。映画・テレビドラマ化され、流行語にもなった。有島武郎の心中事件をモチーフとしており、小説後半の多くは自殺現場調書の引用で占められている。

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『反常識講座』 渡辺淳一/著 光文社 1998年発行
年をとるほど不良になれ (一部抜粋しています)
誰でも年齢を重ねていくが、日本では、年をとるほど年相応に枯れるというか、年相応に落ち着くことが望ましいと思われている。そして、「年甲斐もなく」という言葉は老いても老成しない人に対する揶揄(やゆ)というか、批判的な意味につかわれている。
そのせいか日本では本人はもとより、まわりの人も「もう年だから」とか「もう年なのに」といった言葉で、大人しく老いることを強要するようなところがあります。
この背景には日本が農耕社会で、隣近所との融和を優先し、世間様に恥ずかしくないように生きることが最も重要とされ、それに従うべきだという考えが広くゆきわたっているからだと思われる。
しかし、老人というのは本来そんな枯れた存在ではなく、本当はもっと生々しい生きものである。一般の企業では60歳が定年だけど、それをこえても、まだまだ仕事をやる意欲のある人は多いし、金銭欲、権力欲、さらに性欲と、すべての面で欲望をもち続けている。
むろん、なかにはそうではない人もいるけれど、病気でもないかぎり、それらの人はまわりから老人らしくしなさいといわれ、そうしなければと自らを抑制しているうちに、抑え癖が習い性となって大人しくなってしまった。要するに、つくられた老成が実態といってもいい。
いずれにせよ、これまで日本人は老いの生々しさを嫌い、それは年甲斐もなく恥ずかしいことだと決めつけ、これが多くの老人から前向きの意志を奪い、老人がもつエネルギーを無視することになってしまった。
考えてみると、これはもったいないことで、せっかく老人がいるなら、その老人パワーを有効につかったほうがいい。
ともかく、「年をとって年相応に枯れる」なんてのは、バカでも枯れるわけで、そんなものは一銭の価値もない。それより年をとるにつれて年甲斐のない人になるべきで、それでこそ生きている価値があるというものである。
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哲学者のパスカルは、「人間は考える葦(あし)である」といったけど、たしかにそれも一面の真理であるけれど、現実には、考えるだけではほとんど意味がない。それよりまず体を動かして追う。考える暇があったら動きなさい。なんであれ行動をおこすことが、スタートになり、それが新しいものを生み出す。ただじっと座って考えていても、なんにもなりゃしない。現代はもうそういう時代じゃないんだよね。
とにかく、僕はいまみなに謀反を奨励するというか、すすめている。これまで戦後50余年のあいだに積み上げられてきた体制や体制内志向、そう言う者を根底から揺さぶり、破壊したい。
これは単に破壊ということではなく、あくまでも前向きの意味での破壊で、そのためにみなで謀反をおこす。とくに50代、60代の男性の体制的発想や倫理を打ち砕く。そうしないと、日本はますます国際的に孤児になってしまう。
西欧より東南アジアがいま急速に変わっている。それを無視して、日本一人過去の栄光に酔って古い体制に浸っているのでは、おいてきぼりを食らう。そしてそのためには、まず多くの人の上に胡坐(あぐら)をかいて目をつぶっている老人の目を覚まし、より柔軟で前向きにならなければいけない、ということだね。
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アメリカのアリゾナ州にサンバレーという街があって、ここは太陽がさんさんとふりそそぐ緑豊かなところで乾燥地でもあるのでリューマチの治療にもいい。ここに老人だけ集めて老人の理想郷をつくった。ところがここがアルツハイマーのボケ老人であふれてしまった。
なぜかというとすべて老人に合わせて車の時速も30キロ以内の制限し、50歳以下の人の入居を制限したりしているうちに、安穏だが刺戟がなさすぎて、かえってボケ浪人が増えてしまった。
これは老人に老人が望む安らかさや穏やかさだけを与え、なんの心配もない環境におくと、それに甘えてダメになるということなんだね。要するに、人間は欲するものだけ一方的に与えておくと、肥満になり、身勝手になり、世間知らずになり、ついには痴呆になるというわけ。
そこで提案だけど、老人ホームを都会から離れて並の音が聞こえる静かな海辺とか、松風の音が聞こえる森の中とか、そういう所につくっちゃいけない。そういうところは、もともと孤独な老人をさらに孤独に追い込んでしまうだけで、くわえて刺戟がないからますます弱る、
僕がいま考えている理想の老人ホームは、銀座のど真ん中につくる。東京でも最も賑やかで明るい所。都心部は空気が悪いというけど、どうせ老人はそう長生きはしないから、空気は多小、悪くてもいいんだよ。
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いま老人ホームの一部や老人病院なんかでは、ベッドに縛られたも同然になって、辛うじて生きてるだけの老人が多い。そんなのから見たら、女を巡って決闘して死ぬ方が、よっぽど恰好よくて、生きたって実感があると思うんだけど。
とにかく、年をとればとるほど不良になったほうがいい。老人の不良が日本の社会を活性化させる。
ただし断っておくけど、老人になって不良になるなんて、並の才能じゃできない。それより年をとって、ちんまりおさまるほうが余程楽だ。老いて不良になるためには、ケタ違いな意志と努力が必要なんでね。
若い時の不良は、バカでもなれるけど、老いた不良は並ではなれない。
ここを忘れちゃいけないけど、ここでもやはり前向きの明るい老人になりたいものである。

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