じじぃの「歴史・思想_348_ユダヤ人の歴史・アインシュタイン」

Einstein is My Favorite Kabbalist

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=R5nZEsjs8vw

THE SPACETIME CONTINUUM AND KABBALAH

THE SPACETIME CONTINUUM AND KABBALAH

JANUARY 1, 2015 Billy Phillips
What is the “spacetime continuum” and why is it called by that name? Einstein showed that time and space are really two sides of one coin - spacetime.
Wikipedia says: In cosmology, the concept of spacetime combines space and time to a single abstract universe. Wikipedia further states: spacetime is any mathematical model that combines space and time into a single interwoven continuum.
https://kabbalahstudent.com/the-spacetime-continuum-and-kabbalah/

ユダヤ人の歴史〈下巻〉』

ポール ジョンソン/著、石田友雄/監修、阿川尚之/訳 徳間書店 1999年発行

アインシュタインユダヤ合理主義精神 より

私たちが自己を見る方法をフロイトが一変させたとするなら、アルバート・アインシュタイン(1879~1955年)は宇宙の見方を変えた。彼はそれによって20世紀の中心的存在となったが、おそらく21世紀においてもこれは変わらないだろう。なぜなら、ガレリオ、ニュートンダーウィンが行なったような科学法則の新たな組み換えは、その成果を非常に長期にわたって社会に刻み続けることを歴史が示しているからである。
アインシュタインはウルム出身のユダヤ人で、父親は小さな電気化学の会社を営んでいた。彼はベルンにあるスイスの特許局に勤めたが、そこで「特殊相対理論」(1905年)と「一般相対性理論」(1815年)を公式化した。フロイトの場合と同様、彼の発見の本質的な部分は第一次世界大戦前になされた。その後、成果がなかなか上がらないながらも一般分野理論の研究を続け、量子物理学を修正したが、その公式化においても彼は中心的な役割を果たした。
アインシュタインは、普通の意味で宗教を実践しているユダヤ人のようには決して見えない。この点ではフロイトに似ている。しかしフロイトり違って、彼は神への信仰を幻想として片付けることはしなかった。むしろそれを再定義しようとした。知的見地から言うと、ユダヤの伝統の中ではマイモ二デス(中世のユダヤ神学者)やスピノザの合理主義者の系譜に連なる。彼は最も厳密な経験主義的科学者であった。正確な立証を可能にするためにこそ理論を公式化したのであり、しかもそれは自分の見解に妥当性を与える前に行なわれなければならないと主張した。それはフロイト教条主義とほとんど対極にあった。
一方でアインシュタインは立証できない真実の存在を認めようとした。この点でも彼はフロイトよりもずっと正直である。フロイトは彼自身が本質的に神秘主義者であり続けたにもかかわらず、神秘的な真実を否定した。これに対して、アインシュタインは神秘的な領域を認めながら合理主義者であり続けた。彼にとって「神秘」とは事実ではなく感情の領域に属するものであり、それは「真の芸術と真の科学が生まれるところに存在する」。「最も深い理性と最も輝かしい美しさ」を越えたところに、「最も原始的な形でのみ、わたしたちの精神に受け入れられる」計り知れない真実がある。これに気づくことが真に宗教的な感情の本質をなすものであり、「その意味で、というよりもその意味においてのみ、私は非常に宗教的な人間である」と述べている。
この最後の主張は、真実を知覚するには理性と啓示という互いに補足し合う2つの方法がある。というマイモ二デスの信念の言い換えであった。しかしアインシュタインは、啓示を退けたという点で、かれが高く評価していたスピノザのほうにはるかに近かった。アインシュタインによれば、直感的な考察はすぐれた科学的概念の公式化に欠くことのできないもの、壮大な理論的一般化へのある種の隠れた飛躍であった。この点で、彼はフランスのユダヤ人哲学者アンリ・ベルグソン(1859~1941年)と共通する部分が多かった。ベルグソンは、アインシュタインが科学の神秘的で直感的要素(そして時と物との相互作用)を強調した点を共有していた。しかしアインシュタインの見解と実際の研究においては、直感がある考えの原理をひとたび生み出したら、それを引き継ぐのは、科学と理性であった。

「わたしは神がこの世界をどのように創造したのかを知りたい」と彼は言った。これはほとんど神秘的な目標である。

しかしその知識は、天文学によって裏打ちされた数理的な公式によって獲得されなければならない。ある意味では、アインシュタインが行なっていることはカバリスト(Kabbalist、ユダヤ教の伝統に基づいた数秘術)たちが試みたこと、つまり数字によって天地創造を記述することであった。しかし彼らの数字が直感的、魔術的で立証不可能であったのに対し、アインシュタインの場合は頭で理解し望遠鏡によって確認することができるものであった。まさに魔術である。アインシュタイン自身、そんな発見をして驚いてしまったくらいなのである。宇宙はそれまで考えられていたように混沌状態にあるのではなく、実は時間と空間の諸法則に支配されている。その法則は彼がニュートンのものを修正したように、時に修正されるであろう。しかし、根本的な部分でその法則は人間の知性にしっくりとくるのである。ここに「『奇跡』がある。それは我々の知識の発展とともにますます深くなっていく」と彼は言っている。
アインシュタインは、マクロコスモスとミクロコスモスは同じ法則によって支配されていて、彼の一般相対性理論は、結局すべての電磁気分野を支配する統一的な理論の単なる一部となるだうと信じていた。だから物質のすべての物質的関係は、ほんの数頁の方程式で正確に記述することができる。彼はスピノザに強い親近感を感じていたが、スピノザもやはり「自然現象との因果関係について知識を得ようとすり努力が、ほとんど報われる可能性がなかったときに、すべての現象には因果関係があると深き確信していた」。スピノザの300年後に世に出たアインシュタインは、これに成功するかもしれなかった。
その探求は、宇宙についての包括的な真理・法則、いわば科学のトーラーを求める大いなる必要性によって押し進められたという意味で、すぐれてユダヤ的であった。一般理論に代わるものは不確実性であり、これはユダヤ人には特に嫌悪すべき概念であった。なぜなら、それはすべての道徳原理、あるいは歴史、政治、法の必然性を不可能にするように見えるからである。アインシュタインの40年に及ぶ研究は結局、決定的ではなかった。マイモ二デスがその法典、注解、『迷える物への手引き』において、彼が受け継いだ巨大なユダヤの遺産を適度な大きさの、明確な、かつ合理的な知識体系に、つまりユダヤ教の集大成としてまとめようとしたように、アインシュタインは宇宙を平明に説明する、純然たる不滅の単純性、つまり科学の集大成を追い求めた。
実際には、彼の業績は相対性理論の確立で停止した。その正しさは何度も立証され、過去60年かそれ以上にわたって科学的知識の中心部分であった。しかし、一般の人々にとっては、それは大いなる新しい単純性ではなく、大いなる新しい複雑性をもたらした。なぜなら、相対性理論相対主義、特に道徳の相対主義と混同されたからである。少なくとも大衆の認識においては、アインシュタインフロイトが結びついたとき、この組み合わせは、アインシュタインが心から信じていたユダヤキリスト教倫理の絶対的な確実性に対して破壊的な一撃を加えた。これは、多くの暗愚な人々のユダヤ人評価に付け加えられた、もう1つの重い負債であった。相対性理論の出現を機に、非常に多くの教育を受けた知識人たちが科学的な発見と歩調を合わせていこうとするのを諦めた。