【尊厳死】アメリカ人女性ブリタニー・メイナードさんのインタビュー(日本語訳) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=I16cIu22Aac
人気映画「フィールド・オブ・ドリームス」原作者、W・P・キンセラ氏が安楽死 2016.9.17 産経ニュース
ウィリアム・パトリック・キンセラ氏(カナダの作家、映画「フィールド・オブ・ドリームス」原作者)16日、カナダ西部ブリティッシュコロンビア州ホープで医師のほう助により死去、81歳。
地元メディアなどが報じた。生前の健康状態は不明。AP通信によると、カナダでは医師のほう助による安楽死が6月に合法化されていた。
http://www.sankei.com/life/news/160917/lif1609170039-n1.html
いま世界は 2014年11月2日 BS朝日
【司会】木佐彩子、小松靖
▽安楽死に賛成ですか?反対ですか?
インターネットで動画を公開し、「11月1日に命を絶つ」と安楽死を宣言したブリタニー・メイナードさん(女性・29歳)。
彼女は「最悪なのはがんのせいで判断ができなくなり時を逃してしまうこと」と話した。
彼女は脳に悪性の腫瘍が見つかり、4月に余命6ヵ月の宣告を受けた。
彼女は安楽死のために米国・オレゴン州に移住。
オレゴン州は1997年、米国で最初に安楽死を認める尊厳死法を施行。オレゴンでは去年までに752人が薬の処方を受けて亡くなった。
8月、朝日新聞GLOBE・浜田陽太郎氏の取材で死を選択した人の遺族を紹介した。
死の選択を思いとどまった例もある。
彼女は1日に、愛する家族に見守られながら死を遂げた。
「苦しみ続けるよりも」、と言っていたそうです。
http://www.bs-asahi.co.jp/imasekaiwa/
『認められぬ病―現代医療への根源的問い』 柳澤桂子/著 中公文庫 1998年発行
己が無残に生き尽くさむと (一部抜粋しています)
人生の終わりにさしかかって、夫婦離れ離ばなれに住み慣れないところへ移る正(息子)の苦しみは、いかばかりであろうか。自分のからだの老いに向き合うだけでも辛いことであるのに、さらに大きな不安を背負うことになる。自分がその原因をつくっていることに、私は申しわけなさとやりきれなさを感じた。
このままの状態で置いていかなければならないかもしれない自分の将来をも思い、老いの苦しみということを深く考えさせられた。自分の能力がしだいに衰えていくことを直視しなければないらい苦悩。親しい人々との別離。死に対する恐怖。若くして死を迎える人々の苦しみは見てきた。しかし、自分の無残さを最期まで生き尽くさなけれならない苦しみは、それに勝るとも劣らないのではないかと思えた。
ヨーロッパのいくつかの国では、積極的安楽死のための薬を老人が入手できるということを聞いた。
1980年にフランスでミシェル・ランダによって設立された尊厳死協会(ADMD)の目的は、
1、自分の人格、からだ、生命を熟慮された自由な方法で処分する権利を合法的に推進すること。
2、自分の生命を絶つ最善の条件を自由に選ぶこと。
である。
この会に入会すると、3ヵ月の期間の後に自分で自分の生に終止符を打つための知識と、医学的手段を記したパンフレットを入手できる。
アメリカでも、ワシントン州、カリフォルニア州、オレゴン州、フロリダ州などで積極的安楽死を法的に認めようとする動きが出ている。1991年の11月にワシントン州ではこの法案の成立をめぐって住民投票がおこなわれ、反対54パーセントで否決された。しかし、アメリカでも「死ぬ権利」を求める動きは高まっている。
積極的安楽死の適用が望ましい場合が絶対にないとは思わないが、いろいろな苦痛が除かれれば、それはほんとうに例外的場合にかぎられるのではないか。
私も若いときには自分の死を支配したいと思った。そうすることによってはじめて人間は自然に勝つことができると考えた。しかし、今、これだけの苦しみを経た後に私の考えたまったく変わった。自然を支配してはいけない。自然の懐に抱かれて生きなければならない。
老いの苦しみを生き抜くことこそもっとも大切なことであり、それこそ自己の尊厳を貫くことではないか。過度の医療による延命は必要ない。しかし、自然の状態であたえられた命を生き尽くす勇気こそ尊いのではないか。
長寿社会の到来により、老いの苦しみはこれまでもなく深刻になっている。もしその苦しみを医学的手段を用いて避けるなら、人間はますます傲慢になるのではないか。弱者を抹殺することに、精神的な痛みを感じなくなるのではないか。
病む苦しみ、老いの苦しみ、死の苦しみを味わうことによってこそほんとうの人間の姿を知ることができるのではないか。この広大な宇宙の中の小さな小さな人間。か弱き存在。
若い華やかな生の先に老いのあることを知る。そしてそのような老人を社会の中に抱え、優しくいたわって生きる事、それこそが必要なのではないだろうか。病む苦しみ老いの苦しみ、死の苦しみをもってこそ人間は、個人としても社会としても成熟できるのではないか。