じじぃの「歴史・思想_210_人類と病・エボラ出血熱の流行」

エボラについて私たちが知っていること(と知らないこと) ― アレックス・ジェンドラー

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UMMwgvLmN-M

レクチャー3 エボラウイルスとは?

エボラウイルスは、どういうウイルスでしょう(図7)。種類からいうと、モノネガウイルス目フィロウイルス科に属します。ヒトやサルといった霊長類において高い致死率を伴う重篤な出血熱を引き起こしますが、残念ながら、承認された治療薬はありません。
こう言うと、ウイルスがいきなり出てきて私たちを突然攻撃したように思えるでしょ? でも、ウイルスに非があるわけではありません。エボラは、もともと洞穴の中にいるコウモリに感染していたウイルスでした。だけど、人口が急増し経済活動が活発化した結果、熱帯雨林を切り開き、洞穴まで道を作ってしまった。そこで接点ができ、たまたまそのウイルスが人間に感染し、そして、たまたま高い病原性を示してしまったということが考えられます。
人間のエゴによってこういう新興感染症が起きてしまったとも言えるわけで、人はもっと謙虚にならないといけないのではないかなと私はいつも思っています。
https://www.terumozaidan.or.jp/labo/future/09/04.html

楽天ブックス:人類と病 - 国際政治から見る感染症と健康格差 (中公新書 2590)

詫摩佳代(著)
【目次】
第3章 新たな脅威と国際協力の変容――エイズから新型コロナウイルスまで 107
3 エボラ出血熱の教訓 133
  再興ウイルス感染症の流行
  流行を長引かせた要因
  国連エボラ緊急対応ミッションの活躍
  エボラの教訓
https://books.rakuten.co.jp/rb/16258112/

『人類と病』

詫摩佳代/著 中公新書 2020年発行

新たな脅威と国際協力の変容――エイズから新型コロナウイルスまで より

前章で見たマラリア天然痘のように、長く、継続的に人類の課題であった感染症もあれば、近年新たに脅威として加わった感染症もある。21世紀の社会において、エボラ出血熱新型コロナウイルスの流行に人類が右往左往、苦悩する姿は、数世紀前となんら変わっていない。他方、その苦悩の内容は変化してきた。科学技術の発展により、病原菌が解明され、有効なワクチンや治療法が開発されてきた。感染症がどのようにして感染するのか、そのメカニズムも科学的に解明されてきた。有効なワクチンや治療法が見つかっていない感染症も多く存在するが、研究・開発は着実に進展している。
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本章では、近年新たに人類社会の脅威として確かな存在感を発揮してきたエイズ、サーズ(SARS)、エボラ出血熱新型コロナウイルスに焦点を当ててそれらが感染症と人類との闘いにどのような変化を付け加えたのかを見ていきたい。これらの新しい感染症は、既存の国際保健枠組みの限界を人類に認識させる契機ともなった。エイズは従来の感染症とは異なり、有効なワクチンがまだ開発されておらず、予防には個人の行動やプライバシーに深く立ち入る必要がある。また、予防と治療には莫大な資金が必要であり、様々な対応枠組みが形成されてきた。

再興ウイルス感染症の流行

2014年西アフリカでのエボラ出血熱の流行は、エイズやサーズとは異なり、再興ウイルス感染症(すでに存在が知られたウイルスによる感染症が流行するケース)であった。エボラ出血熱とは、エボラウイルスに感染することによって発症する病気である。発熱を伴う倦怠感、筋肉痛、頭痛などの症状に続き、嘔吐、下痢、発疹、腎臓機能および肝機能の障害が見られ、しばしば内出血と、歯肉出血や血性便などの外出血が見られる。エボラ出血熱は感染した人の血液、分泌液、臓器、体液など、また、これらの体液に汚染された物(ペットや衣類など)と直接接触することによって人から人へと感染する。致死率は高く、感染した人の約半数が死に至る。
エボラウイルスによる感染症が最初に流行したのは1976年のことであった。同年6月にスーダン南部の町で感染が見られ、8月にはコンゴ民主共和国のヤンブクという町で感染が拡大、多くの死者を出した。エボラウイルスの名前はヤンブクを流れるザイール川の支流であるエボラ川から名づけられた。1976年の最初の流行以後、アフリカでは2014年に至るまで中央アフリカを中心に20回以上の流行を繰り返し、2000年以降はほぼ毎年のようにアフリカで流行が見られてきた。
そのエボラ出血熱が2014年再び西アフリカで流行した。それまでの流行は、アフリカのどこか1ヵ国で流行するものであったが、2014年は複数の国で大流行、症例数と死者数も前例のないものであった。流行の発端は2013年12月ギニア南東部の小さな町で死亡した2歳の男の子だったと考えられている。この症例に関して、ギニア政府がエボラの病原体診断を行い、WHOにエボラの発生を公式報告したのは3ヵ月後の2014年3月23日であった。WHOがギニア政府と協力して対策に乗り出したが、この時点ですでに広範囲に感染が拡大しており、感染を抑え込むことはできなかった。国境なき医師団は2014年3月末、西アフリカでの状況を前例のない事態だと警告したが、対応は追いつかなかった。2014年5月末までに西アフリカのギニアリベリアシエラレオネで感染者が確認され、7月以降はこれらの3ヵ国で大流行が置き、3ヵ国は相次いで国家非常事態宣言を発動した。その後、エボラ出血熱はアフリカのそのほかの国や北米、ヨーロッパにも広がった。

エボラの教訓

エボラの教訓の流行が生み出した損失は大きかった。世銀の資料によると、犠牲者は1万1300人以上、損失は少なくとも100億ドルにのぼり、対応・復興のための援助総額は70億ドル以上かかったとされる。このような未曾有の危機は、WHOが単独に対処するにはあまりにも重責であった。グローバル化が進展した今日において、大規模な感染症の流行は安全保障上の脅威として、国際社会全体で対処することの重要性を認識させた。
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このほか、エボラ危機の教訓としては、許可ワクチンや治療薬が存在しなかったことも反省点とされ、ワクチンや治療薬の開発も課題とされた。2016年5月にはWHOにおいて新興・再興のウイルス感染症の研究開発のための行動計画が策定された。特に研究開発を優先すべき感染症のリストは定期的に更新されており、最新のリストには、ジカ熱、エボラ出血熱リフトバレー熱、クリミア・コンゴ出血熱などがそのなかに含まれている。