じじぃの「人の死にざま_1201_森・敦」

森敦 - あのひと検索 SPYSEE
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月の山(組曲:月山より)/新井 満 動画 YouTube
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【ズバリ!文化批評】近代文学の巨人、森敦の死生観 [桜H24/7/20] 動画 YouTube
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森敦 ウィキペディアWikipedia)より
森敦は、日本の小説家。
【来歴・人物】
長崎市(当時の銀屋町)出身。幼少期は朝鮮・京城(今のソウル)で暮らし、京城中学校に学ぶ。
1945年(昭和20年)頃から妻の故郷である山形県酒田市に住み、以後同県庄内地方を転々とする。1951年(昭和26年)8月下旬、鶴岡市にある真言宗の古刹・龍覚寺の住職の勧めで翌年春まで湯殿山注連寺に滞在する。尾鷲(三重)、弥彦(新潟)、大山(鶴岡)などを転々とした後、1966年(昭和41年)以降は東京都内に居を構える。印刷会社に勤務の傍ら、同人誌『ポリタイア』に「天上の眺め」その他の短編を発表。『季刊芸術』第26号(1973年7月)に発表した中編「月山」で、1974年に第70回芥川龍之介賞受賞。62歳での受賞は、2013年に黒田夏子が75歳で受賞するまで39年にわたって最高齢受賞記録であった。

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『知識人99人の死に方』 荒俣宏/監修 角川文庫 2000年発行
森敦(もりあつし) (1912 - 1989) 77歳で死亡。(一部抜粋しています)
厳格な書家の長男として生まれる。処女作『酩酊舟(よいどれぶね)』が東京日日新聞に連載されたのは旧制一高在学中、22歳のときだった。しかしその後、学校は中退。各地を放浪して暮らすようになる。
文壇に復活したのは61歳の時。約40年ぶりに発表した小説『月山』で昭和48年の芥川賞を受賞した。以来、寡作ながら、『鳥海山』『われ逝くもののごとく』ばど、仏教的なニュアンスの漂う秀作を発表している。
死の2年前には、朝日新聞紙上で華厳経について語り、「若い時は、からだがまだ恍惚になっていないから、難行苦行や座禅、ヨガなどの修行をやって悟ろうとする。老人になれば、肉体が恍惚になっているから悟りやすい。生徒死とがおのずから背中合わせた。だからぼくは、がんといわれてもこわくない」と述べている。
芥川賞受賞後、まもなく暘(よう)婦人は病死し、養女とふたり暮らしを続けていた。7月29日の夕方、東京市谷の自宅で同人誌を送ってきた人に電話で叱咤激励した後、突然、腹部をおさえて昏倒。すぐに救急車で東京女子医大病院に運ばれたが、すでに意識はなく、そのまま息をひきとった。
その死の直前、短編集『浄土』が刊行されている。森はインタビューに応えて、今回のテーマは生死の輪廻だと語っていた。

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