じじぃの「スペースインベーダー・偉大なるゲーム界の侵入者!国産はじめて物語」

【UFO襲来映像】無慈悲!UFOが民間人を攻撃!!2014年 ≪xBC≫ 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZocXje8__gU
スペースインベーダー攻略その2 (名古屋撃ち編) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Nc6isbim31I
スペースインベーダー30周年アニメーションPV 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=e8hqJpE7BL4
Arcade: Space Invaders (1978) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=437Ld_rKM2s
スーパーマリオブラザース(クリア最速タイム?) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=PnPUVqI2GLQ
UFOが中国四川省の道路に出現して攻撃?? 2014年09月30日 BARAFUKUHIME
過去に起こった、タンクローリーの事故の映像に、 UFOを付け足してつくった、偽物映像なのか?
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51933937.html
ワールドビジネスサテライト 「ドラクエ“オンライン”で変わる市場」 2012年8月2日 テレビ東京
【司会】進藤隆富、森本智子小谷真生子
スクウェア・エニックスがきょう発売した人気ゲームソフト「ドラゴンクエストX」の特徴はオンラインソフト。メーカー側も継続的なコンテンツ提供が必要となりますが、商品の寿命が長くなり、数十億円といわれる初期の開発費用を回収しやすくなります。急成長を続けるオンラインゲームの市場は現在4,000億円を越えるまで成長し、その半分を占めるのがソーシャルゲームです。ソーシャルゲーム大手グリーは最大8人が参加できるレースゲームを開発するなど、研究の手を休めません。一方ビデオレンタル大手TSUTAYAの運営会社カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が手がけるのはポイントカード「Tポイント」と連動したソーシャルゲームで、企業の実名を使いながら架空の街づくりを楽しめるのが特徴です。実際に店でTポイントカードを使うことが利用の条件で、ソーシャルゲームを販売促進へと利用しています。開発者の一人CCCのTポイント&アライアンスカンパニーゲームリーダー、赤松友美さんは「店をゲームのコレクションに加えたい顧客が、提携店を訪れている」と分析した上でサービスの拡大に意欲を見せました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/newsl/post_24718/
スペースインベーダー ウィキペディアWikipedia)より
スペースインベーダー (Space Invaders) とは、株式会社タイトーが1978年(昭和53年)に発売したアーケードゲーム。これを初めとする同社の後継製品、他社製の類似商品・模倣品を総称してインベーダーゲームと呼ぶ。
【開発】
開発者は当時タイトーの子会社、パシフィック工業の社員だった西角友宏。「敵の集団」という発想は『ブロックくずし』を元にしたと西角本人が説明している。開発当時、アタリ社の『ブレイクアウト』を日本に持ってきた『ブロックくずし』が、ゲームセンターや喫茶店などで人気を博していた。そこでタイトーではブロックくずしに続くゲームの開発を指示し、その内の一機種が『ズンズンブロック』と、このスペースインベーダーであった。
インベーダーのキャラクターデザインは、H・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』の挿絵をヒントに西角がイメージ画を描き起こし、これを元に西角自身でドット絵が作成された。イメージ画のモチーフは、タコ(10点)、カニ(20点)、イカ(30点)となっている。
西角はデザインのためにブラウン管をペン状のデバイスライトペン)で直接描画し、それをデータとして利用できるシステムを発明した。これが世界で最初の実用コンピューター用ペンデバイスであったとされることがある(なお、ライトペンはWhirlwindで開発されSAGEで使われたのが最初と一般には今日ではされている)。西角は、曰く「自分の作業をしやすくするための道具として作っただけ」という理由で、特許などは取得しなかった。
【名古屋撃ち】
インベーダーのミサイル攻撃は、インベーダーが糞尿を垂れ流しているように見えることを防ぐためキャラクターの直下からではなく、1キャラクター離れたところから発射されており、当たり判定はそのさらに一段下から行われるので、インベーダーと砲台が上下に隣接した状態では、当たり判定が絶対存在しないことを利用して攻撃する方法である。この方法は最下段まで相手をひきつけて行う必要があり、間に1〜2段隙間が開いていると、避ける間も無くインベーダーのミサイル攻撃を受けてしまうことがある。
西角友宏 ウィキペディアWikipedia)より
西角友宏(にしかどともひろ、1944年3月31日 - )は、日本のゲームデザイナー・ゲームクリエイター。株式会社ドリームス会長。大ブームを起こした『スペースインベーダー』の生みの親として知られる。
【経歴】
大阪府岸和田市出身。東京電機大学通信工学卒業後、音響メーカーに就職。後に1969年にタイトーの子会社であるパシフィック工業に入社、さらにタイトーに移籍している。
元々、エレメカのエンジニアを勤めていたが、『ポン』やCPUの存在を知った時「これからはゲームの度に部品を全て作り直すのでなく、集積回路のデータを書き換えるだけで、ゲームバランスの調整や新ゲームの作成が楽になる」というメリットを見抜いており、日本のアーケードビデオゲーム黎明期において、後述する傑作を何作も手がけた。しかし活躍した時期が大変早い為、一般のゲームマニアにはインベーダー程度しか知られていないのが実情である。そのほか、『スペースインベーダー』開発のさいにコンピューター用ペンデバイスを開発した。
1996年退社、非常勤技術顧問を2年間勤めると共に、有限会社ドリームスを設立。2010年現在、ドリームスの会長である。

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『国産はじめて物語〈Part2〉―戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話1950〜70年代編』 レトロ商品研究所/編集 2004年発行
スペースインベーダー 社会にも大きな影響を与えた偉大なる「ゲーム界の侵入者」 (一部抜粋しています)
「ズ・ズ・ズ・ズ・・・」という独特の効果音とともに、敵である55のスペースインベーダーが爆弾を落としながらこちらに迫ってくる。プレーヤーはトーチカで身を守りつつ、発射台を移動させて敵を攻撃する。時々出現するUFOを撃沈させるとボーナスポイントが加算され点数がさらにアップ。そして発射台3つすべて攻撃されるか、陣地を敵に侵略されるとゲーム終了――。
スペースインベーダー」は昭和53(1978)年に登場した。それまでは一方的にプレーヤーが的や敵を撃って点数を競うタイプはあったものの、敵が攻撃してくるのは初めてだ。斬新な発想をもつ、このゲームは「インベーダー現象」なる言葉まで生み出し、大きな社会現象にもなった。現在30歳半ば以上の世代で当時、この刺激的なゲームに夢中になった人もかなりいるだろう。
発案から発表まで約1年間を要した。製作者は当時、タイトーの技術部にいた西角友宏(現・ドリームス会長)。驚くべきことにグラフっリックからプログラム、プロトタイプ製作に至るまで、サウンドを除くすべての開発は西角が一人で手がけたという。現在ではゲーム開発に際して大勢の人が関わるのが常識。「しかし、当時は一人でやるのが当たり前だったんですよ。それだけ自分のアイデアを盛り込めるし、楽しみながら取り組んでいましたね」と西角がコメントする。
当時、日本ではまだ開発されていなかったが、アメリカではすでにマイクロコンピューターを使用したゲームが登場していた。とくに昭和51(1976)年、日本に上陸した「ブレイクアウト」なるゲームが大ヒットした。そんなある日、西角のもとに「これを超えるゲームをつくれ」という社名が下される。開発の原点はこのゲームだったのだ。
ブレイクアウト」はいわゆる「ブロック崩し」ゲームで、プレーヤーは板でボールを打ち、積み重なったブロックを消していく、というもの。西角自身も「こういう遊びは昔からどこかであった。コツコツ1つずつブロックを消していく、という地味な行為はむしろ日本人向きかもしれない」と、そのゲーム性の良さに感心したという。さらに最大の魅力は最後のブロックを崩す瞬間。この達成感を新製品にも取り入れようと考えた。
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試作段階当時、西角は若い営業マンがスペースインベーダーの試作品に夢中になっている姿を見て「絶対にウケる」と確信していたという。ところが業界の新作発表会では、同時出品された他のゲームのほうに評判が集まり、スペースインベーダーは注目されなかった。発表以前から、社内の管理職クラスの意見と同じで、年配層が中心だったオペレーターの間には「難しすぎる」と不評だったのだ。その予想どおり、一般へ発表した当時はパッとしなかったのだが、学生が夏休みに入る8月頃から、グンと人気が上昇。今までにないタイプのゲームの登場に、若者たちが敏感に反応したのだ。ゲーム関係者も、1日あたり1台5万円を稼ぎ出すこの「宝の箱」に飛びついた。生産が間に合わず、買い付け業者の間では「現金100万円をタイトーに持っていったら売ってもらえる」といったデマまで囁かれたほどだ。また集金した営業のトラックがお金の重さでタイヤが沈んだとか、コインボックスが満杯になったのをゲームショップの店員が故障と勘違いして「お金が入らない」という苦情が相次いだという。
このように、その熱狂さゆえ起った、インベーダー争奪戦にまつわる噂は後を経たなかった。しかし、産みの親である西角本人は「もう試作が終わって、自分の手から離れていたせいか、あまり関心がありませんでしたね」とのことだった。
ヨーロッパを中心に、海外の若者を虜にしたスペースインベーダーは、日本はもとより、世界のゲーム業界でも「シューティングゲームの金字塔」として、今もなお認識されている。昨年(2003年)は、誕生25周年記念としてプレステーション2ソフト「スペースインベーダー アニバーサリー」が発売。さらに携帯電話からダウンロードできるゲームとして、今年(2004年)7月から新たに「インベーダーグルーヴ」というアニバーサリーバージョンのゲームを配信。従来のルールに加えて、敵の動きの多様化をはじめ、スペシャルステージや、ゲーム途中に登場するUFOを撃ち落とすことによって取得できるアイテムの追加など、まさに記念仕様にふさわしいゲーム内容に進化しており、再び国内外で注目を集めている。「どんな人にも、ずっと愛されるゲームであってほしい」という西角の願いは、今もなお継続し、このゲームのバージョンアップとともに広がりを見せている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『国産はじめて物語〈Part2〉―戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話1950〜70年代編』という本を見ていたら、「スペースインベーダー 社会にも大きな影響を与えた偉大なる『ゲーム界の侵入者』」というのがあった。
「『ズ・ズ・ズ・ズ・・・』という独特の効果音とともに、敵である55のスペースインベーダーが爆弾を落としながらこちらに迫ってくる」
そういえば、ほとんどの喫茶店に置いてあった。夢中になってやったなあ。
「『スペースインベーダー』は昭和53(1978)年に登場した」
昭和53年か。ネットで「昭和53年」をキーにして調べてみた。キャンディーズが後楽園球場で解散コンサートを行った。成田国際空港が開港した。イギリスで世界初の体外受精児(試験管ベビー)が誕生した。北京で日本と中国との間で日中平和友好条約調印された。植村直己が人類初の北極点到達に成功した。ピンク・レディーが「透明人間」を、堀内孝雄が「君のひとみは10000ボルト」を、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」を、山口百恵が「いい日旅立ち」を、ゴダイゴが「ガンダーラ」を歌っていた。映画ではスティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』が、ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』が日本公開し、ヒットした。テレビでは田宮二郎主演の「白い巨塔」が、黒柳徹子久米宏司会の「ザ・ベストテン」が、日本テレビの「24時間テレビ『愛は地球を救う』」がスタートした。巨人の王貞治が後楽園球場で世界新記録の800号本塁打を達成した年だった。
「ヨーロッパを中心に、海外の若者を虜にしたスペースインベーダーは、日本はもとより、世界のゲーム業界でも『シューティングゲームの金字塔』として、今もなお認識されている」
このスペースインベーダーが「パックマン」とか、「スーパーマリオブラザーズ」とか、「ファイナルファンタジー」なんかに繋がっていったんだろうな。
中国が日本の高度経済成長を見て、あわてて日本と国交を結んだ年だった。これを機に日本の巨額のODAが中国に流れ込み、中国が発展することとなった。そして去年、日本と中国のGDPがついに逆転してしまった。