じじぃの「人の生きざま_142_木村・庄之助 (35代)」

第35代木村庄之助、最後の裁き 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=po0cJZIkOQM
第35代木村庄之助、最後の場所入り他(平成23年9月場所千秋楽) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=iDWItB4_orc
相撲字 画像
http://pds.exblog.jp/pds/1/200907/12/50/e0028650_22272077.jpg
木村庄之助 (35代) ウィキペディアWikipedia)より
木村庄之助(1946年10月29日 - )は、大相撲の立行司の一人。立浪部屋所属。
【経歴・人物】
宮崎県延岡市出身。本名は内田順一。延岡市立南方中学校卒業後、1962年に立浪部屋に入門。行司として初土俵を踏む。
木村順一を名乗っていた70年代前半(北・玉時代)より幕内取組の場内アナウンスを担当していたが、行司のかけ声の時とは違い、幕内土俵入りの力士紹介で「◯◯県出身、△△部屋」など滑舌が良く、明瞭で良く通る声が印象に残る。第52代横綱北の富士が復活の優勝を全勝で遂げた1972年9月場所千秋楽の幕内後半取組から表彰式までの場内アナウンスを担当(場内アナウンスとしては、輪・湖時代を一番長く担当)した。
その後、十両格行司まで場内アナウンスを担当し、横綱千代の富士(現九重)の記録に残る節目の取組に関わっている。
2011年9月 停年退職。

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文藝春秋 2011年10月号
軍配に己を賭けて 木村庄之助(きむらしょうのすけ) (一部抜粋しています)
秋場所を最後に約50年の土俵生活に別れを告げる。振り返れば、煌びやかな装束の陰にあったのは、辛抱・我慢の連続の日々であった。
体の小さかった私は少年時代から、手作りの軍配を手に村相撲の”豆行司”を務めていた。華やかな大相撲の世界に憧れ、伝手(つて)を頼って15歳で角界入りをする。卒業式にも出ず、故郷・延岡から夜汽車に乗って本場所前の大阪に向かったのだった。だが、行司の世界も厳しい身分社会である。私が念願の十両格行司に昇進できたのは、入門して22年、37歳のときのことだ。十両格になれば、足袋の着用が許され、直垂(ひたたれ)も膝下で縛る必要がなくなる。身の回りの世話をする付け人もつき、竹製の「明け荷」を持つこともできる。力さえあればスピード昇進が可能な力士と比べ、行司は基本的には年功序列。だからこそ、感慨もひとしおだった。
あまり知られていないが、「相撲字」と呼ばれる独特の太い字体で番付を書くのも、勝負を裁くことと並んで行司の大切な仕事である。満員御礼を願って字間を詰めて書く。入門当初の見習い中は、山、川、海、錦など当時の四股(しこ)名に多かった漢字ばかり練習していた。相撲字の腕前を見れば、行司としての力量も分かるものだ。
まさに経験がものを言う世界なのだが、今でも本場所中は神経が張り詰めていて、胃腸薬や腰痛薬、生薬強心剤を手放せずにいる。一時期は耳鳴りの薬を服用していたこともあるほどだ。だが、最後は神頼みしかない。故郷にある今山大師の小さな銅像を肌身離さず持っている。不安要素は1つでも少なくして、満を持して土俵に上がるのだ。
立行司が帯刀しているのは、差し違えれば切腹も辞さないという覚悟を意味している。それだけに私がまだ序二段格行司だった頃、「世紀の誤審」と呼ばれた大鵬・戸田の一番は記憶に残っている。
式守伊之助(22代)は大鵬に軍配を上げたが、物言いがつき、行司差し違えで戸田の勝ちとなった。大鵬の連勝記録は止まってしまったが、翌日の新聞は土俵を割った戸田の足を捉えていた。毅然と掲げた伊之助の軍配に間違いはなかったのである。この一番を契機に、のちにビデオ判定が導入された。
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私が立行司に昇格してからは、朝青龍白鵬と2人の横綱の一番を裁いてきた。朝青龍は抜群のスピードで次から次へと多彩な技を繰り出す。行司としても大変だった。一方、白鵬は巧さ、柔らかさ、天性の素質を持っている。吊り出された記憶もないし、足が土俵から離れたこともほとんどないのではないか。私の行司人生で最も印象に残っている取組は、その白鵬の連勝記録が止まった一番だ。当時の白鵬は磐石の強さで、あの双葉山の69連勝を抜くだろうと思っていた。だが、この日の対戦相手、稀勢の里横綱に得意の右を差させず、休まずに攻めた。歴史の節目と言える一番に巡り合えたのは行司冥利につきる。
一方、哀しい想いを抱かざるを得なかったのは、八百長問題で春場所が中止になったことだ。行司は誰よりも間近で取組を見ているが、土俵を割るか割らないか、差し違えをしないように真剣勝負している。八百長相撲なのかどうかなど分かるはずもない。数多くの批判を浴びたが、全ての力士が八百長に関わっているわけではない。名古屋場所琴奨菊白鵬を破った一番などを観れば、相撲の醍醐味が伝わってくるだろう。ファンの皆様には是非、国技館に足を運んでほしい。
秋場所な有終の美を飾ることしか考えていない。無事に15日間を過ごし、重圧から解放された瞬間、万感をこめてほっと息をつきたい。

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木村庄之助 (35代) Google 検索
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