じじぃの「東日本大震災(3.11)後を生きる君たちへ・東浩紀が梅原猛に会いに行く!草木国土悉皆成仏」

福島第一 Fukushima Nuclear Blast? 動画 YouTube
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梅原猛 画像
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東浩紀 画像
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西田幾多郎 画像
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ギリシャ パルテノン神殿 画像
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ルネ・デカルト 画像
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マルティン・ハイデッガー 写真
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宮沢賢治 写真
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いちょうの実・宮沢賢治の世界・中村桂子 思考の部屋
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尾形光琳 白楽天図屏風 画像
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原子爆弾 写真
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「3.11後を生きる君たちへ 〜東浩紀 梅原猛に会いに行く〜」 2012年3月25日 NHK Eテレ
【出演】元国際日本文化研究センター所長・学者 梅原猛東京工業大学世界文明センター特任教授 東浩紀 【語り】小林紀子
東日本大震災から僅か1ヵ月後の2011年4月、原発事故を引き起こした災害を、いち早く「文明災」と定義し、大きく注目された哲学者・梅原猛さん。その後、西洋哲学を徹底的に批判し、日本の伝統思想に立脚した自然と共存する人類共通の哲学の必要性を訴え続けている。震災から1年が過ぎた2012年3月、哲学者・東浩紀さんが京都の梅原さんの自宅を訪ね、新たな哲学、そして若者へのメッセージを聞く。
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20120325-33-24866
4/1 再放送だったが、NHK 「3.11後を生きる君たちへ 〜東浩紀 梅原猛に会いに行く〜」を観た。
大体、こんなことを言っていた。(手抜きしている)
京都にある自宅で、梅原猛さんが東浩紀さんら7〜8人の若者と語り合う映像が出てきた。
梅原さんはまずこの1年間、考えてきたことについて語り始めました。
梅原 大震災が私の哲学を語る原因になった。それまで私の自分の哲学を語ろうと思っても、もうひとつ勇気がなかった。ところが大震災が起き、原発事故が起きた。それは近代文明の災(わざわ)いではないかと。今のヨーロッパ、世界の先進国は何パーセントか、原発をエネルギーにしている。文明そのものが問われている。そういうふうに思った。歳も86なので、思いきって自分の哲学を語ろうと。その哲学ですが、私は戦争に行った世代で、最後の戦中派です。輸送船も沈没して行けない。本土も爆撃で燃えたりして。その時、私の先輩はたくさん死んだ。私も死ぬんだ。ずっと死というものを考えていた。それで哲学を一生の仕事にしようと思って。尊敬する人に日本の大哲学者の西田幾多郎というのがいる。西田の哲学の学風が残る京都大学で学んだんです。哲学とは何かと言うと人間、人類がどう生きたらいいかという、そういうことを考える。
大学時代の友人と一緒に撮った写真が出てきた。
終戦後、京都大学で西洋哲学を学び始めた梅原さん。しかし、環境問題など現代文明が掲げる大きな課題に西洋の哲学では答が出せないと考えるようになりました。梅原さんは40歳のころ、西洋哲学に見切りをつけ、日本文学の研究に乗り出します。縄文文化、古代史、神話、仏教などの研究を通して、日本人が古来から持っている思想のなかに、現代文明の矛盾を解決する答を探ってきました。その仕事は「梅原日本学」と呼ばれています。
原発事故を「文明災」と位置づけた梅原さんはその後、現代文明のベースにある西洋哲学を1から洗い直す仕事を始めました。そしておよそ400年前に唱えられたある考えに大きな問題があると確信しました。
デカルト肖像画が出てきた。
17世紀、フランスの哲学者ルネ・デカルトが唱えた「われ思う、ゆえにわれあり」。デカルトは世界で唯一確かなものは考える自分自身であるとしました。一方、目の前にある自然は数式に置き換え、容易に支配できるものだと考えました。
産業革命
黒い煙をはきながら走る蒸気機関車の映像が出てきた。
人間は自然の上に立つというデカルト哲学のもと、科学は発展し、産業革命が起こります。しかし、これは同時に環境破壊を始め、大きな問題を起こしていきました。
梅原 人間中心主義だ。デカルトのいう「われ」が世界の中心なんです。自然を数式化することによって支配できると。自然支配の論理だと思うんですよね。それで科学技術文明を作って、自然支配、人間支配の”意志の文明”を作った。そういう”意志の文明”では自然破壊、あるいは人間破壊、そういう”意志の文明”の権化が原子力じゃないかと思う。私はそういう西洋哲学を越える、現代文明を越えるような新しい文明原理が日本の思想に潜在しているのではないかと思う。
西洋哲学では人類は存続できない。梅原さんが新たな文明の原理として打ち出したのが日本に古来からある自然と共存する思想です。それは「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という仏教の言葉に象徴されると言います。草も木も土や風に至るまで地球上のありとあらゆるものに仏が宿る。人間と同じように魂を持つという考えです。人間だけが特別な存在ではなく、すべてのものが地球の一部に過ぎない。この思想は縄文時代以来の日本人の考えを受け継いだものであると梅原さんは考えています。
梅原 日本の思想の原理である「草木国土悉皆成仏」というもので表現できるのではないかと思っています。これは植物中心の世界観じゃないか、そういう考え方は生態的にも動物は植物の寄生として生まれた。私は宮沢賢治が大好きです。宮沢賢治の世界は「木」がものを言う。木が人間と同じような愛や悲しみを持っている。
宮沢賢治の写真が出てきた。
「草木国土悉皆成仏」という思想を具体的に表現した文学者が宮沢賢治です。「山猫」や「桑」「いちょう」「風」「雪」などを地球のありとあらゆるものを主人公にした童話を作りました。中でも梅原さんが注目したのが『いちょうの実』という作品です。秋にいちょうの実が地上に落ちる前に不安を抱きます。母親であるいちょうの木は子供たちをただ見守るだけです。
 一つのいちょうの実が言いました。
 「落ちる途中で目がまわらないだろうか」
 「よく目をつぶって行けばいいさ」 もう一つが答えました。
 おっかさんの木はまるで死んだようにじっと立っています。
 下から氷のように冷たい透きとおった風がゴーッと吹いてきました。
 「さよなら、おっかさん」、「さよなら、おっかさん」
 子供らはみんな一度に雨のように枝から飛び下りました。
この童話にも地球上のあらゆるものが人間と同じように感情を持っている。宮沢賢治の思想が表れていると言います。
梅原 「共存する意志」。植物を中心に見て、そして、植物というのは多様性を持っています。そういう植物中心の世界観。人間中心主義な哲学ではなくて、むしろ、生きとし生きるものと共存するという「草木国土悉皆成仏」の思想に帰らなければならない、というのが1つです。「君が代」という歌は本来は小さな石が大きな岩になって苔がむすまで長生きしてくれという、そういう歌です。
君が代」にある「さざれ石」とは小さな石のこと。それが大きな岩になるまでを表現した歌で、「草木国土悉皆成仏」の思想が込められていると梅原さんは言います。
梅原 人間の命を例えれば、石だな。石もまた生きているんだ。小石からだんだん大きくなる。
  先ほどから梅原さんが言っていた、「草木国土悉皆成仏」みたいな発想というのは、全く別の形で今の日本の若者文化でも生き続けているということはできる。
存在論的、郵便的ジャック・デリダについて』(東浩紀著)の本が映像に出てきた。
東さんはフランス現代思想など西洋哲学の研究からキャリアをスタートさせました。しかし、哲学だけでは身近な問題を解決できないと、オタク文化など日本社会の研究を重ねてきました。
  日本の今の若い人たちの文化というのは、すごく無生物に対する愛というのにある意味であふれている。つまり、現実には存在しないキャラクターというものがまるで人のように扱われ、愛(め)でられている。それは世界の中でもものすごく珍しい文化として発展している。そういう意味では梅原さんが言っていた「草木国土悉皆成仏」という発想は全く別の形で今の日本の若者文化に生き続けている。たとえば、ロボット産業でもまるでロボットに意志があるかのように、魂があるかのように作る。これはヨーロッパやアメリカの技術者はやらないと言われていて、ものに魂が宿るという発想は日本文化に生き続けていると思う。
梅原 もうひとつ、今日ははっきり言いたいと思うんだけど、「永劫回帰」。
ブルドーザーが森林をなぎ倒していく映像が出てきた。
今が良ければいいと考えてきた現在文明。それに対して梅原さんはもっと長い時間で考える必要があると言います。自分の命は過去から受け継がれてきたものであり、自分の先にも命が続くという「永劫回帰」の思想です。この地球上で命がずっと続いていると感じることが自然に対する畏敬の念につながると梅原さんは考えています。
アイヌが熊を生け捕りにし、儀式を行なっている映像が出てきた。
梅原さんはアイヌのある儀式を見てこの思想を読み取りました。「イヨマンテ」です。狩りで捕えた熊を1年近くごちそうを与えて成長させ、その後儀式を行ない、この世でいい思い出を作って、また帰ってほしいと祈るのです。
梅原 私は愛知の山で孫とセミを捕って遊んだんですが、孫がセミを捕ったら私よりももっとたくさん捕れる。その孫の孫がセミの何十年後のセミを捕っている。私どもの命は「永劫回帰」じゃないかと、そういうことが人間と自然がずっと永劫に交わっていくという。私どもの命は原始的な生命からずっと脈々と続いている生命。その生命がまた未來永劫に続いていく。そういう生命を与えてくれた自然に対する深い畏敬の念。そういうものが文明の中心にならなければならないと思う。
  さっきのお孫さんの話で、実存的に生きることは社会から離されて孤独になることだと、実存主義というのはそういうものだと思うが。日本はある意味では今実存的な社会になっていて、家族のつながりとか世代のつながりから、バラバラに切り離されて生きている時代になっていると思う。そこで本当は思想とか宗教とかは家族のつながりとか世代のつながりを守るためになければいけないんだけれども、日本は今、国もバラバラにになっているなかで、思想の力点を個人の実存ではなく、世代のつながりの側に移そうという、梅原さんの提案というのがすごく強いメッセージになっているのかな、という感じがします。
自然と共存する「草木国土悉皆成仏」。梅原さんはそれが人類共通の哲学になりうると考えています。
エジプトのピラミッドの映像が出てきた。
それを確信したのは4年前、エジプトでのフィールドワークでした。西洋文明の原点とされるエジプト文明。そこにも太陽や水を神として崇拝する思想があったことを知ったのです。
梅原 エジプトへ旅行したことで、日本の思想を見直すきっかけになった。エジプトは農業神、農業国です。ナイル川が増水して肥沃な土地に太陽があたる。そこで一番大切にされるのは「ラー神」だ。太陽崇拝、それから水。日本の仏教でも一番の神は「大日如来」。そして一番崇拝された仏様は観音様。観音様は手に(水を入れる)瓶を持っています。太陽と水の神、仏というのが、日本の家族の中心だった。それはやっはり農業神だ。
梅原さんは自然と共存する思想がエジプト文明に続くギリシャで失われたと考えています。ギリシャを訪ねた際に森がはるか昔に破壊されてしまったことを知ったからです。
梅原 太陽と水の恩恵というものがギリシャユダヤにはそういう神が喪失しているんです。ギリシャというのは海賊国家です。海賊で支配して、植民地を乗っ取ってきた国家。太陽と水の恵みを忘れた文明。それをずっとやってきて近代文明になった。そういう文明の流れがある。それが原子力という大変なものを発明した。そして、現代文明は原子力エネルギーを根源として使っている。そして、脱原発の運動が広がっているとき、自然エネルギーというのに帰ってきている。エネルギーの問題ではなくて、宗教の問題ではないか。思想の問題ではないか。人間はもう一度、太陽の崇拝や水の崇拝を人類が獲得しないと。そこに帰らないと人類は存続できなくなるのではないか、という気持ちを強く持っている。
3.11の地震津波でがれきの山となり、原発事故で人が住めなくなってしまった町の映像が出てきた。
自然との共存を訴える梅原さん。それに対して東さんは被災地で目の当たりにした自然の恐ろしさについて尋ねました。
  起こる自然の共生というのはどういうものなのだろう。普通に考えれば、今回地震にやられた。津波にやられた。自然が起こるかもしれない。だからもっと自然をコントロールしなければいけないという発想もあると思うんです。実際今回原発事故が起きても、みんなが脱原発と言っているわけではなくて、原発事故が起きたからこそ、次回は事故が起きないようにより技術力を高めようという主張もある。そういう形で自然が起こったからこそ、もっとコントロールしなければいけないという発想もあると思うんですが。
梅原 日本の神道の本質は自然の恐ろしさから出発している。自然の恐ろしさに捧げものをすることによって、恐ろしい自然を恵の自然に変えていく。これが日本の自然です。自然は一面怖い暴君のような恐ろしさを持つ。一面慈母のようなやさしい面を持つ。この二面を西洋の文明は忘れていた。例えて言うと、富士山が噴火する。充分考えられる。これに対する備えをする。
  その備えというのは、自然が起こっても大丈夫なようにしていくということですか?
梅原 そうです。でも私はいつも覚悟している。これが日本の自然です。
200〜300坪ぐらいの自宅の日本庭園を梅原さんと東さんたちが散歩している映像が出てきた。
梅原さんがこの場所で暮らすようになったのは40年前。自然豊かな環境で思索を重ねてきた。
梅原 足利義政もここを好んだんですよ。足利義政銀閣寺を建てる予定の場所だった。
  すばらしい。
梅原 いのししやたぬきなどがやってきます。
原子爆弾によるきのこ雲の映像が出てきた。
20世紀に入ると、科学技術文明は原子力など人類の存在を脅かしかねない問題を生み出します。西洋では多くの哲学者がこの問題について解決策を探ってきました。
ハイデッガーの写真が出てきた。
20世紀最大の哲学者といわれるマルティン・ハイデッガー原子力技術の背景には、自然は人間の役立つものとしか捉えられない考え方を批判しました。そこで詩人のように自然の本来の姿を見ることが大事としました。
  ハイデッガーはまさに梅原さんが言われたように、ギリシャヘブライ以降の人間中心主義哲学の完成形態としてあって、あそこからどう出るか。
梅原 ヨーロッパにある種の自己批判があるが、やっぱり人間中心主義を克服できていない。これがやっぱり大きな問題だ。
2人はハイデッガーの自然と人間を分けて考えるかぎり、人間中心主義から抜け出せていないと考えています。
  人間中心主義というか、自然と人間を分けて、人間だけが主体で、自然というものは客体であると発想するのは、科学を可能にした発想なんだけど、これ自体は何も根拠がない。現代科学の知見はおそらくこれをいろんなところで否定している。だから人間だけが主体であると、人間と自然がきっちり分かれるというのは世界は、実はなっていないので、科学の最先端でも明らかにした知見を思想的に理解するためには、実は科学の最初にあった主客の分離というか、人間と人間以外のものの分離みたいな前提を変えなければならない。
梅原 そう。それに対して、世阿弥に「白楽天」という能がある。
「白楽天図屏風」(尾形光琳作)の画像が出てきた。
人間が主体であるとする西洋哲学の限界を乗り越える思想として、梅原さんが注目するのが能の「白楽天」です。中国の詩人の白楽天は日本人の知力を試すため、九州にやってきます。白楽天が中国の詩のすばらしさを語ると、迎えた住吉明神は和歌について説明します。
中国の詩は人間だけのものだが、日本の和歌は人間ばかりか、うぐいすもかえるも波でさえ、詠むことができる。白楽天は降参し、中国に帰っていきました。梅原さんはここに人間と自然を分けない日本独自の思想を見出しています。
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じじぃの感想
「17世紀、フランスの哲学者ルネ・デカルトが唱えた『われ思う、ゆえにわれあり』。デカルトは世界で唯一確かなものは考える自分自身であるとしました。一方、目の前にある自然は数式に置き換え、容易に支配できるものだと考えました」
確かに、西洋文明はデカルトから始まったような気がする。
一面真理ではあるのだが、絶対ではなかったんだ。