全盛時の朝青龍 2005.11/実況 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vYvMN0NBccA
朝青龍ー琴ノ若戦
朝青龍は日本では嫌われてるんですか? 2015/7/27 Yahoo!知恵袋
回答
日本で朝青龍の評価は五分五分。
最後は、関東連合のOBに対する暴行問題で強制引退に追い込まれましたが、いろんな意味で朝青龍らしい辞め方だったと思いますよ。
今、朝青龍改めドルゴルスレン・ダグワドルジ氏は、モンゴルで実業家として活躍しています。年齢もまだ三十代そこそこ。まだまだこれからです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10148333560
朝青龍明徳 ウィキペディア(Wikipedia)より
朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり、1980年9月27日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱。現在は実業家、タレント、コメンテーター、評論家、映画俳優、慈善家、モンゴル国レスリング協会会長として多方面に活躍している。
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『文藝春秋』 2016年1月号
日本を変えた平成51大事件 モンゴル力士が相撲観を破壊した 【執筆者】やくみつる(漫画家) (一部抜粋しています)
朝青龍が角界に入ったのは、平成11年。2年後に新入幕を果たした頃は、3場所で3賞候補に入るなど目立っていい相撲を取っていました。私はNHKの中継にゲスト解説で呼ばれたとき、「これから角界を担う力士」として朝青龍、高見盛、安美錦を挙げた記憶があります。
彼は、同じ外国人力士でも曙、武蔵丸などのハワイ勢とは顔つきが違い、いかにもモンゴル然とした厳しい表情で闘志が前面に出ていた。取り口の幅も広く、「角界に新風を吹き込みそうだ」とずいぶん期待したものです。
実際、朝青龍の相撲は観ていて面白かった。代表的な一番は、勝敗をめぐり意見が二分された16年名古屋場所での琴ノ若戦です。琴ノ若が上手投げを打って、朝青龍が仰向けになる。土俵に落ちかけたところで、琴ノ若のまわしをつかんだままブリッジのような姿勢でぶら下がって耐え、先に琴ノ若のほうが土俵に手を突いた。行司軍配は琴ノ若に上がったものの、物言いがついて取り直しとなり、朝青龍が勝ちます。私はあの一番を「100年に一度の残し方」と呼びましたが、そのくらい素晴らしい身体能力を発揮した。あんな相撲はほかに観たことがありません。
しかし、優れたアスリートなら誰でも頂点に立てる、というわけではないのが相撲の世界です。
15年に第68代横綱に昇進したとき、横綱審議委員会で「成績は申し分ないが、品格の面で問題あり」と内館牧子さんが反対したのはよく知られる話です。
たしかに土俵上の所作、勝負がついたあとのダメ押し、ガッツポーズや暴言など横綱にふさわしくない部分はあった。それでも私は、朝青龍の昇進に異論はありませんでした。天下の横綱ともなれば、その立場にふさわしい所作や振る舞いを習得するだろうと考えたからです。
しかし今から思えば、土俵上の所作など軽微なことのように見えて、実は相撲の世界でそれが最も肝心なところだったのです。内館さんのようにもっと重視すべきだったと反省しています。
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そして19年夏に決定的な出来事が起こります。腰に疲労骨折で巡業を休業しておきながら、モンゴルで中田英寿と親善サッカーに参加していたことが発覚したのです。当時はサッカーができるのだから疲労骨折は詐欺ではないかと話題になりました。
しかし本当に非難されるべきは、横綱が夏巡業をサボっていたことです。横綱なら骨折していようと出場を模索するべきで、巡業をサボった事実だけで本来は一発でクビになる不祥事です。22年の引退につながったのは、泥酔して起こした暴行事件。横綱として初の「引退勧告書」が提出された不祥事でした。
朝青龍が起こした不祥事はいくつもありますが、最大の罪は日本人の持っていた相撲観を逸脱し、蹂躙したことです。その逸脱と蹂躙は、程度の差こそあれ白鵬、白馬富士、鶴竜というモンゴル出身横綱にも受け継がれてしまったようです。