じじぃの「歴史・思想_686_いま世界の哲学者・ポストモダン以後・ガブリエル」

天才哲学者マルクス・ガブリエルが語るコロナ後の未来と倫理【報ステ×未来を人から 完全版】【未来をここから】【Markus Gabriel】

倫理を重視するようになるというアフターコロナの先に、ガブリエル教授は、どのような未来を見ているのでしょうか。
動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wW0xyLQBAK4


今、哲学に起きている3つの潮流

2016/12/13 岡本裕一朗

──今の社会問題を扱うようになった哲学の新潮流として、技術、メディア、新実在論という3つの新しい方向性が説明されています。

先に20世紀の哲学の在り方を説明すると、一般に「言語論的転回」と言われます。
これは、言葉を使うことがモノの見方、人の世界の認識の仕方を影響づけるという見解です。
たとえば、文化が異なれば、考え方も異なる。だから、同じものを見ても、同じように理解したり、認識したり、感じたりすることは無理である。これでは、日本人、中国人、ヨーロッパ人が議論しても、共通理解が成立せず、何が正しいのか間違いなのかを決めることもできません。
https://newspicks.com/news/1938933/body/

読書メーター

マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』の感想・レビュー

たとえば目の前にある車の見え方は、反対側からは違って見える。
この一つ一つの視点それぞれを一つの意味の場として捉える。それぞれの世界を平等に成立するものとして認識している。たとえそれが、誤解や誤謬に基づいたものであったもしても。事実の真偽よりも存在が先立つものとして認識される。自然科学も、物事を捉えるための一つの視点を与えてくれるが、世界のすべてではない。いろんな映画や物語を引き合いにしながら、展開する話が面白い。巻きこむ世界はたくさんある方が、話は面白くなる。
https://bookmeter.com/books/12504651

いま世界の哲学者が考えていること

岡本裕一朗(著)
【目次】
序章 現代の哲学は何を問題にしているのか

第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか

第2章 IT革命は人類に何をもたらすのか
第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか
第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか
第5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか
第6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか
第7章 リベラル・デモクラシーは終わるのか

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『いま世界の哲学者が考えていること』

岡本裕一朗/著 朝日新聞出版 2023年発行

第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか――第3節 実在論的転回とは何か より

21世紀の時代精神とは

21世紀になって、ポスト「言語論的転回」として目立った活動をしているのが、「実在論的転回」とでも呼ぶことができる潮流です。ただ、この潮流は若手の哲学者が中心となっていることもあって、まだ翻訳も少なく、今のところ全体像が把握し難い状況です。そのため、ここでは、紹介の意味を込めて、その成立過程に触れておきたいと思います。

マウリツィオ・フェラーリスの『新実在論入門』(2015年)によると、「実在論的転回」が明確な形で現われたのが、カンタン・メイヤスーによる『有限性の後で偶然性の必然性についての試論』(2006年)からです。「この書物出版の2年後に、きわめて影響力のある運動、つまり思弁的実在論の運動が生まれた」のです。

この運動に参加した主要なメンバーは、メイヤスー自身と、3人の思想家たち(グレアム・ハーマン、イアン・ハミルトン、グランド、レイ・ブラシエ)です。彼らの議論については、2011年尾論集『思弁的転回』において、確認することができます。

こうした運動とは独立して、フェラーリス自身やドイツのマルクス・ガブリエルらによって、「新実在論」と呼ばれる思想も展開されています。
ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』(2013年)によれば、「新実在論は、いわゆるポストモダン以後の時代を示す哲学的立場を記述する」とされます。これを受けて、フェラーリスは2012年に『新実在論宣言』を書き、その立場を簡潔に示しています。

ここでフェラーリス経歴を見ておくと、彼はイタリアのポストモダン的な思想家、ジャンニ・ヴァッティモのもとで学んでいます。ヴァッティモの哲学は「弱い思考」と表現されていますが、すべては解釈であるというニーチェの思想やガダマーの解釈学から影響を受けています。フェラーリスによると、こうしたヴァッティモのもとで学んでいるときでも、「私(フェラーリス)の立場はいつでも実在論的であった」そうです。そのため、ガブリエルと一緒に「新実在論」を宣言したのも、従来の立場の変更というわけではなく、今までの思想の明確化であったようです。

しかし、「思弁的実在論」にしても、「新実在論」にしても、現在あえて「実在への転回」を意図するのはなぜでしょうか。注目したいのは、実在論的転回を唱える思想家たちが、2つの重要な傾向をもっていることです。1つは、彼らが総じて、「ポストモダン以後」を明確に打ち出していることです。20世紀末に流行したポストモダン思想に対して、その終焉を突きつけたわけです。

もう1つは、ポストモダン思想を、歴史的により広い視野から捉え直したことにあります。実在論者たちによれは、ポストモダンにおいて頂点に達する言語論的転回は、じつを言えば、すでにカントの「コペルニクス的転回」から始まっています。これを示すために、フェラーリスは「フーカント(フーコー+カント)」という言葉で茶化しています。

さらに、この伝統は、ある意味では近代哲学の創始者デカルトにまで淵源する、とされます。そのため、フェラーリスは「デカント(デカルト+カント)」という言葉を語ることもあります。「フーカント」も「デカント」も、存在は思考によって構成されるという「構築主義」を戯画的に表現しています。こうした構築主義が、20世紀末のポストモダン思想の本質をなしている、と考えたのです。

21世紀を迎える頃には、ポストモダンの流行も終息していましたが、実在論的転回はそれを思想的に葬り去ろうとしたのです。その意味で、フェラーリスが語るように、現代の実在論的潮流を、「時代精神」と呼ぶことも可能かもしれません。

しかし、注意したいのは、実在論的転回といっても、一枚岩ではなく、それぞれの論者によって内容が違っていることです。

「新実在論」とドイツ的な「精神」の復活?

メイヤスーの「思弁的実在論唯物論)」といわば呼応するように、ドイツでも「実在論的転回」が提唱されていあす。その中心的な哲学者がマルクス・ガブリエルです。
彼は1980年生まれで、まだ40代のはじめですが、現在はボン大学の教授であり、発表した著書はすでに数多く、しばしば「天才」と評されています。

2013年に出版された『なぜ世界は存在しないのか』は、哲学書としては異例のベストセラーとなり、ガブリエルの才能を一般にも知らしめました。

これは専門書というより、どちらかといえば、一般読者向けの著作ですが、彼の「新実在論」の構想が、きわめて簡潔に語られています。