じじぃの「人の生きざま_551_森村・誠一(作家)」

【森村 誠一】国民はまず、国家によって殺される「安倍首相は独裁者!暗い!」(蒲田健) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=84otnVPqOUg
町田市民文学館 森村誠一「拡大する文学」展 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sk2KNAbZwJ8
森村誠一 ウィキペディアWikipedia) より
森村 誠一(もりむら せいいち、1933年1月2日 - )は、日本の小説家・作家。推理小説、時代小説、ノンフィクションなどを手がける。ホテル勤め(ホテルニューオータニなど)の経験があるため、ホテルを舞台にしたミステリが多い。また、若い時代に登山に熱中したことから、山岳を舞台とした作品も多い。
埼玉県熊谷市出身。12歳にして、日本で最後の空襲となった熊谷空襲を体験。のちの「反戦平和」の原体験となる。
推理小説のシリーズキャラクターとして、棟居弘一良(棟居刑事シリーズ)、牛尾正直(終着駅シリーズ)を生み出している。1977年に映画化された『人間の証明』を中心とした、角川書店角川春樹社長のブロックバスター戦略の存在の一人となり、作品は大半が文庫化され、一躍、ベストセラー作家になった。なお、『人間の証明』は映画化を前提に、角川から依頼されて執筆した。続く『野性の証明』も、やはり映画化を前提で、角川から依頼されて執筆している。そのさい角川から「あなたにとって作家の証明となる作品を」と言われたことが、題名の由来である。著作の累計発行部数は1億部を超える。

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『私の「戦後70年談話」』 岩波書店編集部/編 岩波書店 2015年発行
裸にされつつある日本国民 森村誠一 (一部抜粋しています)
我々、戦争を体験している者にとって、戦前・戦中時代は、東京に残された自由が丘という地名を除いて、自由はない理不尽な時代であった。
大東亜共栄圏(日本が明主として欧米に対しアジアを統一する)、八紘一宇(日本を家長として世界を1つの家にすること)を目指して、泥沼に陥った日中戦争から国民の関心を逸らすために、国力40倍の米国以下、英・仏・蘭・豪・中などの連合国を相手に開戦し、太平洋戦争に暴走した昭和16(1941)年12月8日から昭和20(1945)年8月15日まで、私は8歳から12歳の少年であった。
この間、政権は完全に軍部に乗っ取られ、この無謀な戦いを総力戦とし、国民皆兵、銃後(国内)の守りを国民に求めて、ついには学徒まで卒業年度を早めて戦場へ駆り出した。
昭和20年8月15日未明、私の郷里熊谷市は日本最後の空爆を受け、私の生家を含めて市街地の大半を焼燬(しょうき)し、死者234人、被災者1万5千人以上の犠牲を出した。すでに敗北声明を出した後、すでに軍事的理由をほとんど失った小さな町に、残った爆弾や焼夷弾を捨てに来たのである。
その頃配色濃厚な戦勢を立て直すために「一機一艦」をキイ・ワードにした、決死ではない、必死の”特攻”が発明された。世界の戦争史の中でも必ず残しておく生還の道を、生還率ゼロパーセントに閉ざした必死の攻撃をもって、最後の抵抗をしようとしたのである。
しかも特攻は事実上の強制であり、20代前後、もっと若い者は17歳の少年兵までが、生還率ゼロの特攻に駆り出された。私も2年早く生まれていれば、14歳の少年兵として動員されるところであった。
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戦中、国民学校小国民(小学生)であった私は、米英は鬼畜と教えられ、体操の時間には、チャーチルルーズベルトを象(かたど)った藁人形の刺突訓練をさせられた。
戦争賛美の教科書にまで政治介入してくる安倍政権の所信演説において、「戦後以来の大改革」を強調し、国民の強い反対を躱(かわ)そうとして、その中核である憲法集団的自衛権等については、「国民的な議論を深めていこう」と言いながら、極めて抽象的な呼びかけで通過してしまった。
戦後以来の大改革といえば、まずは憲法であり、これを躱して、国民的になんの議論を深めていくのか。彼の言う戦後以来の大改革とは、永久不戦を誓った世界ただ1つの国から、戦争可能国家に改造することである。