【高校倫理】激ムズ人物代表の「カント」を世界一わかりやすく解説!!
コペルニクス的転回とは コトバンクより
カントが自己の認識論上の立場を表わすのに用いた言葉。
これまで,われわれの認識は対象に依拠すると考えられていたが,カントはこの考え方を逆転させて,対象の認識はわれわれの主観の構成によって初めて可能になるとし,この認識論上の立場の転回をコペルニクスによる天動説から地動説への転回にたとえた。
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『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』
伊藤邦武/著 ちくまプリマー新書 2019年発行
近代哲学の完成者、カントの登場 より
さて、18世紀後半に活躍したカントは、西洋近代哲学の完成者ですが、反対にその創始者とされるのは、16世紀のおわりにフランスに生まれ、オランダで『方法序説』や『省察』などの体系的な哲学の著作を発表したルネ・デカルトです。彼は「私は考える、ゆえに私は存在する」という有名な言葉を残しましたが、この言葉は西洋の思想的自立宣言のように受け取られました。
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西洋の近代哲学はこの「近代哲学の父」デカルトを出発点として、ロック、ライプニッツ、スピノザ、バークリー、ヒューム、ルソー、ディドロなど、実に多くの哲学者を生み出しましたが、その系列の最後に位置して、系列の完成者とされるのがこの章で取り上げるカントです。
カントが西洋近代の哲学完成者と見なされる理由は、彼が古代と中世に対比される西洋近代が生み出した文明上の成果を、哲学という学問の枠組みの中で非常に体系的な仕方で整理し、その理論的根拠づけを行ったからです。
物自体としての「人格」 より
カントによれば、人間は自然的世界の「所有者にして支配者」になるどころか、あくまでも現象界としての空間的・時間的世界の変化や運動を理解できるだけです。われわれにとって大切なことは、自然全体へのあくなき妄想ではなく、具体的な事象についての限定的な理解を求めることだけです。しかしながら、物自体を認識することができず、現象だけを認識するのとどまるという私たちの能力は、決してそれ自体として嘆かわしい、残念なことではありません。カンとはむしろ、人間尾理性の認識能力の有限性が、理性の別の側面の能力の発揮のために、非常に重要な意味をもつのだと考えます。
彼は、私たちが現象しか理解することができず、物自体を把握することができないということは、理論的理性にとっては大きなハンディキャップのように思われるとしても、実際には理性そのものの短所ではない、といいます。というのも、人間は理論理性において有限でも、実践理性という別の側面では絶大な力をもっていて、その力の発揮こそが本当の意味での人間の尊敬を示していると考えるからです。実践理性とは、私たちがこの章の冒頭のところで触れた、「私の内なる道徳法則」にしたがって行動する能力、つまり社会や共同体の中で各人が道徳的な行いを行おうと意志し、それを実行に移そうとする能力です。カントはこれこそが、人間理性のもっとも重要な働きであり、この働きの中で、理性は現象世界を超えて、物自体の世界に触れることができると主張するのです。
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どうでもいい、じじぃの日記。
小説家の田中小実昌は、カント『純粋理性批判』の文庫本を常に持ち歩いていたとか、雑誌のエッセイに書かれていた。
『純粋理性批判』を簡単に説明すると、人間が目で見ている世界はモノの一部しか見ていない。しかし、顕微鏡や望遠鏡を通して、より精確に見えるようになった。
哲学は科学であり、突き詰めて考えると宇宙とは何か、まで対象が広がる。
すべてを知り尽しているのは神であり、人間の究極の目的は神になること。
らしい。
カントは1724年に生まれ、1804年に亡くなった。今から約220年前に生きた人だ。
しかし、カントの思想は現在社会に脈々と生き続けているのだそうだ。