じじぃの「人の生きざま_117_梅原・猛」

梅原猛 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E6%A2%85%E5%8E%9F%E7%8C%9B/7930/
梅原猛 画像
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000031253.jpg
西田幾多郎 画像
http://www.nishidatetsugakukan.org/contents1/gazou/nishida.jpg
ルネ・デカルト 画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/73/Frans_Hals_-_Portret_van_Ren%C3%A9_Descartes.jpg/200px-Frans_Hals_-_Portret_van_Ren%C3%A9_Descartes.jpg
宮沢賢治

いちょうの実・宮沢賢治の世界・中村桂子 思考の部屋
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/b63906be1eb0249b11981329b537aa9a
梅原 猛氏 講演録2 |「ふくし」を思う ふくし新書
草木国土悉皆成仏の思想
http://www.n-fukushi.ac.jp/pr/chi/umehara/page02.html
梅原猛 ウィキペディアWikipedia)より
梅原猛(うめはらたけし、1925年3月20日 - )は、日本の哲学者。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。
立命館大学文学部教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター所長(初代)、社団法人日本ペンクラブ会長(第13代)などを歴任した。
【人物】
日本仏教を中心に置いて日本人の精神性を研究する。進歩主義、西洋哲学、西洋文明(すなわちヘレニズムとヘブライズム)に対しては否定的な姿勢をとる。西洋哲学の研究者が多い日本の哲学者のなかで、異色の存在である。
市川猿之助劇団のために『ヤマトタケル』や『オオクニヌシ』『オグリ』などの歌舞伎台本を書き、これが古典芸能化した近代歌舞伎の殻を破ったので、スーパー歌舞伎と称している。また『ギルガメシュ叙事詩』を戯曲化した『ギルガメシュ』は中国の劇団が上演し、中国の環境問題の啓蒙に大きな役割を果たしている。『中世小説集』や『もののかたり』など説話に基づく短編小説集も評判をとっている。また『王様と恐竜』『ムツゴロウ』『クローン人間ナマシマ』などのスーパー狂言の台本も書いている。九条の会の呼びかけ人の一人。平城遷都1300年記念事業特別顧問。2006年には源氏物語千年紀のよびかけ人となる。
鈴木大拙を近代日本最大の仏教者と位置付け、その非戦論の重要性を訴える。また「梅原日本学」と呼ばれる一連の論考では飛鳥時代大和朝廷の権力闘争を追求するなど、古代日本史の研究家としても知られる。天皇制への支持は強く、世界主義と排外的ナショナリズムの双方に批判的。靖国神社憲法改正には基本的に否定的な立場を採る。イデオロギーの学術への介入それ自体を批判している。なお、1991年には召人として皇居歌会始に出席している。
また、熱烈な多神教優越主義者、反一神教主義者で、多神教一神教より本質的に『寛容であり優れている』と主張しており、続けて多神教が主流である日本文化の優越性を説いている。その説は多くの「日本文化の優越を語る日本人論」に影響を与え、そのため梅原は、中曽根康弘が創設を主導した「国際日本文化研究センター」の初代所長に就任することになる。
あわせて、臓器移植反対論者として知られている。原子力発電所に対しても30年前から反対論者の立場を取る。

                                • -

『仏の発見』 五木寛之梅原猛/著 平凡社 2011年発行
山川草木に宿る仏の不思議 (一部抜粋しています)
五木 日本の宗教家は、いっときみんな比叡山に学んでいます。親鸞みたいに長く比叡山にいた人もいますが、法然道元栄西日蓮、すべて比叡山にいったん入学し、そこで学んだものを根底において、独自の仏教思想をあみだしていきます。それはやっぱり本覚思想なんですね。
梅原 そう、本覚思想です。眉毛の長い良源という僧は、人相も異常な人間でね。叡山へ行くと、最澄より良源のほうが崇拝されているんです。はじめは妙なことだと思いましたけど、良源は、天台本覚思想の大成者だと考えられていますから、やっぱりごく自然なことだと思いました。 叡山の思想は天台宗じゃなくて天台密教で、それを大成したのが良源だとすれば、その思想は、古代末期から中世に完成したものですね。あなたがおっしゃったように、法然親鸞道元日蓮も、それをぜんぶ学んできたんですね。
五木 ぜんぶ学んできたと思いますね。その影響だけは非常に大きなものがあると思うし、天台本覚思想は根底に、神道的な基盤を、仏教とちゃんと融合させている部分があるんですよ。
梅原 そうそう。
五木 ですから、いい意味で、自然界のあらゆる物には、固有の霊魂や精霊が宿るというアニミズムと、さまざまな思想や宗教を融合するシンクレティズムは、日本の財産だと、私は言っているんですけど。
梅原 そうです。縄文時代弥生時代で、いちばん崇拝されたのが翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)です。翡翠というのは、白い色の中に、みどりが、ちょっちょっと、まだらに入っている。雪の中からみどりがあらわれていて、発芽するという、やっぱり植物の霊を表す。勾玉というのも、ああいう形をしているけど、初期の勾玉は、だいたい動物の形をしている。動物の霊の呪力を表していると思う。
五木 ほう。
梅原 だからイノシシの形をしていたり、魚の形をしている。そういうのが初期の勾玉だとすると、翡翠は植物の霊であり、勾玉は動物の霊です。そこにやっぱり、いわゆる「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」思想が先駆的に含まれる。
五木 そうですね。
梅原 日本の国は、縄文時代の文化が残っていて、それを仏教が変容させて、「山川草木悉皆成仏」という思想を生み出したと思います。そういう思想は、インド仏教や中国仏教にはないんです。インド仏教だと、衆生の範囲は動物までです。植物は衆生と言えない。
五木 なるほど。草木までいかない。
梅原 ええ。中国において道教の影響で、天台仏教の中にそれが入ってくるんだけど、そういう本覚思想は中国仏教の主流にはならない。日本に来てはじめて、そういう思想が仏教の主流になった。それはやっぱり、植物や動物や自然現象にも霊があるという、縄文時代以来の伝統思想が、仏教を変容させたのだと思います。
五木 いや、ほんとにそうですね。京都議定書や、環境問題がうまくいかないというのは、根底的に、人間が地上で一番大事なものだという、万物の霊長意識があるからなんですしょう。その大事な人間の生活を豊かにするためには、木を伐(き)ってもいいし、森をつぶしてもかまわないという、この傲慢な考え方を反省しなければ、前に進まないと思いますね。 でも欧米では、人間がこの地上でもっとも大事なものだという、ルネッサンス以来の思想が深く沁(し)みわたっていて、一朝一夕にはぬぐい去るのは難しいのではないでしょうか。
梅原 まったくおっしゃる通りだと思います。
五木 その点アジアでは、昔から人間以外の生物にも、自分たちと同じような「いのち」を感じていました。ですからブッダと同時代に生まれたジャイナ教ではアヒンサー=不殺戒(ふさっかい)をもっとも重要な哲戒としていますね。 興味深い話が伝わっています。インドに不況に行ったイエスズ会士が、空気中の小さな生き物も殺さないようにと、口に白い布きれをあてているジャイナ教徒に「そんなことしたって、お前さんの飲んでいる水はこんなに微生物が入っているんだよ」と顕微鏡で見せたところ、そのジャイナ教徒はアヒンサーを破るより、水を飲まないで死ぬ方を選んだという。
梅原 ほう、徹底していますね。だからね。その影響を受けてか、ヴェジタリアンになるんです。釈迦は。
五木 ああ、ヴェジタリアン。
梅原 植物まで生き物であり、生き物を食べたらいかんとなったら、食べるものがなくなる(笑)。
五木 そうなんですが(笑)、でも私は、前からそう思っているんですよ。べつに稲は人間に食べられようと思って実るわけじゃないんです。それなりに生きていこうとするところがある。 日本の仏教も、動物まで行ってるんですが、本覚思想は、まだ底辺まで仏教思想としては成熟していないような気がします。むしろ民衆の、祭りとか慣習の中で、木こりが木を伐るとか森に入るときに注連縄(しめなわ)を張ってみたり、熊祭りとか、ああいう行事の中に、いまでもあらわれているように思います。
梅原 天台本覚思想を、もっとも明確に語るのが能なんです。能のシテは人間ばかりじゃなくて動物、狐もあるし、ぬえもあるし、桜もあるし、そういうのが全部、霊をもって苦しむが、最後にはすべて救われるんですよ。
五木 なるほど。
梅原 私は天台本覚思想を勉強しようと、いろいろ文献を読んでみたが、よくわからなかった。しかし能を研究するようになったら、よくわかるようになった。 世阿弥(ぜあみ)に「白楽天(はくらくてん)」という能がある。唐の白楽天が日本の様子を探ろうとして、大きな船で博多へやってくる。それを知った住吉明神(すみよしみょうじん)が漁師に化けて、博多で待ち構えるんです。白楽天は漁師を見て、問答になるんです。はじめは漁師をバカにしているんですけどね。白楽天が詩をうたうと、すぐにそれを和歌にするんです。いったい詩とは、和歌とは何かということになる。白楽天が「詩は人間が作るものだ」と言うと、住吉明神は「和歌は人間ばかりか鶯(うぐいす)や蛙(かえる)も和歌を作るんだ」と言う。
五木 ほう。「生きとし生きるもの、いずれか歌を詠まざりける・・・」。古今和歌集仮名序ですね。
梅原 そう、中世の古今集解釈でね。古今集の仮名序に、いま五木さんがおっしゃった言葉があるんです。それを文字通りに解釈して、死んだ人の霊が鶯になって和歌を読んだとか、蛙になって足で文字を書いたら立派な和歌になっていたとか、そういう中世の古今集の解釈がある。こういう解釈に基づいているんですけどね。その中で、雨の音も、風も、和歌だということになるんですよ。
五木 花鳥風詠(かちょうふうえい)というのも、あれは1つのアニミズムでしょう。
梅原 アニミズムです。それで中国の詩より、和歌のほうが上じゃということになってね、議論に負けた白楽天が、唐に逃げて帰るという面白い能です。これは日本最初の比較文化論だと思います。
五木 本覚思想というのは、それをきちんと体系化して思想化し、理論づけていったわけで、もともと、たとえば中世の人たちは、風の音にも命があり、若葉に息吹きを感じるという。植物とのあいだでも相照応(あいしょうおう)して、コレスポンダンスしている感じがあります。
梅原 そうそう。
五木 ですから日本は、資源がないと言われるけれども、21世紀は、これまで近代の中で日本人のアキレス腱(けん)と思われていたようなアニミズムシンクレティズムというものを、1つの思想として体系化し、それを大きな資源として、世界に中で、なにかの貢献ができるような気がするんですね。経済成長はもう限界があるんだから。

                                • -

「3.11後を生きる君たちへ 〜東浩紀 梅原猛に会いに行く〜」 2012年3月25日 NHK Eテレ
【出演】元国際日本文化研究センター所長・学者 梅原猛東京工業大学世界文明センター特任教授 東浩紀 【語り】小林紀子
東日本大震災から僅か1ヵ月後の2011年4月、原発事故を引き起こした災害を、いち早く「文明災」と定義し、大きく注目された哲学者・梅原猛さん。その後、西洋哲学を徹底的に批判し、日本の伝統思想に立脚した自然と共存する人類共通の哲学の必要性を訴え続けている。震災から1年が過ぎた2012年3月、哲学者・東浩紀さんが京都の梅原さんの自宅を訪ね、新たな哲学、そして若者へのメッセージを聞く。
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20120325-33-24866
2012年3月25日放送 NHK 「3.11後を生きる君たちへ 〜東浩紀 梅原猛に会いに行く〜」より
京都にある自宅で、梅原猛さんが東浩紀さんら7〜8人の若者と語り合う映像が出てきた。
梅原さんはまずこの1年間、考えてきたことについて語り始めました。
梅原 大震災が私の哲学を語る原因になった。それまで私の自分の哲学を語ろうと思っても、もうひとつ勇気がなかった。ところが大震災が起き、原発事故が起きた。それは近代文明の災(わざわ)いではないかと。今のヨーロッパ、世界の先進国は何パーセントか、原発をエネルギーにしている。文明そのものが問われている。そういうふうに思った。歳も86なので、思いきって自分の哲学を語ろうと。その哲学ですが、私は戦争に行った世代で、最後の戦中派です。輸送船も沈没して行けない。本土も爆撃で燃えたりして。その時、私の先輩はたくさん死んだ。私も死ぬんだ。ずっと死というものを考えていた。それで哲学を一生の仕事にしようと思って。尊敬する人に日本の大哲学者の西田幾多郎というのがいる。西田の哲学の学風が残る京都大学で学んだんです。哲学とは何かと言うと人間、人類がどう生きたらいいかという、そういうことを考える。
大学時代の友人と一緒に撮った写真が出てきた。
終戦後、京都大学で西洋哲学を学び始めた梅原さん。しかし、環境問題など現代文明が掲げる大きな課題に西洋の哲学では答が出せないと考えるようになりました。梅原さんは40歳のころ、西洋哲学に見切りをつけ、日本文学の研究に乗り出します。縄文文化、古代史、神話、仏教などの研究を通して、日本人が古来から持っている思想のなかに、現代文明の矛盾を解決する答を探ってきました。その仕事は「梅原日本学」と呼ばれています。
原発事故を「文明災」と位置づけた梅原さんはその後、現代文明のベースにある西洋哲学を1から洗い直す仕事を始めました。そしておよそ400年前に唱えられたある考えに大きな問題があると確信しました。
デカルト肖像画が出てきた。
17世紀、フランスの哲学者ルネ・デカルトが唱えた「われ思う、ゆえにわれあり」。デカルトは世界で唯一確かなものは考える自分自身であるとしました。一方、目の前にある自然は数式に置き換え、容易に支配できるものだと考えました。
産業革命
黒い煙をはきながら走る蒸気機関車の映像が出てきた。
人間は自然の上に立つというデカルト哲学のもと、科学は発展し、産業革命が起こります。しかし、これは同時に環境破壊を始め、大きな問題を起こしていきました。
梅原 人間中心主義だ。デカルトのいう「われ」が世界の中心なんです。自然を数式化することによって支配できると。自然支配の論理だと思うんですよね。それで科学技術文明を作って、自然支配、人間支配の”意志の文明”を作った。そういう”意志の文明”では自然破壊、あるいは人間破壊、そういう”意志の文明”の権化が原子力じゃないかと思う。私はそういう西洋哲学を越える、現代文明を越えるような新しい文明原理が日本の思想に潜在しているのではないかと思う。
西洋哲学では人類は存続できない。梅原さんが新たな文明の原理として打ち出したのが日本に古来からある自然と共存する思想です。それは「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という仏教の言葉に象徴されると言います。草も木も土や風に至るまで地球上のありとあらゆるものに仏が宿る。人間と同じように魂を持つという考えです。人間だけが特別な存在ではなく、すべてのものが地球の一部に過ぎない。この思想は縄文時代以来の日本人の考えを受け継いだものであると梅原さんは考えています。
梅原 日本の思想の原理である「草木国土悉皆成仏」というもので表現できるのではないかと思っています。これは植物中心の世界観じゃないか、そういう考え方は生態的にも動物は植物の寄生として生まれた。私は宮沢賢治が大好きです。宮沢賢治の世界は「木」がものを言う。木が人間と同じような愛や悲しみを持っている。
宮沢賢治の写真が出てきた。
「草木国土悉皆成仏」という思想を具体的に表現した文学者が宮沢賢治です。「山猫」や「桑」「いちょう」「風」「雪」などを地球のありとあらゆるものを主人公にした童話を作りました。中でも梅原さんが注目したのが『いちょうの実』という作品です。秋にいちょうの実が地上に落ちる前に不安を抱きます。母親であるいちょうの木は子供たちをただ見守るだけです。
 一つのいちょうの実が言いました。
 「落ちる途中で目がまわらないだろうか」
 「よく目をつぶって行けばいいさ」 もう一つが答えました。
 おっかさんの木はまるで死んだようにじっと立っています。
 下から氷のように冷たい透きとおった風がゴーッと吹いてきました。
 「さよなら、おっかさん」、「さよなら、おっかさん」
 子供らはみんな一度に雨のように枝から飛び下りました。
この童話にも地球上のあらゆるものが人間と同じように感情を持っている。宮沢賢治の思想が表れていると言います。
梅原 「共存する意志」。植物を中心に見て、そして、植物というのは多様性を持っています。そういう植物中心の世界観。人間中心主義な哲学ではなくて、むしろ、生きとし生きるものと共存するという「草木国土悉皆成仏」の思想に帰らなければならない、というのが1つです。「君が代」という歌は本来は小さな石が大きな岩になって苔がむすまで長生きしてくれという、そういう歌です。
君が代」にある「さざれ石」とは小さな石のこと。それが大きな岩になるまでを表現した歌で、「草木国土悉皆成仏」の思想が込められていると梅原さんは言います。
梅原 人間の命を例えれば、石だな。石もまた生きているんだな。小石からだんだん大きくなる。
     ・
梅原猛 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&aq=f&oq=%E6%A2%85%E5%8E%9F%E7%8C%9B&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E6%A2%85%E5%8E%9F%E7%8C%9B&gs_upl=0l0l2l264266lllllllllll0&aqi=g5s3&oi=image_result_group&sa=X