じじぃの「人の生きざま_602_内館・牧子(脚本家)」

隠岐古典相撲(前編) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gMxLgTLtZ8E
朝青龍内館牧子

内館牧子 ウィキペディアWikipedia)より
内館 牧子(うちだて まきこ、1948年9月10日 - )は、日本の脚本家、作家。東日本大震災復興構想会議委員。東京都教育委員会委員、ノースアジア大学客員教授。元横綱審議委員会委員。学位は造形学士(武蔵野美術大学)、修士 (宗教学)(東北大学)。
秋田県秋田市生まれ。日本冷蔵(ニチレイ)に勤めていた父の転勤で、四歳から新潟県、小学校3年からは東京都大田区で育った。
大の格闘技ファン、特に好角家であることが知られ、2000年8月に女性初の大相撲・日本相撲協会横綱審議委員に就任。東京で行われる場所は10日は会場に足を運んだ。その他プロレスにも造詣が深く2011年現在東京スポーツ催のプロレス大賞で特別審査委員も務めている。2003年、東北大学大学院文学研究科修士課程の社会人特別選抜を受験し合格。人間科学専攻(宗教学)へ入学し『神事としてみた相撲』を研究テーマに宗教学を専攻。2006年修了。(修士 (宗教学))

                      • -

文藝春秋 2016年1月号
日本を変えた平成51大事件 モンゴル力士が相撲観を破壊した 【執筆者】やくみつる(漫画家) より
朝青龍角界に入ったのは、平成11年。2年後に新入幕を果たした頃は、3場所で3賞候補に入るなど目立っていい相撲を取っていました。私はNHKの中継にゲスト解説で呼ばれたとき、「これから角界を担う力士」として朝青龍高見盛安美錦を挙げた記憶があります。
彼は、同じ外国人力士でも曙、武蔵丸などのハワイ勢とは顔つきが違い、いかにもモンゴル然とした厳しい表情で闘志が前面に出ていた。取り口の幅も広く、「角界に新風を吹き込みそうだ」とずいぶん期待したものです。
実際、朝青龍の相撲は観ていて面白かった。代表的な一番は、勝敗をめぐり意見が二分された16年名古屋場所での琴ノ若戦です。琴ノ若が上手投げを打って、朝青龍が仰向けになる。土俵に落ちかけたところで、琴ノ若のまわしをつかんだままブリッジのような姿勢でぶら下がって耐え、先に琴ノ若のほうが土俵に手を突いた。行司軍配は琴ノ若に上がったものの、物言いがついて取り直しとなり、朝青龍が勝ちます。私はあの一番を「100年に一度の残し方」と呼びましたが、そのくらい素晴らしい身体能力を発揮した。あんな相撲はほかに観たことがありません。
しかし、優れたアスリートなら誰でも頂点に立てる、というわけではないのが相撲の世界です。
15年に第68代横綱に昇進したとき、横綱審議委員会で「成績は申し分ないが、品格の面で問題あり」と内館牧子さんが反対したのはよく知られる話です。
たしかに土俵上の所作、勝負がついたあとのダメ押し、ガッツポーズや暴言など横綱にふさわしくない部分はあった。それでも私は、朝青龍の昇進に異論はありませんでした。天下の横綱ともなれば、その立場にふさわしい所作や振る舞いを習得するだろうと考えたからです。
しかし今から思えば、土俵上の所作など軽微なことのように見えて、実は相撲の世界でそれが最も肝心なところだったのです。内館さんのようにもっと重視すべきだったと反省しています。

                      • -

『なめないでね、わたしのこと』 内館牧子/著 幻冬舎文庫 2004年発行
誤植だと思った より
このところ、毎晩のように仕事仲間や友人たちから「合格お祝い会」をやってもらっている。
私は昨秋、東北大学の大学院を受験し、合格してしまったのである。三浪くらいは覚悟していたので、合格通知を見た時は誤植ではないかと思った。
友人たちは当初、
「どうせ試験なんて面接だけだったんでしょ」
と軽く言ったが、血税で運営している国立大学であるからして、そうはいかない。まず願書と共に「研究したいテーマ」について論文を送るのである。四百字詰めで20枚程度のものだ。
そして、試験日に仙台の東北大学まで行き、他の受験生と共に筆記試験を受けた。外国語と専門科目である。その後、口頭試問があった。これは1室で教授と向かいあい、専門科目について質問され、口頭で答えるのである。
私は「宗教学専攻」の受験生だったので、「アニミズム」についてとか、宗教学的なことを質問された。さらに願書と共に出した「研究したいテーマ」について、かなり細かく突っ込まれ、口頭試問は1時間近くかかった。
私は武蔵野美大出身で、宗教学の知識はないに等しい。むろん、受験に備えて受験勉強はしてきたが、1時間もの口頭試問では当然ながら馬脚を現す。終った時にはヘトヘトで、たぶんダメだなと思っていたし、また来年受験しようと決め、仙台に住む叔母と一番町で飲んで騒いで帰ってきた。
そうであるだけに、合格通知は誤植かと思ったのだが、本当にラッキーだった。何よりも、知識のない専門科目の試験に、少しは興味のある「山岳宗教」や「結界」についての問題も出ていたのである。これは本当にラッキーで、来年もう一度受験したら、まず合格しないだろう。
      ・
私が大学院で宗教学を専攻したいと思い始めたのは、かなり前である。学問として「大相撲における宗教学的宇宙」を研究したかった。
私が以前から興味があったのが、日本人の「まれびと信仰」である。「まれびと」とは、「まれに訪れてくる人」という意味で、つまりは「客」である。
日本人は昔から、必要な時に神を招いて訪れてもらい、用が済むとお帰りいただくという形の信仰を持っていた。「そんな身勝手な……」と思う人もあろうが、現在でも私たちは当たり前のように、それをやっている。
たとえば、正月の門松がそうだ。新しい年に神を招き、1年間の安泰を祈願して酒肴を供えて歓待する。そして、松の内が過ぎると、もう用は済んだということでお帰り頂いている。
また、地鎮祭もそうだ。4本の柱に縄を回し、御幣(ごへい)を立てて神を招く。そして工事の安全を祈願すると、用は済んだということでお帰り頂く。日本では昔から「四本柱を立てて、縄で結ぶとそこに神が降りてくる」という考えがあった。そのため、地鎮祭では東京のまん中であれ、山奥のダムであれ、海外の現場であれ、「四本柱に縄」をしつらえると、神はどこにでも訪れてくれる。
これは一神教の国々の人には考えられない宗教観であろうが、民族学者の折口信夫は「まれびと信仰」として定義した。
これが大相撲の土俵にもある。かつては、土俵の上に4本の柱が立っており、それを結んだ上に屋根があった。つまり、神は土俵に招かれ、訪ねてくるわけだ。現在の「四色の房」は四本柱(しほんばしら)の代わりであり、その房を結んだ上に「吊り天井」がある。相撲界では初日の前日に「土俵祭り」を行い、神に安全を祈願し、場所終了後には帰って頂いている。
私はこの「まれびと信仰」に、日本人の非常に独特な宗教観を見る気がして、それが今に生きていることに興味を持っていた。事実、朝日新聞の『天声人語』(2002年9月5日付)では、アザラシのタマちゃんを「まれびと」として見る文章を載せていた。日本人が異常なまでにタマちゃんの行動に一喜一憂することに関し、次のように書いている。
「その深層には、古来の『まれびと信仰』があるのかもしれない」