じじぃの「歴史・思想_274_ハラリ・21 Lessons・謙虚さ」

Human Rights

Our World in Data
●How to read this chart:
Higher values - higher human rights scores - indicate better human rights protection.
The human rights scores represent the relative position of one country in one specific year relative to the average of all countries across the entire period (1949-2014), which is set to zero. The human rights scores represent standard deviations above and below zero: as illustrated, the worst and best country-years fall 2 to 3 standard deviations below or above the baseline.
https://ourworldindata.org/human-rights

『21 Lessons』

ユヴァル・ノア・ハラリ/著 柴田裕之/訳 2019年発行

12 謙虚さ――あなたは世界の中心ではない より

ほとんどの人は、自分が世界の中心で、自分の文化が人類史の要(かなめ)だと信がちだ。多くのギリシャ人は、歴史はホメロスソフォクレスプラトンから始まり、重要な考えや発明はすべてアテネ、スパルタ、アレクサンドリア、あるいはコンスタンティノーブルで生まれたと信じている。中国のナショナリストは、黄帝と夏と商(殷)の両王朝とともに歴史は本格的に始まり、西洋人やイスラエル教徒やインド人が成し遂げたことは何であれ、もともと中国による飛躍的発展の二番煎じにすぎない、とやり返す。
排外主義のヒンドゥー教徒は、そのような中国の自慢を退け、飛行機や核爆弾でさえ、アインシュタインライト兄弟は言うまでもなく、孔子プラトンよりもはるか以前に、インド亜大陸の古代の賢人たちによって発明されたと主張する。たとえば、ロケットと飛行機を発明したのは導師バラドワジャで、ヴィシュワミトラはミサイルを発明したばかりでなく使い、阿闍梨あじゃり)カナダは原子論の父で、大叙事詩マハーバーラタ』は核兵器を正確に記述していたという。そんなことを、あなたは知っていただろうか?
敬虔なイスラム教徒は、預言者ムハンマド以前の歴史はすべて、おおむね無意味だと見なし、クルアーンの啓示以後の歴史はすべてイスラム教の共同体(ウンマ)を中心に回っていると考えている。主な例外はトルコとイランとエジプトのナショナリストたちで、彼らはムハンマド以前でさえ、自分たちの国こそが人類にまつわるすべての善きことの源泉だったし、クルアーンの啓示以後でさえ、イスラムの純粋さを保ち、その栄光を広めたのは主に自分たちの民族だと主張する。
イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシア、日本をはじめ、他の無数の集団も同じように、彼らの国の目覚ましい業績がなければ、人類は野蛮で不道徳な無知のうちに暮らしていただろうと確信していることは言うまでもない。

ユダヤ教の物理学、キリスト教の生物学

19世紀と20世紀になってようやく私たちは、ユダヤ人が近代科学で並外れた役割を果たし、人類全体のためにすばらしい貢献をするところを目にした。ユダヤ人は世界の人口に占める割合はわずか0.2パーセントにすぎないにもかかわらず、アインシュタインフロイトといった著名な人物を輩出したのに加えて、科学の分野でノーベル賞を受賞した人の2割を占めている。だが、これは宗教や文化としてのユダヤ教の貢献ではなく、個々のユダヤ人の貢献であることは強調しておくべきだろう。過去200年間の重要なユダヤ人科学者の大半は、ユダヤ教の宗教的な領域の外で行動していた。事実、ユダヤ人がようやく科学に目覚ましい貢献を始めたのは、彼らがイェシバ(ユダヤ教学校)を捨てて研究所を選んでからのことだった。
1800年以前、科学へのユダヤ人の影響は限られていた。当然ながら、ユダヤ人は中国やインドでは、あるいはマヤ文明では、科学の進歩に何ら有意義な役割を果たさなかった。ヨーロッパと中東では、マイモニデスのようなユダヤ教の思想家は、異教徒の同輩たちに多大な影響を与えたものの、ユダヤ人全体の影響は、人口の比率にほぼ釣り合っていた。16、17、18世紀には、ユダヤ教は科学革命にはおよそ役に立っていない。スピノザ(厄介者としてユダヤ人コミュニティから追放されていた)を除けば、近代的な物理学や化学、生物学、社会科学の誕生に不可欠だったユダヤ人は一人でも名を挙げるのは難しい。ガレリオやニュートンの時代にアインシュタインの先祖が何をしていたのかは知らないが、おそらく彼らは光よりもタルムードの研究に、はるかに強い関心を持っていたことだろう。
ようやく大きな変化が起ったのは19世紀と20世紀になってからで、それは、世俗化とユダヤ啓蒙主義のおかげで多くのユダヤ人が異教徒の隣人たちの世界観と生活様式を採用したときのことだった。それからユダヤ人はドイツやフランスやアメリカといった国々の大学や研究センターに所属し始めた。
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ようするに、ユダヤ人が学習を重視していたことが、ユダヤ人科学者の目覚ましい成功に重要な貢献をしたものの、アインシュタインやハーバーやフロイトの業績の土台を築いたのは、異教徒の思想家たちだったのだ。科学革命はユダヤ人の事業ではなかぅたし、ユダヤ人がその中でようやく活躍の場を見つけたのは、イェシバから大学へと彼らが移ってからのことだった。実際、古代の文書を読んであらゆる問題の答えを探す習慣は、観察と実験から答えが得られる近代科学の世界にユダヤ人が融合する上で、重大な障害になっていた。科学の飛躍的発展に必ず結びつくものがユダヤ教自体に備わっていたなら、1905年から1933年にかけて、ドイツの非宗教的なユダヤ人10人がノーベル化学賞と生理学・医学賞と物理学賞を受賞したのに、超正統派のユダヤ教徒ブルガリアやイエメンのユダヤ教徒は誰一人ノーベル賞を受賞していないのは、どうしたわけか?
「自己嫌悪に陥ったユダヤ人」あるいは「反ユダヤ主義者」だと思われれるといけないので強調しておきたいのだが、私はユダヤ教が特別邪悪な宗教だとか、暗愚な宗教だとか言っているわけではない。ただ、ユダヤ教は人類史にとって、特別重要ではなかったと言っているだけだ。ユダヤ教は何世紀にわたって、遠方の国々を征服したり、異端者を火あぶりにしたりすることよりも、書物を読んでじっくり考えることを好む、迫害された少数派の質素な宗教だった。
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人間は歴史を通して、何百もの異なる宗教と宗派を生み出したきた。そのうちの一握り(キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教儒教、仏教)が何十億もの人に影響を与えた(いつも最善の方向への影響とはかぎらなかったが)。チベットボン教や、アフリカのヨルバ族の宗教、ユダヤ教といった大多数の宗教の影響は、はるかに小さかった。私としては、残忍な世界征服者ではなく、めったに他の民族に余計な口出しをしたりしなかった、取るに足りない民族の子孫でよかったと思う。多くの宗教が謙虚さの価値を褒め称えておきながら、けっきょく、自らがこの宇宙で最も重要だと考える。個人には従順さを求めつつも、集団としては目に余るほど傲慢だ。どんな宗教を持つ人でもみな、謙虚さをもっと真剣に受け止めるといいだろう。
そして、あらゆる形の謙虚さのうちでも最も重要なのは、神の前で謙虚であることかもしれない。人間は神について語るときにはいつも、卑屈なまでに控えめな態度を装っておきながら、その後、神の名を使って同胞に対しては大きな顔をするものだ。