じじぃの「科学・地球_84_水の世界ハンドブック・水と都市・メキシコシティ」

Land and Water. Part 1

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=t1GTgxOCMBk

地図の右上の矢印がテオティワカン、中央左の矢印は湖の島で現在のメキシコシティ

テオティワカンの不思議

2014年10月20日 mysteryhunterのblog
アステカ人はテオティワカンがあるメキシコ盆地で文明を築いた人々だ。
恐らくテオティワカン人の末裔(まつえい)だろう。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/13988862.html

『地図とデータで見る水の世界ハンドブック』

ダヴィド・ブランション/著、吉田春美/訳 原書房 2021年発行

6 はじめに より

水問題はいたってシンプルである。世界で6億人以上の人々が飲料水にアクセスできず、世界の農業生産の40パーセントが灌漑農業に依存している。
水辺の生態系は自然のプロセスに欠くことのできない役割を果たしているにもかかわらず、きわめて脆弱である、ということである。

103 すべての人に水を? より

104 評価できない価値

多くの学者が、川や湿地がもたらすサービスの価格や、水資源で利益を上げ、飲料水の値段を決めるための最良の評価をしようとしてきた。こうした議論も必要だが、水の象徴的な価値、つまり評価できない価値が無視されることも少なくない。すべての大宗教、神話や伝説において、また都市であれ農村であれ、その風景のなかで、水は大きな位置を占めている。たとえばフランスでは2007年、ボルドーの「河岸通り」と「月の港」が、パリのセーヌ河畔やロワール川流域についでユネスコ世界遺産に登録された。

水と精神性

何冊かの書物を読めば、大きな一神教において水がいかに重要であるか、あらためて認識させられるだろう。エデンの園は4本の支流に分かれた川で灌漑されていた。「水から救われた」モーセは、岩から水を噴き出せる。イエスヨルダン川で洗礼を受け、イスラムでは身を清めなければ祈ることができない。水は伝統的に、大気、土、火とともに基本要素のひとつとみなされ、ニューカレドニアのカナク族からギリシャローマ神話アメリカ先住民まで、数えきれない宇宙創成物語に登場する。近年では哲学者のガストン・バシュラール(1884-1962)が、1942年に出版した『水と夢――物質的想像力試論』において、西欧の想像世界における水の要素の重要性を示した。彼は以下のように書いている。
「水は、人間の思考でもっとも高く評価されるもののひとつ、すなわち純粋さという評価の対象になっている。澄みきった清らかな水のイメージ、純粋な水について語るあの美しい同義反復がなかったら、純粋さの観念はどうなるのだろうか」
こうした抽象的価値が広く共有されているからこそ、非常に多くの文化において、水はたんなる商品とは考えられていないのである。

水と都市

世界の大都市の多くが、海辺や大きな川沿い、湖岸といった水の近くにつくられている。すなわち水は、都市生活において非常に大きな役割を担っているのであり、古くから交易(河川港の重要性)や職人の活動(革なめし、工場での水エネルギーの利用)になくてはならないものだった。いくつかの都市では、権力者が豪勢さを固辞するうえで、水が中心的な役割を果たした。教会、王、さらには共和国が、ノートル=ダム大聖堂からルーヴル宮、国民議会まで、彼らの力のもっとも美しいシンボルをこれ見よがしに、セーヌ川沿いに建てさせた。
文字どおり水上につくられ、運河が張りめぐらされた都市もある。2500年以上前に中国に創建だれた蘇州、テスココ湖の上につくられたテノチティトラン(現メキシコシティ)がそうである。テノチティトランは湖に浮かぶ畑、チナンパに囲まれていた。そうした浮き畑の一部は現在も耕作され、ユネスコ世界遺産に登録されており、メキシコシティの名所のひとつ、2000万人近い人口をかかえる都市圏の緑地帯になっている。
ヨーロッパでは、ブルッヘ、アムステルダムストックホルム、さらに北のサンクトペテルブルクが、橋や運河が町中に張りめぐされていることから「北のヴェネツィア」とよばれている。
都市と水の美的な関係は、産業革命で川や運河の岸辺に環境を汚染するようなインフラがつくられたのち、近年になって復活をとげつつある。産業的に手つかづの土地が見なおされ、川や湖に沿った地域、かつてはふたをして拘束道路をとおすことが検討されていた運河の周辺が再開発されるようになった。この動きはイギリス(ロンドンのイーストエンド)や北アメリカからはじまり、急速に世界へ広まっている。上海とバンド地区の再開発、パリの運河の高級住宅化、ケープタウンウォーターフロントも、都市がふたたび水辺をとりもどした事例である。

水と風景

美的な価値をもつものとして風景が最初に注目されたのは、おそらく中国においてである。中国語で風景を意味する「山水」は、文字どうり山と水と書く。7世紀以降、「山水」は風景画もさすようになり、それ以来、中国やのちの日本でも風景画の意味で用いられている。古典的な風景画に川はつきものである。
ヨーロッパの絵の主題に風景が登場するのはもっとのちのことだが、水は西洋絵画でも重要な役割を果たした。カナレットの都市景観画(ヴェドゥータ)やモネの「睡蓮」。さらに近代になると、数えきれないほどの海洋画が描かれている(奇妙なことに中国の伝統に海洋画というジャンルは見当たらない)。