じじぃの「人の死にざま_1024_M・ハイデッガー」

マルティン・ハイデッガー - あのひと検索 SPYSEE
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Martin Heidegger Critiques Karl Marx - 1969 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=jQsQOqa0UVc
Radio2.4km@youtube No.64 review vol.3 [ハイデガー存在と時間』の構築] 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Lzl4ROmXcR8
マルティン・ハイデッガー ウィキペディアWikipedia)より
マルティン・ハイデッガーMartin Heidegger、1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、ドイツの哲学者。ハイデガーとも表記される。
デカルト批判と現存在】
現象学的方法は、デカルト的な実体である「われ」―純粋な思惟者としての「われ」―の否認を必要とする。デカルトが「われ思う」だけは疑いえないものとしたとき、思っている「われ」の存在様式は無規定のまま放置されたとハイデッガーは述べている。
ハイデッガーにとって、現存在を規定するのはこの存在の隠れなさである。ハイデッガーの用語「現存在」とは、おのれの存在を関心事とする存在者であり、また、おのれの存在をそのように開示させる存在者である。ハイデッガーが存在の意味についての探求を現存在の本質についての探求とともに始めたのはこうしたわけである。存在の隠れなさは基本的に現世的かつ歴史的な、非計測的な時のうちでの現象である(本書を『存在と時間』と題したのもこのためである)。われわれが過去・現在・未来と呼ぶものは本来この隠れなさの見地に照応するものであり、時計によって測定される均一的な数値化された時間における排他的な三区域のことではない。
【影響】
ハイデッガーサルトルのみならず、フランスのポストモダンポスト構造主義思想家フーコーデリダラクー・ラバルトらに影響を与えた。特にハイデッガー形而上学の解体はデリダ脱構築に深い影響を与えた。
日本においては、初期、九鬼周造三木清和辻哲郎らの哲学者がハイデッガーの思想から影響を受けた。戦後、マルクス主義思想の隆盛等によってその影響は退潮したものの、サルトルモーリス・メルロー=ポンティらに代表される実存主義との関連で読まれることもあった。紹介者として有名なのは木田元らである。さらに、1980年代のいわゆる「ニュー・アカ」ブームにおいて、ニーチェデリダの著作と共に知られる機会が多くなった。

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2012年3月25日 NHK Eテレ 「3.11後を生きる君たちへ 〜東浩紀 梅原猛に会いに行く〜」 より
【出演】元国際日本文化研究センター所長・学者 梅原猛東京工業大学世界文明センター特任教授 東浩紀 【語り】小林紀子
東日本大震災から僅か1ヵ月後の2011年4月、原発事故を引き起こした災害を、いち早く「文明災」と定義し、大きく注目された哲学者・梅原猛さん。その後、西洋哲学を徹底的に批判し、日本の伝統思想に立脚した自然と共存する人類共通の哲学の必要性を訴え続けている。震災から1年が過ぎた2012年3月、哲学者・東浩紀さんが京都の梅原さんの自宅を訪ね、新たな哲学、そして若者へのメッセージを聞く。
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エジプトのピラミッドの映像が出てきた。
それを確信したのは4年前、エジプトでのフィールドワークでした。西洋文明の原点とされるエジプト文明。そこにも太陽や水を神として崇拝する思想があったことを知ったのです。
梅原 エジプトへ旅行したことで、日本の思想を見直すきっかけになった。エジプトは農業神、農業国です。ナイル川が増水して肥沃な土地に太陽があたる。そこで一番大切にされるのは「ラー神」だ。太陽崇拝、それから水。日本の仏教でも一番の神は「大日如来」。そして一番崇拝された仏様は観音様。観音様は手に(水を入れる)瓶を持っています。太陽と水の神、仏というのが、日本の家族の中心だった。それはやっはり農業神だ。
梅原さんは自然と共存する思想がエジプト文明に続くギリシャで失われたと考えています。ギリシャを訪ねた際に森がはるか昔に破壊されてしまったことを知ったからです。
梅原 太陽と水の恩恵というものがギリシャユダヤにはそういう神が喪失しているんです。ギリシャというのは海賊国家です。海賊で支配して、植民地を乗っ取ってきた国家。太陽と水の恵みを忘れた文明。それをずっとやってきて近代文明になった。そういう文明の流れがある。それが原子力という大変なものを発明した。そして、現代文明は原子力エネルギーを根源として使っている。そして、脱原発の運動が広がっているとき、自然エネルギーというのに帰ってきている。エネルギーの問題ではなくて、宗教の問題ではないか。思想の問題ではないか。人間はもう一度、太陽の崇拝や水の崇拝を人類が獲得しないと。そこに帰らないと人類は存続できなくなるのではないか、という気持ちを強く持っている。
3.11の地震津波でがれきの山となり、原発事故で人が住めなくなってしまった町の映像が出てきた。
自然との共存を訴える梅原さん。それに対して東さんは被災地で目の当たりにした自然の恐ろしさについて尋ねました。
  起こる自然の共生というのはどういうものなのだろう。普通に考えれば、今回地震にやられた。津波にやられた。自然が起こるかもしれない。だからもっと自然をコントロールしなければいけないという発想もあると思うんです。実際今回原発事故が起きても、みんなが脱原発と言っているわけではなくて、原発事故が起きたからこそ、次回は事故が起きないようにより技術力を高めようという主張もある。そういう形で自然が起こったからこそ、もっとコントロールしなければいけないという発想もあると思うんですが。
梅原 日本の神道の本質は自然の恐ろしさから出発している。自然の恐ろしさに捧げものをすることによって、恐ろしい自然を恵の自然に変えていく。これが日本の自然です。自然は一面怖い暴君のような恐ろしさを持つ。一面慈母のようなやさしい面を持つ。この二面を西洋の文明は忘れていた。例えて言うと、富士山が噴火する。充分考えられる。これに対する備えをする。
  その備えというのは、自然が起こっても大丈夫なようにしていくということですか?
梅原 そうです。でも私はいつも覚悟している。これが日本の自然です。
200〜300坪ぐらいの自宅の日本庭園を梅原さんと東さんたちが散歩している映像が出てきた。
梅原さんがこの場所で暮らすようになったのは40年前。自然豊かな環境で思索を重ねてきた。
梅原 足利義政もここを好んだんですよ。足利義政銀閣寺を建てる予定の場所だった。
  すばらしい。
梅原 いのししやたぬきなどがやってきます。
原子爆弾によるきのこ雲の映像が出てきた。
20世紀に入ると、科学技術文明は原子力など人類の存在を脅かしかねない問題を生み出します。西洋では多くの哲学者がこの問題について解決策を探ってきました。
ハイデッガーの写真が出てきた。
20世紀最大の哲学者といわれるマルティン・ハイデッガー原子力技術の背景には、自然は人間の役立つものとしか捉えられない考え方を批判しました。そこで詩人のように自然の本来の姿を見ることが大事としました。
  ハイデッガーはまさに梅原さんが言われたように、ギリシャヘブライ以降の人間中心主義哲学の完成形態としてあって、あそこからどう出るか。
梅原 ヨーロッパにある種の自己批判があるが、やっぱり人間中心主義を克服できていない。これがやっぱり大きな問題だ。
2人はハイデッガーの自然と人間を分けて考えるかぎり、人間中心主義から抜け出せていないと考えています。
  人間中心主義というか、自然と人間を分けて、人間だけが主体で、自然というものは客体であると発想するのは、科学を可能にした発想なんだけど、これ自体は何も根拠がない。現代科学の知見はおそらくこれをいろんなところで否定している。だから人間だけが主体であると、人間と自然がきっちり分かれるというのは世界は、実はなっていないので、科学の最先端でも明らかにした知見を思想的に理解するためには、実は科学の最初にあった主客の分離というか、人間と人間以外のものの分離みたいな前提を変えなければならない。
梅原 そう。それに対して、世阿弥に「白楽天」という能がある。
「白楽天図屏風」(尾形光琳作)の画像が出てきた。
人間が主体であるとする西洋哲学の限界を乗り越える思想として、梅原さんが注目するのが能の「白楽天」です。中国の詩人の白楽天は日本人の知力を試すため、九州にやってきます。白楽天が中国の詩のすばらしさを語ると、迎えた住吉明神は和歌について説明します。
中国の詩は人間だけのものだが、日本の和歌は人間ばかりか、うぐいすもかえるも波でさえ、詠むことができる。白楽天は降参し、中国に帰っていきました。梅原さんはここに人間と自然を分けない日本独自の思想を見出しています。

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文藝春秋』 特集 「名著再発見 60歳になったら読み返したい41冊」 2012年11月号
存在と時間」 ハイデッガー 【執筆者】梅原猛(哲学者) (一部抜粋しています)
学徒出陣で出征した先輩たちが相次いで帰らぬ人となり、最後の戦中派である私も死の想念に深く囚われた青春時代を送った。しかし予想よりも早く戦争は終り、私は京都大学文学部哲学科に復学したが、壮大な理性哲学を説くカントやヘーゲルの哲学に共感をもつことはとてもできなかった。そのようなときに私は大学近くの書店でハイデッガーの『存在と時間』の海賊版を見つけて買い求め、読んだ。私の3年間の大学生活は『存在と時間』とともにあったといえよう。
ハイデッガーはこの著書で、人間が死への存在であることを断言したのである。西洋の哲学において真正面から死を論じたものはない。それはやはりキリスト教の影響が大きかったゆえであろう。キリスト教においては人間は、死ぬといったん眠りにつくが、神の国の到来とともに復活し、永遠の生命を享受するものであった。このような思想を信じているかぎり、死は哲学の根本問題になりぬくい。ハイデッガー哲学も、ニーチェのいう「神の死」の時代の思想的産物なのかもしれない。
ハイデッガーは、人間をそこにある存在、「現存在」としてとらえる。現存在は日常的にはものに対する顧慮や人間に対する配慮に心を奪われ、自己の存在の本質の本質を忘却している。しかしときに不安が現存在を襲い、現存在が有限で、死への存在であることを自覚させる。そのように死への存在を自覚した場合の現存在がまさに「実存」なのである。
このようなハイデッガーの哲学は実存哲学とよばれる。は実存哲学はキュルケゴールとニーチェを開祖として、ハイデッガーヤスパースによって体系的に哲学になったといわれる。
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ハイデッガー第一次世界大戦において輜重兵(しもようへい)として出征し、死を覚悟するほどの体験をしたのであろう。『存在と時間』の背後にはそのような彼の体験があろうが、第二次世界大戦において一時は特攻隊を志願しようとした私にもそのような体験があったといえる。
わたしの著書『隠された十字架』『水底の歌』も、歴史の闇の世界を甚だ冷静にかつ甚だ冷静に論じたものである。
ハイデッガーの『存在と時間』の熟読に明け暮れた学生時代を送らなかったならば、このような著書は書けなかったであろう。

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