じじぃの「理性の落とし穴・人間は考える葦である!名著パスカル・パンセ」

Cogito Ergo Sum 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=QE8dL1SweCw
Blaise Pascal (1623-1662) Pensees 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=8KNHmgywX6g
パスカル『パンセ』 2012年6月 NHK出版
https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp%3bjsessionid=296396F0916810D3D0B1F6C8B890136A?trxID=C5010101&webCode=62230152012
名著13 パスカル『パンセ』:100分 de 名著 「第4回 人間は考える葦である」 2012年6月27日 NHK Eテレ
【司会】伊集院光島津有理子 【語り】片山智彦 【ゲスト講師】 鹿島茂(フランス文学者・明治大学国際日本学部教授) 【特別ゲスト】福岡伸一分子生物学者・青山学院大学教授)
最終回では、スペシャルゲストとして分子生物学者の福岡伸一さんを招く。福岡さんはこれまで科学の限界を痛感してきた。世界には複雑な要素があまりにも多く、全ての因果関係を突き止めることは不可能ともいえるからだ。「パスカルは“人間には分からないことがある”という事実を前に、人間のおごりをいましめた」と福岡さんは言う。原発事故など、人間の理性の落とし穴が明らかになった今、私たちが忘れてはならないことは何なのか、鹿島茂さんと共に語りあう。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/13_pensee/index.html#box04
方法序説 ウィキペディアWikipedia)より
方法序説』は、1637年に公刊されたフランスの哲学者、ルネ・デカルトの著書である。
【概要】
第1部は「良識(bon sens)はこの世でもっとも公平に配分されているものである」という書き出しで始まる。ここでの良識は理性と同一視できるものとされる。健全な精神を持っているだけでは十分ではない。この序説の目的は、理性を正しく導くためにしたがうべき方法を教えるというより、デカルト自身が種々の心得や考察に至るまでにどのような道筋をたどったかを示すことである、と宣言する。
第4部でデカルトは、少しでも疑問を差し挟む余地あるものは疑い、感覚・論証・精神に入りこんでいた全てを真実でないと仮定しても、一切を虚偽と考えようとする「私」はどうしても何者かでなければならないことに気づく。フランス語で書かれた『方法序説』の「Je pense, donc je suis」私は考えるので私はあるを、デカルトと親交のあったメルセンヌラテン語訳し「Cogito ergo sum」「我思う、ゆえに我あり」コギト・エルゴ・スムとした。この命題は、我々が明瞭かつ判然と了解するものはすべて真実であることを一般規則として導く。その規則からデカルトは、さらに神の存在と本性・霊魂について演繹している。
パンセ ウィキペディアWikipedia)より
『パンセ』(仏: Pensees)は、晩年のブレーズ・パスカルがある書物を構想しつつ書きつづった断片的なノートを、彼の死後に編纂して刊行した遺著である。「パンセ」は「思想」「思考」の意。
【概要】
人間の欲望の構造、個人と共同体の問題、他者の存在によって想像的な自我が生ずること、認識と視点・言語との関係、テキスト解釈と暗号の問題、等々の重要で深遠なテーマが扱われており、特定の思想的・宗教的な立場を超えており、現代でもそのテーマの重要性は変わっていない。それゆえ現代でも世界中の人々によって読み継がれているのである。
『パンセ』は箴言を多数含んでいることでも知られている。例えば「人間は考える葦である」という有名な言葉も『パンセ』の中にパスカルが残した言葉である。正確には「人間はひとくきの葦にすぎず、自然の中で最も弱いものである。しかし、考える葦である」がおおよその訳である。「葦のように人間はひ弱なものであるが、思考を行う点で他の動物とは異なっている」という事を示す言葉と言われている。
また、バタフライ効果複雑系を連想させる「クレオパトラの鼻。それがもっと低かったなら、大地の全表面は変わっていただろう」、1990年にベストセラーになった『7つの習慣』でも引用されている「心情は、理性の知らない、それ自身の理性を持っている」も有名である。

                                    • -

名著13 パスカル『パンセ』:100分 de 名著 「第4回 人間は考える葦である」 2012年6月27日 NHK Eテレ
【司会】伊集院光島津有理子 【語り】片山智彦 【ゲスト講師】 鹿島茂(フランス文学者・明治大学国際日本学部教授) 【特別ゲスト】福岡伸一分子生物学者・青山学院大学教授)
最終回では、スペシャルゲストとして分子生物学者の福岡伸一さんを招く。福岡さんはこれまで科学の限界を痛感してきた。世界には複雑な要素があまりにも多く、全ての因果関係を突き止めることは不可能ともいえるからだ。「パスカルは“人間には分からないことがある”という事実を前に、人間のおごりをいましめた」と福岡さんは言う。原発事故など、人間の理性の落とし穴が明らかになった今、私たちが忘れてはならないことは何なのか、鹿島茂さんと共に語りあう。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/13_pensee/index.html#box04
どうでもいい、じじぃの日記。
6/27、NHK Eテレ 『名著13 パスカル パンセ』で 「第4回 人間は考える葦である」を観た。
大体、こんなことを言っていた。 (手抜きしている)
原発事故に金融危機。今世界のあらゆる場所で現代文明の脆さが明らかになっています。人間は決して驕(おご)ってはならない。そう語ったパスカルの思想には、今こそ噛みしめる価値があります。
100分で名著・パンセ。最終回は生物学者福岡伸一さんをゲストに迎え、先の見えない時代を生き抜ける術を考えていきます。
<人間は考える葦である>
この一節に込められたパスカルの熱い思いに迫ります。
島津、「福岡さんは最先端の科学を研究していますが、パンセの思想というものをどのように受けとめていますか?」
福岡先生、「今、科学万能の時代ですが、だからこそ、パスカルの世界観、思想をもう一度、再評価すべきではないかと思っています。17世紀パスカルともう一人、キーになる人物がいました。それはデカルトという人です」
最大のライバル デカルト
島津、「どういう人か、こちらにまとめてみました。デカルトはフランス生まれで、哲学者、数学者でした。そして生きた時代もパスカルと同じで、デカルトの方が27歳年上だった。『近代哲学の父』と称されて、代表作は『方法序説』で ”我思う、ゆえに我あり”と言った人です」
鹿島先生、「デカルトというのは全ての面で対照的な存在で、両雄並び立たずというか、すべての面で考え方が逆です」
パスカルのことば 〜『パンセ』 断章77より〜
<私はデカルトを許せない。彼はその全哲学の中で、できるなら神なしですませたいと思っただろう。>
島津、「こちらにどこが違うのか、簡単にまとめてみました」
デカルトパスカルの違い
             デカルト           パスカル

                                                                                                      • -

人間の理性は・・・   万能である          限界がある
世の中は・・・     全てに原因と結果がある  偶然によって左右される
迷ったら・・・      あくまでデータ重視      時には直観を信じる
伊集院、「会社のプロジェクトにこういう2人がいたら、絶対仲が悪くなる。周りはそうとうやりずらくなる」
島津、「こうしたパスカルの思想が、なぜ今大事だと思われるのですか?」
福岡先生、「17世紀に、こういう思想が出てきた上に、私たちの近代社会、現代社会が成り立っている。私たちはデカルトの考え方を採用して、パスカルを捨てたんです。デカルトの考え方はこの世界は全部因果関係で成り立っていて、メカニズムとして理解できる。それは私たち生命体でも、精密な機械のようなものだと見なすことができる。だから、因果関係を解き明かせば、すべてが分かり、制御ができると考えた。その考え方には自然とか、生命に対する謙虚さが欠けている」
島津、「すべてを人間が制御できるという考え方ですか」
伊集院、「例えば、ものを燃やせばCO2が出る。これぐらいものをバランスよく燃やせば、きちんと循環するんじゃないかみたいな計算をすれば、自然を制御できるというのは、デカルト的ということか」
福岡先生、「世界がものすごく複雑でよく分からない。しかし、その中には精密な因果関係があって、それを突き詰めれば世界が必ず理解できる、というのがデカルトの世界観です。でもパスカルは必ずしも合理的な因果律を突き詰めただけでは全部のことは分からない、と」
伊集院、「そういうことを聞くと、私はデカルト的な感じがする。知らないだけで絶対解明できるという気がどこかでしている。最先端の科学を研究されていると、説明できないものが出てくるんですか?」
福岡先生、「例えば、私たちは受精卵から出発して、分裂し、あるものは脳の細胞に、あるものは心臓の細胞に、あるものは皮膚の細胞になり、というふうに分かれていって、人間ができる。そのプロセスは全部プログラム化されているという考え方がある。しかし一方では、その場その場で臨機応変に、細胞が相互作用、空気を読み合って発生的にできるとする方が本当の自然の見方でしょう。正しい見方が多々ある」
伊集院、「へえ〜。最先端の方から聞くと、へええ、そういうもんだなんだと。ちょっと目からウロコです」
鹿島先生、「パスカルがそれと同じようなことを言っています。理性の最後の行動は理由を越えるものが無限に存在することを認めることである、と」
島津、「理性の行き着いたところには、それを越えたものがある、ということを知るですか」
鹿島先生、「科学が万能じゃない、ということを理解することが科学だ、みたいなことなの」
       ・
パスカルのことば 〜『パンセ』 断章122より〜
<人はみな変わる。過去の自分は、もはや同じ人間ではない。>
自然も社会も人間も偶然に左右されるから、変わり続ける。すべてを知ることはできない。未来のことも誰にも分からない。だからこそ、人間は驕ってはいけない。絶望の淵にあっても、希望を忘れてはならない。パスカルは私たちにそう語りかけているのです。
       ・
私たちはどう生きるべきか?
島津、「人間の理性には限界がある。合理的なことを突き詰めては解が出ないことがあるというんですが、私たちはどう生きるべきだとパスカルは言っているんですか?」
福岡先生、「現代社会というのは、何かを完成させなければいけないという強迫観念に捉われている。締め切りがあったり、納品しなければいけないとか、完成されたものにアプローチするということにきゅうきゅうとしているわけです。そうではなくて世界は必ず、いろんな人たちによって更新され、書き換えられ、塗り替えられていくものなので、そのプロセスの一部に参加すればいい、とパスカルは思っていたのではないか」
伊集院、「何となくデカルトは『業(ごう)』に向かってずっと進んでいって、ゴールに到達するもの。合理性を進めていくと、先に合理的な幸せがあると思って頑張る。パスカルの考え方は合理性を進めていってもゴールには辿り着かない。途中には快適なものがあるかもしれないが、また繰り返すものというのを、覚悟しておけ、というような」
鹿島先生、「だから、世の中が変わって、社会が変われば、新しい問題はいくらでも出てくる。だから問題を常に提起する。人生に解決済みということはない」
       ・
パスカルのことば 〜『パンセ』 断章347より〜
<人間は一本の考える葦にすぎない。自然のなかで最も弱いもののひとつである。しかし、それは考える葦なのだ。人間を押しつぶすためには、全宇宙が武装する必要はない。蒸気や一滴の水さえ人間を殺すに足りる。しかし、たとえ宇宙が人間を押しつぶしたとしても、人間は宇宙よりも気高いといえる。なぜなら人間は自分が死ぬことを、宇宙の方が自分よりはるかに優位であることを知っているからだ。宇宙はこうしたことを何も知らない。だから、私たちの尊厳は、すべてこれ、考えることの中にある。私たちは考えるということから立ち上がらなければならないのだ。ゆえによく考えるよう努力しよう。ここに道徳の原理があるのだ。>
       ・
じじぃの感想
我思う、ゆえに我あり
力強い言葉だ。
「人間は一本の考える葦にすぎない。自然のなかで最も弱いもののひとつである。しかし、それは考える葦なのだ」
ちょっと、力強さに欠ける言葉だ。
「自然も社会も人間も偶然に左右されるから、変わり続ける。すべてを知ることはできない。未来のことも誰にも分からない。だからこそ、人間は驕ってはいけない」
これが一番真実に近いのかもしれない。