じじぃの「日本をいつまでも悪者にしたい中国習近平・ユネスコ事務局長の野望・南京大虐殺登録!週刊新潮」

中國空軍與蒋夫人宋美齡 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-D0Btv1NO48
【紹介】毛沢東 日本軍と共謀した男 新潮新書 (遠藤 誉) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fpe8_VEYJYk
南京大虐殺記念館 Nanking Massacre Memorial Museum 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=owNiSCtjgxY
北京・抗日戦争勝利記念行事に出席した
ユネスコ事務局長ボコバ氏(女性)

本多勝一著 「中国の旅」

毛沢東は日本軍と共謀していた――中共スパイ相関図 2015年11月16日 ニューズウィーク日本版
中国は歴史問題で対日批判を強めているが、日中戦争時、建国の父・毛沢東は日本軍と共謀していた。中国共産党政権に歴史カードを掲げる資格はない。中共スパイ相関図により日中戦争時の中共側の真相を明らかにする。
まず、スパイ相関図「中共スパイと日本軍の共謀」(『毛沢東 日本軍と共謀した男』より抜粋。遠藤誉作成)をご覧いただきたい。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/11/post-4119.php
プライムニュース 「没後40年…毛沢東の闇 革命家か?謀略家か? 戦時中日本軍と共謀説」 (追加) 2016年9月8日 BSフジ
【キャスター】秋元優里、反町理 【ゲスト】遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長 特任教授)、朱建栄(東洋学園大学教授)
中国の「建国の父」とされる毛沢東が死去して40年が経つ。その実像と行動、対日観とはどのようなものだったのか?
東シナ海南シナ海での海洋進出や、日本に対する強硬な姿勢。今日の中国の行動と毛沢東の関係とは?
毛沢東と現代中国の“闇”「日本軍との共謀説」
日中戦争中の中国共産党毛沢東周恩来、藩漢年(スパイ)、日本の軍部と外務省の機関の関係(日本と中国共産党の“共謀”)について。
反町理、「藩漢年はどういう情報を日本に渡してどういう報酬を得ていたのか?」
遠藤誉、「中国の国民党の軍事情報を重慶周恩来が得ることができた。藩漢年はその軍事情報を日本側の外務省機関に渡して巨額の情報提供料をもらっていた、それによって思想戦によって農民の洗脳をした。ほとんどを党の宣伝費に使っていた。日本は客観的事実に基づいて臆すること無くこの真実を直視して、国際的にも情報を発信していかないといけない」
藩漢年は投獄され獄死したという。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d160908_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d160908_1
ワイドスクランブル 2015年11月26日 テレビ朝日
【司会】橋本大二郎大下容子 【コメンテーター】遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
中国は歴史問題で対日批判を強めているが、日中戦争時、建国の父・毛沢東は日本軍と共謀していた。
1939年、毛沢東は藩漢年(はんかんねん)という中共スパイを上海にある外務省の出先機関「岩井公館」に潜り込ませ、日本の岩井英一(当時、上海副領事)と懇意にさせた。
藩漢年が日本側組織に接触した目的は、蒋介石率いる重慶「国民政府」の軍事情報を日本側に高値で売ったり、日本軍に和議を申し込むためだった。
遠藤誉、「歴史を直視していないのは中国の方だ。中国共産党政権に歴史カードを掲げる資格はない。毛沢東日中戦争時代、日本軍と共謀していた」
http://www.tv-asahi.co.jp/scramble/
南京事件/世界遺産登録】ユネスコ事務局長ボコバ氏、元共産主義者で中国の抗日軍事パレードに参加の親中派と判明。しかも次期国連事務総長を狙う為 2015/10/14 まとめ安倍速報
2年に1度の記憶遺産登録のカギを握るのは、ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長が任命する
14人からなる国際諮問委員会(IAC)だ。申請案件を審査し、その結果を事務局長に勧告する役割を持つ。
ボコバ氏はブルガリアの元外相。
中国と良好な関係にあることは国連関係者の間では有名だ。
9月には北京での抗日戦争勝利記念行事にも出席した。
その際には、習近平国家主席夫人と会談し、中国がアフリカなどでの女子教育普及を積極的に支援していることに謝意を伝えた。
http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/46580229.html
習近平氏、「大虐殺の否定は許さない」と言明 2014年12月13日 東洋経済オンライン
●<動画>南京で初の「国家哀悼日」式典を挙行
http://toyokeizai.net/articles/-/55827
本多勝一元記者が、「南京大虐殺」写真の捏造認める! 2014年10月30日 JAPAN+
かつて朝日新聞のスター記者だった本多勝一氏が、日本軍による虐殺の証拠として使ってきた写真が、実は捏造であったことを、本多氏自身が初めて認めました。
問題の写真は、本多勝一氏の『中国の日本軍』に掲載されたもので、日本兵が中国の婦女子をかり集めてこれから虐殺するところであるとの説明がなされています。
http://japan-plus.net/182/
南京大虐殺は本当か その3〜中国国定教科書の歪曲ぶり〜 2012年03月31日 BLOGOS
「昭和史(2004年、平凡社)」で著者の半藤一利氏は、1987年に偕行社から出された「南京戦史」の記録、「中国捕虜・便衣兵などへの撃滅、処断による死者約1万6000人、一般市民の死者約1万5760人」が一番公平なものと思われると書いている。
そして、「この人数のどれだけが、戦闘行為による死か虐殺に当たるかまでは記していないが、これら全てが、いわゆる不法行為によって殺されたとすれば、3万人強がその数ということになると思われる」としている。
http://blogos.com/article/35413/
プライムニュース 「南京事件とは何か 諸説と“真相”の間に 3論客の見方相互検証」 2015年11月12日 BSフジ
【キャスター】秋元優里、反町理 【ゲスト】秦郁彦(現代史家)、藤岡信勝拓殖大学客員教授)、山田朗明治大学教授)
中国の申請によるユネスコ世界記憶遺産への登録で、日本国内でも議論が再燃している『南京事件』。
“30万人が虐殺された”と主張する中国に対し、日本政府は「人数は諸説あり、断定困難」と反論。
そもそも、昭和12年の南京で『何』が起きたのか?
多くの専門家が史料を分析、国内議論を積み重ねながら、現在まで「諸説」が収斂してこなかったのは何故か?
【30万人虐殺と犠牲者数】
・南京裁判(昭和21年、南京軍事法廷) 30万人以上
東京裁判(昭和21〜23年、極東国際軍事裁判) 20万人以上
山田朗、「犠牲者数は十数万人を下らない! 根拠は埋葬記録や揚子江に流した数千人を合せた数字だ」
秦郁彦、「犠牲者数は4万人。捕虜殺害が3万人、民間人殺害が1万人。根拠は日本陸軍の戦闘記録に推計を加えた。中国側が発表した一番古いので4万人としている」
藤岡信勝、「虐殺はなかった。根拠はいろいろある。一例として、中国国民党は1937年12月1日から1938年10月24日に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったとか捕虜の不法殺害があったとは言わなかった。記者からも、そのような質問は全く出なかった」
昭和12年12月16日 日本軍兵士の日記より】
・二万の内三分の一、七千人を今日揚子江湖畔にて銃殺・・・
・五千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を以て射殺・・・
反町理、「2つの日記に書かれていることについて、どう思うか」
秦郁彦、「幕府山(南京郊外の山)の近くで、これは朝日新聞が1万4000人と端数まで書いている。ようするに1万4000人がすし詰めになって、明日の飯をどうしよう、と言って日記に書いている。これは南京の城内から逃げ出してきたのがたくさんいて、この中に兵隊は半分もいなかったと思う。老若男女いろいろいた。これをどうしようということで、十三師団の松井司令部に電話をかけた。松井司令官は釈放しろと言った。これは中国兵は無理矢理兵隊にさせられた。釈放すればそれぞれ幟(のぼり)を立ててそれぞれの故郷に行ってしまう。この意見が有力だった。ところが上海戦では中国軍が精鋭部隊が出て戦った。松井司令官は釈放しろと言ったが、そこにいた長勇という有名な暴れ者の参謀がいて、やっちまえ、と電話で怒鳴った。だから命令違反です。長勇はそれを俺は何万人も殺したと自慢した」
反町理、「それは兵隊だけでなく、民間人も殺したということか」
秦郁彦、「そういうことです。もう少し数を増やして」
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d151112_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d151112_1
プライムニュース 「ユネスコ前トップ語る 記憶遺産“南京事件” 中国の策略と国連改革」 2015年10月28日 BSフジ
【キャスター】秋元優里、反町理 【ゲスト】松浦晃一郎(前ユネスコ事務局長)、山本一太自由民主党参議院議員
中国が申請した「南京事件」に関する資料が、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界記憶遺産」に登録された。日本政府は審議が不透明で公平公正ではないとして、ユネスコへの分担金などの支払い停止も含めて対応を検討している。
これに対し、一部の海外メディアが「ユネスコへの脅し」と報じ、中国も反発するなど波紋を呼んでいる。
番組では、ユネスコの事務局長を10年務めた松浦晃一郎氏らを迎え、世界記憶遺産の成り立ちから審査の現状、登録基準などを検証、課題や今後の在り方を徹底的に議論する。
山本一太、「今回起こっていることは当初想定されていた事態ではない。問題は中国がこの仕組を活用して政治利用しようとしたことだ」
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d151028_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d151028_1
プライムニュース 「2015年幕開けに考える “戦後70年”とは何なのか」 2015年1月5日 BSフジ
【キャスター】秋元優里、反町理 【ゲスト】半藤一利(作家)、加藤陽子東京大学大学院教授)
太平洋戦争終結から70年を迎える2015年。年初の番組では、昭和史研究の第一人者、作家半藤一利氏をスタジオに招く。
日本はなぜ戦争に突入することになったのか?戦後をどう位置付けてきたのか?
年頭に当たり、歴史の視点から“戦後70年”を徹底検証し、2015年を読み解くヒントを探る。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150105_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150105_1
宋美齢 ウィキペディアWikipedia)より
宋 美齢(そう びれい、1897年3月5日(1898年2月12日、1901年など諸説あり) - 2003年10月23日)は、中華民国の指導者蒋介石の妻、輔仁大学理事長(1967年-1992年)、中国国民党中央委員会委員、中国国民党航空委員会秘書長。欧米では蒋介石夫人/Madame Chiang Kai-shekと呼ばれた。
【エピソード】
1938年1月5日付でアメリカの友人宛に手紙を書き送っている。その中に、当時、南京から脱出していた宋美齢によって書かれた、「上海-南京間」での大日本帝国軍の行状に関する記述が在る。
・「彼らは上海と南京の間で五体満足な男性すべてを一人ずつ、あるいは束にまとめて射殺しているのです。わずかに生き残った五体満足な男は、日本軍の使役を強制されています。南京において彼らは冷酷にも何千人も屠殺いたしました」と、友人に訴えている。

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『中国の旅』 本多勝一/著 朝日新聞社 1972年発行
南京事件 より
南京大虐殺として知られる事件が私たち一般日本人に明らかにされたのは、戦後の極東軍事裁判東京裁判)であった。その記録のほかに、断片的な記録はいくつか刊行されている。だが、南京で直接きいた被害者たちの体験は、それまでに私が読んだ限りでの記録から想像していた状況をはるかに越えていた。2日間に4人から取材した中から、まず姜根福さん(43)からきいた当時の一般的状況を説明する。姜さんは南京港務局内河船員として働いており、のちに紹介するように、姜さん自身も悲惨な体験者である。
「1937年12月12日午後4時ごろ、南京に侵入してきた日本軍は、まず城壁の南側の雨花台高地を占領しました。ここにいたるまでに、すでに厖大な住民が殺されています。あくる日13日には、南の城門「中華門」を破って城内に乱入します。このとき国民党の蒋介石軍は10万人以上いました。徹底的に抗戦すれば阻止できたかもしれませんが、かれらは人民を裏切り、民族を侵略軍の手に売り渡してしまったのです」
どのように裏切ったか。たとえば高級将校は、家族を連れてまっさきに城外へ逃げだした。逃げ口は、日本軍がなだれ込んできた南側と反対の、長江に近い「把江門」と「中央門」である。蒋介石軍の主な将校らが逃げだしたあと、この2つの門は締められ、外から錠をおろして交通遮断した。こうしなければ、城内の民衆や敗残兵らが一度に河岸へ殺到し、逃げるための限られた舟を独占できなくなるから。
まもなく、かれらのあとを追って2つの門に大衆が殺到した。門の外からは蒋介石軍の兵隊に交通遮断され、内からは日本軍がなだれ込む。大混乱の群衆や敗残兵に向かって、日本軍は機関銃、小銃、手榴弾などを乱射した。飢えた軍用犬も放たれ、エサとして食うために中国軍を襲った。2つの門に通ずる中山北路と中央路の大通りは、死体と血におおわれて地獄の道と化した。
姜さんの説明はつづく、12月14日になると、日本軍は長江に近い2つの門も突破して、南京城外へくりだした。長江ぞいに下流(北東)へ、下関、煤炭港、宝塔橋、草鞋峡と虐殺をすすめ、さらに南京城北7キロの燕子磯では10万人に及ぶ住民を川辺の砂原に追出しておいて、機関銃で皆殺しにした。このため川岸は死体でおおわれ、長江の巨大な濁流さえも血で赤く染まった。このときまでに、南京城内も合われて約20万人が殺されたとみられる。
「アヒルがたくさん浮いているかのように、長江の水面をたくさんの死体が流れていた光景が、今でもはっきりとまぶたに浮かびます。どこへ行っても空気は死臭で充満していました」と姜さんは語った。
虐殺は、大規模なものから、1人、2人の単位まで、南京周辺のあらゆる場所で行なわれ、日本兵に見つかった婦女子は片端から強姦をうけた。紫金山でも2000人が生き埋めにされている。こうした歴史上まれに見る惨劇が翌年2月上旬まで2ヵ月ほど続けられ、約30万人(注2)が殺された。
最も普通の殺し方は小銃による銃殺と銃剣による刺殺である。大勢を殺すときは、まず隊列を作らせて、手近な殺人予定地まで歩かせる。着き次第、まとめて機関銃で皆殺しにする。銃剣で生存者がないかを刺してテストしたのち、死体を積上げて石油をかけ、焼いてしまう。
(注2) 南京事件で日本軍が殺した中国人の数は、姜さんの説明では約30万人というおおざっぱな数字を語っていたが、正確な数字はむろん知るよしもない。東京裁判のころの中国側(蒋介石政権当時)の発表は43万人(市民23万、軍人20万)だった。東京裁判では11万9000人だが、これは明白な証言にもとづくものだけなので、事実よりずっと少ないとみられている。洞富雄『近代戦史の謎』の分析は、30万人、あるいは34万人説を事実に近いとみている。

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週刊新潮 2015年10月22日号
南京大虐殺の「世界記憶遺産」登録を認めたユネスコ事務局長の野望 (一部抜粋しています)
ブルガリア出身のボコバ事務局長は、上品な容姿とは裏腹に双頭の野心家だ。
「彼女の頭にあるのは、来年末に控えた国連事務総長選挙と言って間違いありません。歴史的な評価や事実認定が定まらない案件の世界記憶遺産登録は極めて異例ですが、それを強行したのは、彼女が中国を味方につけたいと考えたからに他なりません」
というのは外信部記者。
国連事務総長選挙は2期10年で交代することと、世界のあらゆる地域から輪番で選ばれるのが慣例です。1945年の国連創立以来、8人の事務総長が誕生しましたが、未だに東欧出身者はゼロ。しかし、今回ばかりは順番的に東欧が有力視されているのです」
すでにボコバ氏を始め、クロアチアのプシッチ第1副首長やスロベニアのトゥルク前大統領といった面々が立候補を表明しているが、その最有力候補のボコバ氏は、何かと中国と友好的過ぎる関係が取り沙汰されている。例えば、欧米の首脳が一切出席しなかった、今年9月に北京で行われた抗日戦勝記念行事に夫と共に出席したことが明らかになっている。
「その際、彼女はわざわざ習近平国家主席夫人と会談しています。父親がブルガリア共産党機関紙の編集長という家庭に育ったことで、中国共産党にもシンパシーを持っているという指摘もあります。いずれにせよ、国連内部でも彼女の親中ぶりは有名です」(同)。
つまりボコバ氏は中国が事務総長選挙で、自分の拒否権を発動しない代わりに「南京大虐殺文書」の世界記憶遺産への登録を認めるという”ウラ取り引き”を行ったと疑われているのだ。
https://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/newest/
どうでもいい、じじぃの日記。
私は戦後生まれだ。
日本が中国にしたことは何も知らないが、いろいろ調べてみた。
1968年、朝日新聞記者 本多勝一氏が朝日新聞に「南京事件」の記事を掲載した(その後『中国の旅』として出版)。中国の市民が語ったという「日本軍が殺した中国人30万人」、の記述がある。
中国が「南京大虐殺」30万人を言い出したのが、中国自身が調査して言い出したのではないようだ。
『中国の旅』に対しては山本七平(故人)の本になぜ、裏付けを取らなかったとかが書かれている。
蒋介石夫人の宋美齢は米国ルーズベルト大統領に、「南京において彼らは冷酷にも何千人も屠殺いた」、と語っている。
確かに、日本軍が南京で行った虐殺はあったみたいだ。
私は南京で、中国人市民1万人ぐらい殺したのではないかと思う。その根拠は宋美齢が語った何千人は南京市内だとし、南京全体では1万人ぐらいじゃないか、と思った。
中国共産党は30万人殺したといっている。
南京市にある南京大虐殺記念館に展示されている資料には、信憑性の疑わしい写真等があるという。
真実を知りたい。