じじぃの「人の生きざま_108_五木・寛之」

五木寛之 - あのひと検索 SPYSEE
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☆すてきに人生☆ 五木寛之 萬田久子 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=lxe5plFZ7Vc
団塊スタイル 「すべてを受け入れて生きる〜五木寛之〜」 2016年1月29日 NHK Eテレ
【司会】風吹ジュン国井雅比古 【ゲスト】五木寛之(作家)
作家生活50年以上、83歳となった今もますます健筆をふるう五木寛之さん。
元気の源となっているのが独自の「養生」。自分の体の声に耳を傾け、ユニークな健康法を実践している。戦後の引き揚げ体験が五木さんにどう影響したのか、その人生にも迫り、死生観をひもといてゆく。
これからの高齢社会のあり方を「嫌老社会」という言葉で論じ、老いや死について、メッセージを発信。
●嫌老社会について
嫌老感は、まず自分に向けて芽生えるのだ。
高齢者の中にも格差がはなはだ多い。1%から5%の富裕層がいて、あとは年金でもやっていけない人だ。下流老人という言葉が出ている。
格差を我々世代の中で解決できないものか。なるべく他の世代に負担をかけずに。
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=03335
ゆうどきネットワーク 「人生ドラマチック」 2014年10月29日 NHK
【司会】山本哲也、合原明子 【ゲスト】五木寛之
▽82歳で書き上げた“親鸞”の生涯とは? 戦争の記憶を越えて〜作家・五木寛之さん〜
2014年9月で82歳になった今も、執筆はもちろん、講演やテレビ、ラジオへの出演と精力的に仕事を続ける五木寛之さん。五木さんの現代人の生き方、そして去り方を問う言葉が、人々の共感を呼んでいます。
五木さんの根底にはつらい戦争の記憶があります。12歳の時、朝鮮半島北部で終戦を迎えた五木さん。誰もが必死で生き残り、帰国をめざす中に、心が打ちのめされるような壮絶な出来事に何度も遭遇しました。作家になったあと、当時の記憶がフラッシュバックのようによみがえったといいます。自殺を考えたこともあり、40代になって2度も執筆を休んでいます。
五木さん、「陽の当たる場所で生きてきた人はすべて悪人なのです。なぜなら、その人にスポットライトが当たるためにはたくさんの周りのものを犠牲にして生きてきたのだから」
http://www.nhk.or.jp/you-doki/archive/20141029.html#02
おはよう日本 「時代の共感呼ぶ 『下山の思想』とは」 2012年2月8日 NHK
五木寛之さんの著書『下山の思想』がベストセラーになっています。戦後の日本社会を登山にたとえ、『時代は下山のとき。ちゃんと下山する覚悟のなかから、新しい展望が開ける』とする五木さん。いまなぜ人の心をつかむのか探ります。
http://www.nhk.or.jp/ohayou/closeup/20120208.html
NHKオンデマンド 五木寛之 21世紀・仏教への旅 2007年放送 NHK
心の病や自殺の急増、教育現場の荒廃など、混迷の時代となった21世紀。はたして、人間を救う思想はあるのか。作家・五木寛之が世界の仏教のさまざまな姿を辿ります。そこには人生を生き抜く数々の知恵が満ちていました。「人間は大河の一滴」と見据え、「他力」の思想に行き着いた五木寛之が、仏教の可能性を考えながら、1年にわたって世界6ヵ国をめぐり、仏教の現場、遺跡や寺院を訪ねました。
http://www.nhk-ondemand.jp/program/P200800007000000/#/0/0/
五木寛之 ウィキペディアWikipedia)より
五木寛之(いつきひろゆき、1932年9月30日 - )は、日本の小説家、エッセイスト、評論家、作詞家、作曲家。旧姓は松延。
【来歴】
1932年、教員の松延信蔵とカシエの長男として福岡県八女市に生まれる。生後まもなく朝鮮半島に渡る。両親は若くして亡くなっている。1947年、第二次世界大戦終戦を受け、平壌から福岡県に引き揚げる。1948年、(旧制)福岡県立八女中学校に入学。1952年に福岡県立福島高等学校を卒業し、早稲田大学第一文学部露文学科に入学。1957年に学費未納で早稲田大学を抹籍された。(後年、作家として成功後に未納学費を納め、抹籍から中途退学扱いとなる)。
早稲田大学抹籍以降、文筆家(小説家・放送作家)、作詞家など、様々な職業で幅広く活動する。1965年には、石川県選出の衆議院議員(のち金沢市長)岡良一の娘・玲子と結婚、夫人の親類の五木家に跡継ぎがなかったからか五木姓を名乗る。日本での仕事を片付けて、かねてから憧れの地であったソビエト連邦や北欧を旅する。帰国後は夫人の郷里・金沢に身を寄せる。
1966年、『さらばモスクワ愚連隊』により、第6回小説現代新人賞を受賞した。さらに、1967年には、『蒼ざめた馬を見よ』により、第56回直木賞を受賞した。1968年に刊行された『風に吹かれて』は、2001年までの単行本・文庫本の合計で460万部に達した。1969年には雑誌『週刊現代』で『青春の門』掲載を開始した。しかし、1972年から一度目の休筆に入り、以来、1974年まで続くことになる。
1985年、執筆活動を再開した。吉川英治文学賞泉鏡花文学賞等の選考委員としても活躍しながら今日に至る。
【人物】
五木寛之は、「のぶひろし」のペンネームで、清酒「日本盛」のCMソングを作詞した。「日石灯油=現・ENEOS灯油」(日本石油=現・新日本石油)のCMソングも五木の作詞。立原岬のペンネームで「旅の終りに」(冠二郎)等も作詞した。また、五木寛之の名では「青年は荒野をめざす」(ザ・フォーク・クルセダーズ)、「金沢望郷歌」(松原健之)、「愛の水中花」(松坂慶子)などの作詞を手がけている。

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週刊朝日』 2010年1.8号に新春ビッグ対談 五木寛之vs.姜尚中「新・鬱の時代」より
  僕は70年代の半ばぐらいの状況に全世界的に戻るんじゃないかと思っています。あの時代はインフレと不景気が同時に進行するスタグフレーションに陥りました。若者は反乱を起こして、イタリアのモロ元首相暗殺が起こり、ドイツ赤軍が生まれた。日本では、秋葉原の無差別殺傷事件のようなかたちでぼつぼつと犯罪が起きるんじゃないか。
五木 そういう不安の時代に、人間は「個人」を再発見することになる。平安期から鎌倉時代に飢饉が続いて何万人も死者が出たとき、人々は身分に関係なく、自分の心の闇を見つめるようになった。当時、人々を導いた親鸞法然たちは「個人の発見」を説いたのですから。 改めて今を考えると、人々は、自分がどう生きて、どう死んでいくかを改めて発見せざるをえない。そしてそこで、個人の間から新しいネイションや組織の芽が生まれてくるのではないかなという気がしてならないんですが。
  僕は目を背けていた面をみるようになると思っています。
五木 そうですね。2010年の明るい話題を1つ言えば、いろんな関心の中心点が変わってくるでしょう。これまで医学の辺縁にあった精神科、免疫学、公衆衛生などが中心におかれて、新しい光を浴びるはずです。心の病にしてもメディアでもアートの世界でも、すべてにおいて権力移行の季節が来たという意味では、おもしろい時代だと思いますね。
  経済の成長だけでいうと良いことがなさそうに見えますけど、そこだけに光を見いだす思考自体が、変わらなきゃいけないということなんですね。

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『仏の発見』 五木寛之梅原猛/著 平凡社 2011年発行
山川草木に宿る仏の不思議 (一部抜粋しています)
五木 日本の宗教家は、いっときみんな比叡山に学んでいます。親鸞みたいに長く比叡山にいた人もいますが、法然道元栄西日蓮、すべて比叡山にいったん入学し、そこで学んだものを根底において、独自の仏教思想をあみだしていきます。それはやっぱり本覚思想なんですね。
梅原 そう、本覚思想です。眉毛の長い良源という僧は、人相も異常な人間でね。叡山へ行くと、最澄より良源のほうが崇拝されているんです。はじめは妙なことだと思いましたけど、良源は、天台本覚思想の大成者だと考えられていますから、やっぱりごく自然なことだと思いました。 叡山の思想は天台宗じゃなくて天台密教で、それを大成したのが良源だとすれば、その思想は、古代末期から中世に完成したものですね。あなたがおっしゃったように、法然親鸞道元日蓮も、それをぜんぶ学んできたんですね。
五木 ぜんぶ学んできたと思いますね。その影響だけは非常に大きなものがあると思うし、天台本覚思想は根底に、神道的な基盤を、仏教とちゃんと融合させている部分があるんですよ。
梅原 そうそう。
五木 ですから、いい意味で、自然界のあらゆる物には、固有の霊魂や精霊が宿るというアニミズムと、さまざまな思想や宗教を融合するシンクレティズムは、日本の財産だと、私は言っているんですけど。
梅原 そうです。縄文時代弥生時代で、いちばん崇拝されたのが翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)です。翡翠というのは、白い色の中に、みどりが、ちょっちょっと、まだらに入っている。雪の中からみどりがあらわれていて、発芽するという、やっぱり植物の霊を表す。勾玉というのも、ああいう形をしているけど、初期の勾玉は、だいたい動物の形をしている。動物の霊の呪力を表していると思う。
五木 ほう。
梅原 だからイノシシの形をしていたり、魚の形をしている。そういうのが初期の勾玉だとすると、翡翠は植物の霊であり、勾玉は動物の霊です。そこにやっぱり、いわゆる「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」思想が先駆的に含まれる。
五木 そうですね。
梅原 日本の国は、縄文時代の文化が残っていて、それを仏教が変容させて、「山川草木悉皆成仏」という思想を生み出したと思います。そういう思想は、インド仏教や中国仏教にはないんです。インド仏教だと、衆生の範囲は動物までです。植物は衆生と言えない。
五木 なるほど。草木までいかない。
梅原 ええ。中国において道教の影響で、天台仏教の中にそれが入ってくるんだけど、そういう本覚思想は中国仏教の主流にはならない。日本に来てはじめて、そういう思想が仏教の主流になった。それはやっぱり、植物や動物や自然現象にも霊があるという、縄文時代以来の伝統思想が、仏教を変容させたのだと思います。
五木 いや、ほんとにそうですね。京都議定書や、環境問題がうまくいかないというのは、根底的に、人間が地上で一番大事なものだという、万物の霊長意識があるからなんですしょう。その大事な人間の生活を豊かにするためには、木を伐(き)ってもいいし、森をつぶしてもかまわないという、この傲慢な考え方を反省しなければ、前に進まないと思いますね。 でも欧米では、人間がこの地上でもっとも大事なものだという、ルネッサンス以来の思想が深く沁(し)みわたっていて、一朝一夕にはぬぐい去るのは難しいのではないでしょうか。
梅原 まったくおっしゃる通りだと思います。
五木 その点アジアでは、昔から人間以外の生物にも、自分たちと同じような「いのち」を感じていました。ですからブッダと同時代に生まれたジャイナ教ではアヒンサー=不殺戒(ふさっかい)をもっとも重要な哲戒としていますね。 興味深い話が伝わっています。インドに不況に行ったイエスズ会士が、空気中の小さな生き物も殺さないようにと、口に白い布きれをあてているジャイナ教徒に「そんなことしたって、お前さんの飲んでいる水はこんなに微生物が入っているんだよ」と顕微鏡で見せたところ、そのジャイナ教徒はアヒンサーを破るより、水を飲まないで死ぬ方を選んだという。
梅原 ほう、徹底していますね。だからね。その影響を受けてか、ヴェジタリアンになるんです。釈迦は。
五木 ああ、ヴェジタリアン。
梅原 植物まで生き物であり、生き物を食べたらいかんとなったら、食べるものがなくなる(笑)。
五木 そうなんですが(笑)、でも私は、前からそう思っているんですよ。べつに稲は人間に食べられようと思って実るわけじゃないんです。それなりに生きていこうとするところがある。 日本の仏教も、動物まで行ってるんですが、本覚思想は、まだ底辺まで仏教思想としては成熟していないような気がします。むしろ民衆の、祭りとか慣習の中で、木こりが木を伐るとか森に入るときに注連縄(しめなわ)を張ってみたり、熊祭りとか、ああいう行事の中に、いまでもあらわれているように思います。
梅原 天台本覚思想を、もっとも明確に語るのが能なんです。能のシテは人間ばかりじゃなくて動物、狐もあるし、ぬえもあるし、桜もあるし、そういうのが全部、霊をもって苦しむが、最後にはすべて救われるんですよ。
五木 なるほど。
梅原 私は天台本覚思想を勉強しようと、いろいろ文献を読んでみたが、よくわからなかった。しかし能を研究するようになったら、よくわかるようになった。 世阿弥(ぜあみ)に「白楽天(はくらくてん)」という能がある。唐の白楽天が日本の様子を探ろうとして、大きな船で博多へやってくる。それを知った住吉明神(すみよしみょうじん)が漁師に化けて、博多で待ち構えるんです。白楽天は漁師を見て、問答になるんです。はじめは漁師をバカにしているんですけどね。白楽天が詩をうたうと、すぐにそれを和歌にするんです。いったい詩とは、和歌とは何かということになる。白楽天が「詩は人間が作るものだ」と言うと、住吉明神は「和歌は人間ばかりか鶯(うぐいす)や蛙(かえる)も和歌を作るんだ」と言う。
五木 ほう。「生きとし生きるもの、いずれか歌を詠まざりける・・・」。古今和歌集仮名序ですね。
梅原 そう、中世の古今集解釈でね。古今集の仮名序に、いま五木さんがおっしゃった言葉があるんです。それを文字通りに解釈して、死んだ人の霊が鶯になって和歌を読んだとか、蛙になって足で文字を書いたら立派な和歌になっていたとか、そういう中世の古今集の解釈がある。こういう解釈に基づいているんですけどね。その中で、雨の音も、風も、和歌だということになるんですよ。
五木 花鳥風詠(かちょうふうえい)というのも、あれは1つのアニミズムでしょう。
梅原 アニミズムです。それで中国の詩より、和歌のほうが上じゃということになってね、議論に負けた白楽天が、唐に逃げて帰るという面白い能です。これは日本最初の比較文化論だと思います。
五木 本覚思想というのは、それをきちんと体系化して思想化し、理論づけていったわけで、もともと、たとえば中世の人たちは、風の音にも命があり、若葉に息吹きを感じるという。植物とのあいだでも相照応(あいしょうおう)して、コレスポンダンスしている感じがあります。
梅原 そうそう。
五木 ですから日本は、資源がないと言われるけれども、21世紀は、これまで近代の中で日本人のアキレス腱(けん)と思われていたようなアニミズムシンクレティズムというものを、1つの思想として体系化し、それを大きな資源として、世界に中で、なにかの貢献ができるような気がするんですね。経済成長はもう限界があるんだから。

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