半藤一利が語る昭和史1=戦争のはじまり1 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zFstegMZU5A
老後に乾杯!
半藤一利 ウィキペディア(Wikipedia) より
半藤 一利(はんどう かずとし 1930年(昭和5年)5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。
先祖は長岡藩士。東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区)に生まれる。実父は運送業と区議をつとめる。近所に幼少期の王貞治が住んでおり顔見知りだった。
1953年(昭和28年)に文藝春秋新社に入社した。
社内で「太平洋戦争を勉強する会」を主宰して、戦争体験者から話を聞く会を開催。ここから生まれた企画が『文藝春秋』1963年8月号に掲載された28人による座談会「日本のいちばん長い日」である。半藤は座談会の司会も務めた。さらに取材して1965年に単行本『日本のいちばん長い日--運命の八月十五日』を執筆。売るための営業上の都合から大宅壮一の名前を借りて大宅壮一編集として出版された。単行本は20万部、角川文庫化されて25万部が売れた。この他にも30代前半は編集者生活と並行して、太平洋戦争関係の著作を何冊か出す。
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プライムニュース 「2015年幕開けに考える “戦後70年”とは何なのか」 2015年1月5日 BSフジ
【キャスター】秋元優里、反町理 【ゲスト】半藤一利(作家)、加藤陽子(東京大学大学院教授)
太平洋戦争終結から70年を迎える2015年。年初の番組では、昭和史研究の第一人者、作家半藤一利氏をスタジオに招く。
日本はなぜ戦争に突入することになったのか?戦後をどう位置付けてきたのか?
年頭に当たり、歴史の視点から“戦後70年”を徹底検証し、2015年を読み解くヒントを探る。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150105_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150105_1
『私の「戦後70年談話」』 岩波書店編集部/編 岩波書店 2015年発行
消え去るのみか 半藤一利 (一部抜粋しています)
あれから70年、あの悲惨を知る人は毎日毎日少なくなりつつある。過去は空しく葬られて「8月は死者を想い起こす月である」と、ある感慨をもって語れば、いまはキョトンとした顔がならぶときとなっている。老骨は消え去るのみ。未来だけが大事といった顔のものたちに6日のヒロシマ、9日のナガサキ、そして満州、15日の天皇放送と、あの惨めであった日々を永遠に忘れることができない、といったところで、淋しいことに、とうていわが胸の底にあるものへの理解を得ることはできない。
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私たちが誇るべきは、国家を見事に再建してきたとともに、他国との争いを厳に慎しみ、国際的な平和貢献に力を尽くしてきたという戦後70年の歩みであり、決して戦前の強国としての歴史なんかではない。
しかもその間に日本人が実感してきたものは、米ソを中心に、かつての連合国それぞれの国の「正義」のベールが、一枚一枚はぎ落とされていく無残な20世紀後半の世界史であった。朝鮮戦争、スターリン批判、ハンガリー事件、中ソ論争、ベトナム戦争、文化大革命、プラハの春、スエズ動乱……戦争に正義のないことが明白となった。そしてまた、すべての戦争は自衛という大義名分ではじまるという厳然たる事実も。
ところが、その戦争が21世紀になるとほぼ同時に、基本形態をガラリと変えてしまった。それはいま見るように「テロとの戦争」になったのである。それはそれまでのように国家主権がぶつかり合い宣戦布告しての国家間の戦争ではない。長々と書いている余裕はないが、それを1999年のNATO空軍によるコソボ空爆にはじまるとみている。このとき示されたのは「人権が国家主権を超える、ゆえに空爆は許される」という新しい戦争の定義であった。そしてつづいたのが2003年のアメリカ軍の侵攻によるイラク戦争。本来は国連の安保理決議の下で行動すべきであったのに、「テロから自国を守るためには先制攻撃も許される」と一方的に軍事行動をとった。その結果大きな代償を支払うことになり、今日の中東の混乱、そして「イスラム国」の脅威に世界中が怯えるという危機的な状況をうみだすことになった。しかも過激な思想は拡散しつづけている。
私は真実ほんとうに憂慮している。大国が先端技術を活かした新兵器を投入し、圧倒的な軍事力で、「ヒューマニズムのために」あるいは「自衛のために」と、非国家的勢力を「テロリスト」と名指して攻撃しているこの「新しい戦争」というものを。なぜなら私の体験した戦争のイメージをはるかに超えているからである。もしこの非国家的勢力側に核兵器や先端技術が渡ったらどうなるのか、想像できない。いや、ヒロシマやナガサキが思い浮かぶ。なのに日本の指導層をふくめ世界の指導者たちの想像力は、武力で殲滅できるという20世紀の戦争論のままでいるようにみえてならないのである。
いま大事なことは、「過去」というものはそれで終ったものではなく、その「過去」は実は私たちが向き合っている現在、そして明日の問題であるということなのである。なのに、何となく思考をあっさりと停止し、単純で力強い答えにすがりつく。という風潮がいまの日本にある。そのうえに、平和が長く続いたため、事実として、日本人はさきの戦争をきちんと清算していないというイメージを諸外国にもたれているマイナスを忘れてしまっている。
人間は歴史から何も学べない生きもののようである。動物は失敗すると再び同じことをしないというのに、人間は自己正当化してしまう。そしていまのこの国には、過去の栄光を肯定することに国の誇りを求める人びとが多くなった。国の誇りとは、謙虚に歴史的事実を認め、過去と誠実に向き合うことだというと、それを「自虐史観」と排する人が少なくない。戦後70年、やっぱり老骨は消え去るのみなのか。