じじぃの「世界記憶遺産・山本作兵衛の炭坑画!石炭の時代」

Memory of the World - The History of Chikuho - Sakubei Yamamoto and Tagawa 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=-T5JxiRZ7QM&feature=related
炭坑記録画 世界記憶遺産決定.wmv 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Gm3uT0V7QnY
「炭鉱に生きる」予告編 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=k3toDmslunU
山本作兵衛 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BD%9C%E5%85%B5%E8%A1%9B&gs_upl=0l0l7l716104lllllllllll0&sa=X&oi=image_result_group
新装版 画文集 炭鉱に生きる 山本作兵衛/著 講談社 2011年発行
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2171716
日曜美術館 「よみがえる地底の記憶〜世界記憶遺産・山本作兵衞の炭坑画〜」 2011年9月11日 NHK Eテレ
【出演】菊畑茂久馬(画家)
今年5月、ユネスコの世界記憶遺産(Memory of the World)に、炭坑の仕事や暮らしを描いた山本作兵衛(明25〜昭59)の絵画や日記など697点が、日本で初めて登録された。「ツルハシで石炭を掘り出す上半身裸の男女」「ガス爆発事故」など坑内での様子から、「男女混浴の入浴」「炭坑を訪れた軽業師」といった日常の暮らしまで、味わいのある画風で描かれている。労働者の視点から炭坑の生活史に初めて光を当てた “炭坑(ヤマ)の記録画家”と評される。
山本作兵衛は、日本の石炭産業の中心だった福岡県筑豊地方の炭坑で、半世紀にわたって働いた後、閉山により警備員となった65歳から炭坑の絵を描き始めた。92歳で亡くなるまでに描いた絵は2000枚とも言われる。アンネの日記やベートーベンの直筆楽譜などと並んで、一地方の一炭坑労働者の絵や日記が国際的に認められたことになる。
山本作兵衛の絵の何が人々をひきつけるのか。50年近く作兵衛の絵を世に広める取り組みをしてきた画家の菊畑茂久馬さん(76)は、その絵を「既存の美術作品にはない、原初的な力があふれている」と語る。番組では、山本作兵衛の人生をたどり、絵に込められた思いを探るとともに、美術的側面からその魅力に迫る。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/0911/index.html
世界の記憶 ウィキペディアWikipedia)より
世界の記憶 / 世界記録遺産(英語名:Memory of the World)は、ユネスコが主催する三大遺産事業の一つ。危機に瀕した歴史的記録遺産を最新のデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般人に広く公開することを目的とした事業である。
【登録物件 日本】
長らく日本からは推薦が無く、事業そのものの国内における知名度も低かったが、2012年(平成24年)3月までに日本ユネスコ国内委員会がいくつか推薦を出す方針である。候補としては『鳥獣戯画』や『源氏物語絵巻』などが挙がっていた。 日本ユネスコ国内委員会の記憶遺産選考委員会は2011年(平成23年)5月11日、いずれも国宝である『御堂関白記』と『慶長遣欧使節関係資料』を日本政府として初めて推薦することを決定。2012年3月までに推薦書を作成してユネスコに提出し、2013年(平成25年)の登録を目指すことになった。 一方、日本政府とは別に、福岡県田川市福岡県立大学は共同で2010年(平成22年)3月、炭鉱記録画家・山本作兵衛が描き残した筑豊の炭鉱画など約700点の推薦書をユネスコに提出し、翌2011年5月25日、これら697点の作品が国内初の記憶遺産として登録された。
山本作兵衛 ウィキペディアWikipedia)より
山本作兵衛(やまもとさくべえ、1892年5月17日 - 1984年12月19日)は、福岡県出身の炭鉱労働者、炭鉱記録画家。
日本で初めてユネスコから世界の記憶(世界記憶遺産)登録を受けた炭鉱画で知られる。
【人物】
1892年(明治25年)、福岡県嘉麻郡笠松村鶴三緒(現・飯塚市)生まれ。7歳から父について兄とともに炭鉱に入り、立岩尋常小学校を卒業後、1906年明治39年)に山内炭坑(現・飯塚市)の炭鉱員となった。以後、採炭員や鍛冶工員として、筑豊各地で働きながら、日記や手帳に炭鉱の記録を残した。福岡県田川市にある炭鉱事務所の宿直警備員として働き始めた60代半ばに、「子や孫にヤマ(炭鉱)の生活や人情を残したい」と絵筆を取るようになり、自らの経験や伝聞を基に、明治末期から戦後にいたる炭鉱の様子を墨や水彩で描いた。余白に説明を書き加える手法で1000点以上の作品を残した。主要作は画文集『炭鉱に生きる』(1967年)。「ヤマの絵師」として知られた。1984年(昭和59年)、老衰のため死去、92歳没。

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文藝春秋 2011年10月号
山本作兵衛さんと「世界記憶遺産」 【執筆者】南伸坊 イラストレーター・エッセイスト (一部抜粋しています)
「あっ! 作兵衛さんの絵だよ」と、ツマが新聞を見ていった。世界記憶遺産だって。「世界遺産ってったら、あの屋久島とかがなっているアレ?」と、私はユネスコの世界記憶遺産というもののあるのを、その日はじめて知ったのだ。そのそれに日本ではじめて登録されたのが、あの、山本作兵衛さんの炭鉱画だというのは実にすばらしい。「快挙だ!!」と私はすこぶるゴキゲンだ。
世界記憶遺産というのは「アンネの日記」とかベートーベンや、ゲーテの直筆とかが選ばれている。ゲーテとベートーベンと作兵衛さんが肩を並べているのだ。最高じゃないか。
日本政府は、ユネスコに「鳥獣戯画」と「源氏物語絵巻」を推薦するつもりだったらしいけど、それより前に田川市福岡県立大学が、作兵衛さんを推薦していたのだった。
エライな、田川市!! 福岡県立大学!! と、私はものすごく喜んでいる。こんなに世界が記憶するのにすさわしいことがあるだろうか? ユネスコすごいじゃないか! と私はユネスコもベタぼめだ。
山本作兵衛さんは、7つの時から炭鉱で働きだし、還暦のころには仕事をやめるざるをえなくなった。石炭の時代が終わって廃鉱があいつぎ、ボタ山さえ次々に消えていくのを見て、作兵衛さんは、孫に残すつもりで「炭鉱の記録画」を描き出したのだ。
炭鉱の労働現場が記録されることなどかってなかったし、それが実際にそこで働く炭鉱夫によって描かれるなんて前代未聞だ。
が、山本作兵衛の仕事を、いったいどれだけの日本人が知っているだろうか?
私がこんなに力の入った「主張」をするのは、ものすごくめずらしいことだけけれども、それは作兵衛さんや、菊畑茂久馬先生への学恩を感じているからである。
菊畑先生は、現代芸術の前衛作家だけれども、この炭鉱夫のお爺さんの描く絵を見て「絵を描くっていうのはどういうことなのか}」深く考えてしまったのだという。
そういう時に、まったく新しい構想で作られつつあった「美学校」という学校から、先生になってもらえないかと依頼があった。
山本作兵衛さんの絵を、ひたすら模写する、そういう教場でよければやってみたい」
と菊畑先生は答えられ、断わられるに違いないと思っていると、それを是非やってくださいということになったそうだ。
美学校もエライし、菊畑先生もすばらしい。と、その時生徒になって、作兵衛さんの絵を、わけもわからずに毎日、ただ模写をしていた私が、いまそう思う。
200号のキャンバス9枚に36人の生徒で完成させた模写。その展覧会で当時79歳だった作兵衛さんにお会いできた。ゴキゲンのお爺さんとボクら孫達は覚えたての「ゴットン節」で合唱した。たのしかったまあ。
あれから40年経った。今や私もすっかり「お爺さん」なのである。新聞記事でよろこんでから、いくらも経たない頃、講談社の編集の方からお電話をいただいた。作兵衛さんの画文集『炭鉱に生きる』を出したいので、新しい装丁をしてくれとのこと。
勿論!! よろこんでハリキッてデザインした。
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私が書いた推薦文。
「お爺さんが伝えたかった炭鉱の記事が、世界じゅうの人々の遺産になりました。40年前ぼくら学生にしてくれたように焼酎片手にゴキゲンの歌を聴かせて下さい」

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どうでもいい、じじぃの日記。
少し古い雑誌だが、 2011年10月号の『文藝春秋』にイラストレータ南伸坊さんのエッセイ「山本作兵衛さんと『世界記憶遺産』」が載っていた。
山本作兵衛さんは福岡県・飯塚市生まれた。7歳から父について炭鉱に入り、小学校を卒業とともに炭鉱員となった。以後、筑豊各地で働きながら、日記や手帳に炭鉱の記録を残した。60代半ばに、「子や孫にヤマ(炭鉱)の生活や人情を残したい」と絵筆を取るようになり、明治末期から戦後にいたる炭鉱の様子を墨や水彩で描いた。
「世界記憶遺産というのは『アンネの日記』とかベートーベンや、ゲーテの直筆とかが選ばれている。ゲーテとベートーベンと作兵衛さんが肩を並べているのだ。最高じゃないか」
山本作兵衛さんの人生は、波乱万丈ということではないが、作品を残したことによって、世界で記憶される人物になった。
それは、日本の歴史を「炭鉱」という側面から、眺めた壮大な絵巻物語なのだ。
手塚治虫は天才だった。この山本作兵衛もまた、天才だったのである。
自分のことを考えると、恥ずかしくなる。
山本作兵衛氏の「炭坑記録画・記録文章」は2011年に、世界の記憶(世界記憶遺産)として、ユネスコ世界遺産リストに登録された。