じじぃの「古来稀れ(70歳)・人生80歳越えて生きた有名人たち!新潮45」

Chaplin at His Home in Switzerland 1975 Chaplin svajci otthonaban 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=m-e8V40bQYM
Douglas MacArthur Tribute - Old Soldiers Never Die (1951), Herb Jeffries, vocalist 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=jGdHqm6bfew
Old soldier will not die. Just fade away only.

『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
松永安左衛門(まつながやすざえもん) (1875-1971) より
昭和40年、なお電源開発のために疾走する90歳の松永の風貌を、大宅壮一は次のように描写する。
「まず眼につくのは、そのりっぱな耳である。長く、そして広い。それが真横に張り出しているから、いっそう大きく見える。瞼にかぶさる白く長い眉毛、笑うと深いシワの中に細く隠れてしまう眼、髪ももちろんまっ白、が、短く刈りあげたそのラインは意外に若い。イヤホーンのコードを指先にまきつけてはほぐす。年を経た大木を思わせるような手である」
彼はこの年の正月、1句を作った。「初夢や若き娘に抱きつけり」
そして大宅に。女性との最後は77、8であったと告白し、こんなことをいった。
このごろ、よく若いとこの夢を見ますね。夢の中じゃ、完全なことができます。若い時だと、そういうときは夢精が起るでしょう。もう、それはありませんがね。しかし、実弾を撃った感じはする。……こんなことをいうと怒られるけれど、私は女は性器だという観念が非常に強いですね。女性を見ているうちの、この人のはどんなだろうな、という考えがずっと発展してゆく。……」
そして、「ふり返って見て、90年というと長いですか、短いですか」という大宅の問いに、
「長いですねえ。もうこれ以上生きたって馬鹿らしいという気がせんでもない」
と、答える。
しかし彼はなお電力業界の大ボスとして東奔西走の活動をやめなかった。また、ただの実業人でない証拠に、自分が傾倒するトインビーの『歴史の研究』の邦訳24巻を世に送り出した。
43年2月1日、93歳の松永安左衛門は、小田原の邸内を散歩中、立小便しているところを愛犬に飛びかかられ、ころんだはずみに左大腿骨を接骨して入院したが、病院で銅線吊引(ちょういん)の治療中、いちど大声で「痛い!」とさけんだだけで、あとは弱音をあげず、その後は汗をながしながし松葉杖による歩行訓練で回復した。しかし、「このことがなければ、まだ3年寿命がのびたはず」と側近者はいう。
昭和46年4月15日、夜半急に苦痛を訴え、未明に慶応病院に入院した。
入院後も、自分の関係する仕事の方向をきいたり決裁をしたりしていたが、6月15日未明から呼吸に異常を呈し、16日午前4時26分、灯の消えるようにこの世を去った。病名はアスペルギルス病といい、コウジカビの一種の菌が、皮膚、耳、眼、鼻、肺などに炎症性、肉芽腫性の病巣を作るという奇病であった。
人間も身体にカビがはえるほど生きればいうことはない。
彼は、昭和33年愛妻が死亡したときも葬式を出さなかったが、自分の死に際しても、無葬式、無戒名、無叙勲の遺言を残し、その通りにはかられた。

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新潮45 2014年12月号
年を取る 人はいくつまで生きるんだろう 橋本治(作家) (一部抜粋しています)
日本は超高齢大国なんだそうですが、本当ですかね。私はこの言い方に違和感を覚えますけどね。
年寄りが増えれば国の支出も増える。この先は史上最大の人数を誇る団塊の世代が老人になって、なるだけではすまなくて、ますます老人になる。平均寿命もジリッジリッと伸び続けて、「年よりだから死ぬ」ということもそうそうなくて年寄りだけが増え続ける。考えるのもいやなくらい老人だらけになって、その「老人だらけ」ということと、「大国」というのは一つになるものでしょうか? 老人を粗末にするわけにもいかないから「超高齢大国」ということのしているけど、本音を言えば困っていて、実のところは「超高齢窮国」なんじゃないんですかね。
若い頃の私は「50でものになって75歳まで生きてりゃいいや」と思ってましたが、20代の若さだと「75」が想像出来る老いの限界だったのかもしれません。私が高校生の時に死んだ同居の祖母は、70になったかならないかの寿命で、その頃の私は祖父のことを「寿命の来た老人」と思っていたけれど、私の祖父は80過ぎまで生きて、父も四捨五入すれば90というところで死んで、母親はその記録を更新している。若い頃の私は「80を過ぎてもまだ生きている自分」というのが想像出来なくて、「75くらいまででいいや」と思っていたけれど、今や「80もある程度以上過ぎなきゃ老人じゃない」くらいのことのなってしまった。一体、人はいつまで生きればいいんだろう?
というようなことを考えていたら、「日本人の平均健康寿命」というのが発表された。人はいくつまで介護やら支援を必要としない健康体でいられるのかと言ったら、それは70歳を少し超えたくらいで、日本人の平均寿命より10年ほど若い。それが、日本人の健康寿命の平均値だと言われて、私は「やっぱりそこら辺が相応なんじゃないのかな」と思った。
70歳と言えば「古稀」の年で、「人生70、古来稀れ」なんだから、人間の寿命が70であってもいいんじゃないかなという気がする。「人生70、古来稀れ」と言ったのは唐代の中国人の杜甫だから、その時代の中国では「古来稀れ」だっただけで、今じゃ違うし、日本とも違うとお考えの向きもおありでしょうが、結構最近まで「70=古来稀れ」で来たんだから、人間の寿命相場は70でもいいんじゃないでしょうか。70は「古来稀れ」で、それを越されてしまうともうなんと言ったらいいのか分からなくて、やたらと「寿」を付ける。喜寿とか傘寿とか米寿とか卒寿とか、白寿とか。「古来稀れ」の一線を越えると、もう普通扱い出来なくて、半分あきれながら「めでたい」とか言うしかなくなるんでしょうね。
というわけで、本当に「人生70、古来稀れ」なんでしょうか? 「平均寿命が伸びたのは、乳幼児の死亡率が低くなったからで、昔の人がそうそう短命だったわけではない」と言う人もいますが、そうそう短命ではなくとも、やっぱり「人生70年」は「古来稀れ」なんです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
山田風太郎著 『人間臨終図巻 下巻』 (1987年発行)には、65歳以上で亡くなった有名人の「死にざま」が書かれている。
今や、全国の100歳以上の高齢者は約6万人近くいる。
「人生70、古来稀れ」と言ったのは、唐代の中国人 杜甫だ。
ともかく、『人間臨終図巻 下巻』に載っていた80歳以上生きた有名人を挙げてみた。
釈迦(80)、プラトン(80)、貝原益軒(84)、マッカーサー(84)、チャプリン(88)、親鸞(89)、葛飾北斎(89)、松永安左エ門(96)、熊谷守一(97)。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ」のマッカーサーは、結構長生きしたんですね。
松永安左エ門は「長いですねえ。もうこれ以上生きたって馬鹿らしいという気がせんでもない」なんて言っています。
貝原益軒は幾人かの女性とセックスに励んだが、子供ができなかったみたいです。