じじぃの「人の死にざま_1504_藤沢周平(小説家)」

たそがれ清兵衛(予告) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IVxN-5-QOWU
藤沢周平

藤沢周平 ウィキペディアWikipedia)より
藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年(昭和2年)12月26日 - 1997年(平成9年)1月26日)は、日本の小説家。山形県鶴岡市出身。本名、小菅留治。血液型はB型。
江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した。とくに、架空の藩「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名である。
長女遠藤展子は、エッセイスト。2010年4月29日、出身地の鶴岡市に「鶴岡市藤沢周平記念館」が開館した。
【著書】
蝉しぐれ 文藝春秋 1988 のち文庫
たそがれ清兵衛 新潮社 1988 のち文庫 
・隠し剣孤影抄 文藝春秋 1981 のち文庫 
たそがれ清兵衛 ウィキペディアWikipedia)より
たそがれ清兵衛』(たそがれせいべえ)は、藤沢周平著の短編小説、およびこれを表題作とする短編小説集。また、この短編小説の他2編(『祝い人助八』『竹光始末』)を原作とした山田洋次監督による同名の日本映画が2002年に公開されている。

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藤沢周平の言葉―ひとの心にそっとよりそう』 高橋敏夫/著 角川SSC新書 2009年発行
それは老いの兆候からはじまった (一部抜粋しています)
文壇デビューが40代のなかごろだった藤沢周平は、デビュー当初から老いを意識しないわけにはいかなかった。
老いといえば病気がつきものだが、死を覚悟した長い闘病生活を経ているので、持病以外はさほど案じることはなかったのだろう。いわゆる老化現象がよけいに気になったとみえる。腰痛、めまい、肩こり、歯痛、そして抜け毛、物忘れなど、早い時期からエッセイで老いについて再三四ふれている。
初期作品から、「溟い海」や「帰郷」のように老人が登場する作品は少なくない。逆に、はつらつとした若者たちの活躍する青春小説は皆無といってよい。22歳の立花登(獄医立花登手控えシリーズ)にせよ、15歳の牧文四郎(『蝉しぐれ』)にせよ、24歳の神名平四郎(『よろずや平四郎活人剣』)にせよ、こころにはすでにそれぞれの鬱屈をためこんでいて、はつらつとした青春小説の主人公からは遠い。
デビューして3年後に発表した「四十の坂」(1974年)で早くも、「年をとり、格好悪く、通勤するのにふうふう言って、心の隅に生き倒れを覚悟して――それが人生なのだという気持ちが、私の中に牢固としてある」と書き、また主人公に老人が多いことについては、「それは多分私が40をすぎて、それまで見えなかった死とか、老境とかが見えはじめたため」と述べる。
ちょうどこの年齢における老いの自覚をえがいた作品に『海鳴り』(1982〜83年)がある。藤沢周平みずから「われわれの物語」と呼んだ市井ものの、唯一の長編小説である。
紙問屋小野屋の主人公新兵衛は、40前のある日、頭に1本の白髪を見つける。
 ……空が落ちるとは、比喩(ひゆ)にしても大げさな、と思わないでもないが、実感はそのようなものだった。予期せぬものが落ちかかって来たのだ。それはとてつもなく重くて、一瞬新兵衛を押しつぶしたのである。
 おどろき疑ったが、見たものに紛れはなかった。信じられないことだが、それは老いの兆候だったのである。
 ひとが老いるということを知らなかったわけではない。また、いずれ自分にも、その時が来るとは思わなかったわけではない。だが思うだけで実感は薄く、新兵衛は老いというものを他人事に考えていたふしがある。だが、目の前にその印があらわれていた。みたのは1本の白髪だったが、その背後に見知らぬ世界が口をあけていた。
                          (『海鳴り』の「白い胸」)
老いの背後には、さらに見知らぬ世界、さらに世界とはもはやいえない極空のような死がうっすらと、みえている。
老いの襲来に新兵衛はおどろき、おびえる。しかし商いが一番おもしろいところにさしかかっていた新兵衛は仕事の多忙さにかまけ、いつしか白髪に慣れていった。
40をすぎたころ、老いはふたたび、そしてたてつづけに新兵衛を襲う。片腕と首がうごかなくなり、うごかそうとすると激痛が走った。心臓の鼓動の異様な高まり、突然のめまい。たわいなく風をひくようにもなった。
けんめいに働いたその先には、ただ老いと死が待っているだけか。新兵衛は店の組仲間と、吉原に行き、あちこちの岡場所にも出かけた。女と酒をもとめ、夜の町に駕籠を走らせる。しかし、救いはどこにもなく、家の中に暗い不和の空気をもたらした。
やがて、自分のばかばかしい行為にも、新兵衛はあいそをつかす。
新兵衛が、丸子屋のおかみ、おこうと交叉したのは、まさにそんなときだった。
かつて聞いた「こうこう」という海鳴りの不安な音とともに新兵衛を襲う、困難と苦難の連鎖。
作者の「書きはじめた当初……心中させるつもりでいた」といった試練をもこえて、おこうと江戸を出る新兵衛は、「これで世間とはぷっつりとつながりが切れて、行方も知れない世界に入るのだ」と思うが――。