じじぃの「科学・芸術_07_スピノザと神」

God of Spinoza 動画 YouTube
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1000ギルダー紙幣 スピノザ

スピノザ 人と思想58』 工藤喜作/著 清水書院 1980年発行
【表紙より】
17世紀のヨーロッパにおいて最も繁栄し、信仰において最も自由で、寛容な国とみなされたオランダ。スピノザはこのオランダにユダヤ人として生まれたが、聖書研究によってユダヤ教が批判的となり、ついには教団から破門される。その後、いかなる教会・宗派にも親しまず、自由な哲学者として独自の道を歩む。
無神論者と烙印をおされた彼は、なるほど伝統的な神の概念を否定したけれども、決して神の存在を否定したわけではない。彼にとって問題なのは、純粋な哲学の立場で理性の批判に耐えうる神の概念を確立することであった。すなわち、この世界で人間の自由がいかに達成されるかが彼の哲学の根本問題であったのである。人間の自由、それは社会的には言論・思想の自由、市民の自由であり、哲学的には人間の救済を意味した。彼はこれを主著『エチカ』で達成しようとした。
この時代に、自由を哲学的思索の全面に展開し、倫理・宗教的深みに達したのは彼のみである。

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『21世紀への遺書』 三石巌/著 立風書房 1994年発行
20世紀の意味 (一部抜粋しています)
前世紀の末に西洋文明の退廃がいわれたとき、それを憂えたニーチェは、その原因を考えた。そして、キリスト教と合理主義とを挙げた。この両者に価値をおくことをやめて、レーベン(生命・生活・生涯・人生)を上位とする価値体系に転換すべきであるとした。キリスト教は奴隷道徳を圧(お)し付けて民衆のバイタリティーを奪った、とニーチェはいう。そして、神の退陣を要求せざるをえなくなった。
このニーチェのレーベンの哲学は、カントの規定する学問から無縁なほど遠い。その抱える弱点は、合理主義の排除ともなった。20世紀になったとき、神は死に瀕しても合理主義は生き延びているではないか。
聖俗の上下の逆転だけでは、神は死なない。アインシュタインは、「神はサイコロを振らぬ」といって、量子力学に現れる確率論を嫌った。彼はよくスピノザ(1632〜1677)を語り、神の名を口にした。アインシュタインばかりでなく、一部の科学者の心に、近代を経て現代にいたるまで神は生きていた。
一神論にせよ汎神論にせよ。神が絶対者であれば、決定のみが神の意向である。ここにサイコロを振るような確率論はない、ということである。神の支配する宇宙に通用する法則は、決定論であって確率論ではない。これがアインシュタインの信念であった。自然の自己運動に主宰者があるとすればそれを神としたらよかろう、という私の提案が無難ということになるだろう。スピノザはともかく、ニュートンにとっての神もまさにそのようなものであった。
ユダヤ人でありユダヤ教徒であるスピノザに、アインシュタインは傾倒した。スピノザの神は、「自分自身のなかにあり自分自身により考えられるもの」である。この反キリスト教的・反ユダヤ教的神ならば、この20世紀の科学者の心のなかに生きつづけたとしても不思議とはいい切れまい。