じじぃの「科学・芸術_586_五木寛之『燃える秋』」

燃える秋 / ハイファイセット 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a-y9K3f5AOA

燃える秋 著者 五木寛之 2008年発行 KADOKAWA
●京都とイランを舞台に、男と女の揺れ動く心を描く、壮大な恋愛小説!
祇園祭宵山の雑踏で、岸田と出逢った亜希。初老の画廊主の恋人がいながら、亜希は岸田に惹かれてゆく。暗い性の深淵か、真摯で穏やかな結婚生活か。どちらからも自由でいることを選び、亜希はイランへと旅だった。
https://www.kadokawa.co.jp/product/200807000320/
『読書という荒野』 見城徹/著 幻冬舎 2018年発行
憧れ続けた五木寛之との仕事 より
僕はどうしても五木さんと仕事がしたかった。しかし五木さんはすでに大物作家。これまで角川書店と新作で仕事をしたことは一度もなかった。
野性時代」に配属された僕が自分に課したルールは、とにかく、人ができないことをやろうということだった。上司や同僚ができることをやっても、僕がいる意味はない。他の人ができないこととはつまり、角川書店とは仕事をしない作家たちの原稿を取ってくることだ。いつも角川書店と仕事をしている人の原稿をもらいに行っても、何の意味もないと思っていた。
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僕は43年の文藝編集者生活を通じて、会社の看板や肩書きで商売をしないということを徹底して心がけてきた。すべて見城徹という個人として仕事をしてきたつもりだ。だからのちに幻冬舎をつくったときも、まったく無名の幻冬舎錚々たる作家が書いてくれたのだ。それは見城徹という個人と信頼関係があるからにほかならない。
当時もそんなふうに思って、五木さんに手紙で感想を送ることを始めた。
しかしいざやってみると実に大変だった。通常の業務も忙しいのに、売れっ子の五木さんの発表するものをすべて読まなければいけない。5日以内に届くように手紙を書くには、速達で出すとしても、2日か3日で作品を読み、1日で感想を書かなければならない。時には6日目、7日目になってしまったこともある。しかし基本的に5日以内を守り続けた。
会うことも叶わない五木さんにもし会えるときが来て、「君、あれだけ手紙を書くのは大変だっただろう」と言ってもらえたら、「5日以内に届くように書いていたんです。五木寛之さんですから」と言いたいがために。
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25通目の手紙を書いたあと、ついに五木さんに会えることになった。場所はホテルオークラのロビー。あの憧れ続けた五木寛之の顔が目の前にある。
「君、あれだけの手紙大変だったね」
「いいえ。ただ僕は、なんとしても五木先生と仕事がしたいんです」
「うん、やろう」
返事は短かった。もうそれまでの手紙で、何百という言葉を費やしてきて、それだけのものが胸に届いているから、言葉を弄する必要がなかったのだ。
「やろう。僕は角川と初めてちゃんと仕事をする。新作を書くよ」と言ってもらえて、「燃える秋」という小説の連載が始まった。1977年のことだった。
この作品は単行本だけで約50万部売れて、東宝で映画化された。主演は北大路欣也真野響子。イランのペルシャ絨毯に魅せられて、絨毯を織ることに人生を賭けようと、恋人と別れてイランに旅立つ女を、恋人が追っていくというラブストーリーだ。
五木さんと2人でイラニアン航空に乗ってイランまで取材に行くこともできた。イランの絨毯工房の中は真っ暗で、作業をするところにだけ強い光が差し込んでいる。光と影が強いコントラストを描いている仲に、年齢のまちまちな10人ぐらいの女性が並んで座り、丹念に絨毯を織っていく。
1枚の絨毯ができるのに、30年から50年かかることもあるという。つまりペルシャ絨毯は1人の女性の一生を吸い取って、美しく織り上がるのだ。これは感動的な小説になる。
ペルシャ絨毯に魅せられてイランに旅立つ女。それを追いかけていく男。しかし情緒に流されず、女は自分の生き方を貫く。そんな頭でっかちの女がいてもいいじゃないか。義と信念に生きる女がいてもいいじゃないかという小説である。それが五木さんとぼくの最初の仕事になった。
一緒にイランを旅してからは、どんどん親しくなっていった。それ以降も五木さんとの関係は続き、角川時代にいちばんヒットしたのは『雨の日には車をみがいて』という作品だ。僕がのちに「月刊カドカワ」という雑誌の編集長になったとき、「じゃあ、お祝いに何か連載を書くよ」と言って五木さんが書いてくれたものだ。