じじぃの「名機の誉れ高い・一眼レフ時代の幕開け・ニコンF!国産はじめて物語」

Nikon F 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=SRMeJZ3M8Lc
NASA and Nikon D3s 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=_26lMGL57rA
Samsung Galaxy Camera 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=JDq6L08VBpU
ニコンF (Nikon F) (1959年) 画像
http://www.geocities.jp/conception_02/cameras/nikonF_nikkor24.jpg
未来世紀ジパング 〜沸騰現場の経済学〜 (追加) 2012年10月22日 テレビ東京
【司会】 SHELLY、大浜平太郎 【ゲスト】にしゃんた夏野剛宮崎美子 【コメンテーター】財部誠一(経済ジャーナリスト)
▽世界に羽ばたく!ニッポンの技術⑤"最後の砦!デジカメ"
中国、韓国などの猛烈な追い上げに、日本の製造業は窮地に立たされているが、その中で、
世界市場で勝ち続ける、最後の砦とも言える産業がある。デジタルカメラだ。廉価のコンパクトカメラからヘビーユーザー用のデジタル一眼レフカメラ、更にはその中間層を狙ったミラーレスなどカメラのあらゆる分野で、日本企業が世界の上位を独占しているのだ。カメラは高度な技術の粋とも言われる。レンズなど光学技術、デジタル技術、センサー、精密な組み立てなど、外国企業がそう簡単には追いつけないレベルに達している。最近ではインドや中国などでもカメラユーザーが増え続けており、市場としても広がりを見せている。なぜカメラ分野で日本が世界一であり続けているのか?韓国勢、特にサムスンの追い上げは?デジタルの雄、ソニーと、一眼レフの雄・ニコンに密着し、沸騰する世界カメラ戦争と、世界一を維持し続ける戦略を検証する。
●プロのスマホ写真家が登場…
日常の写真と言えば、スマホ、という人が増えている。手軽に撮れて、すぐにフェイスブックやブログにアップして、多くの人と楽しむのは日常の風景になった。番組では、プロのスマホカメラマンなる人物を取材した。「広角のレンズなのでモデルさんに近づいて、コミュニケーションを取りながら撮影できる」のが、利点なのだという。スマホの台頭に、デジカメはどう対抗していくのか?
●世界を圧倒する日本製デジタルカメラサムスンが参入
9月、ドイツ・ケルンで開催された世界最大のカメラ展示会「フォトキナ2012」。
45ヵ国1200社以上が出展。ライカカールツァイスといったドイツの老舗を押さえ、ここでの主役は日本メーカーだ。最大の見所はここで発表される新製品の数々。プロ用の一眼レフに限らずコンパクトデジカメ、ミラーレスの分野でも世界シェア上位を独占する日本勢の腕の見せ所だ。また、キヤノンは新しく発売したミラーレス機を、ニコンSNSと連動する新機種を発表。ソニーは、デジタル一眼レフの上位機種だけでなく、コンパトカメラにも世界最高の解像力を持つ画像処理能力を持った機種を発表。ドイツ人の客からは「ウォークマンで育ったから、このハンディさがいいね」と高評価を受けていた。番組では、そのソニーこだわりの新型カメラ開発を取材した。
一方で日本の背後に迫ってくるメーカーも…韓国のサムスンだ。サムスンデジタルカメラスマホの機能を併せ持つ新機種をフォトキナ2012に持ち込んでいた。
フォトキナ2012でのサムスンの記者会見に、多くの人が詰めかけた。サムスンスマートフォンの機能が搭載された「ギャラクシーカメラ」を発表。Wi-Fi・携帯電話回線の通信機能も利用可能で、スマートフォンからの遠隔操作も可能。スマートフォンではありえない21倍光学ズームを内臓している。
サムスンの顧問を務めていた石田賢さんは、「サムスンデジタルカメラやノートPCなどで、5年以内にトップを目指す視点で動いている」と解説。更にサムスンはギャラクシーカメラを通過点と考えていると話した。
●巨大市場インドでカメラブーム…シェア1位ニコンの戦略
インドにカメラブームが到来していた。購買力を増した中間層の台頭により、コンパクトカメラはもとより、一眼レフの人気も沸騰中。そんな新市場の開拓に挑戦するのが、ニコン・インディアの高階弘史社長だ。ニコンがインドに進出したのは2007年。この5年間で2000店舗の販売網を築いた。実はインドには日本のように家電量販店は少なく、街の電気店が小売りの最前線である。
9月中旬、高階社長は街の電気店でオープニングセレモニーを開催。新しくニコンの販売網のひとつとなった店だ。ニコンは大都市を中心にカメラを扱う店を一軒一軒訪ねながら、地道に販路を切り開いていた。当初は平行輸入による非正規品の販売が横行していたが、アフターサービスやメーカー保証の制度を構築しながら、正規品の流通を増やしていった。
さらにインドでは商習慣からカメラはショーケースの中で展示され、客は手で触る事が出来なかった。販売台数を増やしていくには客がカメラを実際に手に取り、接触する機会を増やした方が得策であるのは自明の理。難色を示す店主たちを説得しながらの営業活動を続けているのだ。
インドでの取り組みから、日本企業のグローバル市場での戦い方が見えてきた。
http://www.tv-tokyo.co.jp/zipangu/backnumber/20121022/
NHK NEWS WEB 世界をリード カメラ産業に期待 2012年2月9日
民間の調査会社IDCによりますと、デジタルカメラの世界市場における日本メーカーのシェアは実におよそ75%に上ります(平成22年)。
トップのキヤノンが19%、ソニーが18%、ニコンが12%と、トップ3を日本企業が占め、4位に韓国のサムスン電子が入りますが、そのあとはパナソニック富士フイルムなど、日本企業が上位を独占しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/0209.html
コダック:破産法申請、経営破綻 初のデジカメ開発、時代に乗り遅れ 2012年1月20日 毎日jp
米写真用品大手のイーストマン・コダックは19日、連邦破産法11条の適用をニューヨークの裁判所に申請したと発表した。昨年9月末時点で、負債総額は67億5000万ドル(約5200億円)。130年以上の歴史を持つコダックは写真フィルムの製造販売で、世界で圧倒的なシェアを持つ名門企業だったが、デジタルカメラの急速な普及など市場の変化に対応できず、経営危機に陥っていた。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20120120ddm002020078000c.html
一眼レフカメラ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
一眼レフカメラ(英:Single-lens reflex camera 、SLR)とはスチルカメラの構造による分類のひとつで、撮影に使用するレンズと撮像面(フィルムもしくは固体撮像素子)の間に鏡を置き、実際に撮影されるイメージを光学ファインダーで確認することができるものをいう。 撮影用の光学系とファインダー用の光学系が一系統であるため(一眼)、ファインダーから見える像が撮影される写真の像と一致する。
ドイツ語のシュピーゲル・レフレックス(鏡の反射)という言葉通り、反射鏡を使ってファインダースクリーンに結像させる機構が特徴であり、レフの語源もここにある。
フィルムカメラデジタルカメラの両方に存在し、20世紀中盤以降から現在に至るまで、レンズ交換可能なカメラの主流となっている方式である。
なお、一眼レフと異なる構造を持つカメラとしては、二眼レフカメラレンジファインダー・カメラやミラーレス一眼カメラなどが挙げられる。
【戦後日本における一眼レフカメラの発展と隆盛】
黎明期の一眼レフカメラは「撮影の際にブラックアウトする」「絞り込むとファインダーが暗い」ということが欠点として言われていたが、前者に関しては旭光学工業(後のペンタックス)が1954年にクイックリターンミラーを装備したアサヒフレックスIIbを、後者に関してはズノー光学工業が1958年に自動絞り機構を装備したズノーペンタフレックスを発売して解決した。1957年には、旭光学工業から世界初のクイックリターンミラーとペンタプリズムを両方搭載したアサヒペンタックスが開発され、特に一眼レフカメラに大きな欠点を感じずに使えるようになった。ズノーペンタフレックスは歴史に名を残したものの故障が多く返品が相次いだと言われるが、1959年ニコンから発売されたニコンFは非常に頑強で、報道の世界からスピードグラフィックとローライフレックスを駆逐する等、業務用としても非常に広く使われた。以後クイックリターンミラー・自動絞りの双方を装備するのが当然となっていった。

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『国産はじめて物語〈Part2〉―戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話1950〜70年代編』 レトロ商品研究所/編集 2004年発行
一眼レフ時代の幕開け プロ・アマとも夢中になったロングセラー (一部抜粋しています)
ニコンF」――この単語を口にすると、カメラマンの多くは目の色を変えるに違いない。あるカメラマンは性能の良さと堅牢性を誉めたたえ、あるコレクターは独特のボディラインについて饒舌に語り、あるマニアは「いまだに使っている」ことを誇りにする。どんなにカメラでデジタル化が進もうとも、プロ・アマ問わず圧倒的な支持を受け、「最高峰のカメラ」と言わしめている「名機」なのだ。東京オリンピックもエベレスト遠征も、そしてベトナム戦争も記録してきたニコンFシリーズ。一眼レフ時代を切り拓いたといわれるこのカメラは、当時の一眼レフの欠点を徹底的に検討して作られただけあり、発売後まもなく世界中のカメラマンの信用を勝ち得ていった。
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当時日本光学工業(現・ニコン)の主力製品は、ニコン「S」シリーズ。距離計が内臓されている「レンジファインダー」方式がとられ、他舎製品より頑丈なことから高い評価を受けていた。しかしながら、一眼レフカメラにおいては他社より遅れをとっていたため、昭和32年(1957)年、「S」シリーズの新モデル「ニコンSP」の開発途中、同社としては初めての一眼レフカメラニコンF」の開発に着手したのである。そのコンセプトは、「従来の一眼レフの欠点をすべて解消できるカメラ」。当時、一眼レフには「Reflex」の「R」を名将に付けた製品が多かったが、発音しやすい「f」を選び、「ニコンF」と名づけた。
「F」の設計ポイントは、①最高の品質、②多機能、③自動化。システムカメラとして将来性を見据えた設計がなされ、信頼性の高いカメラへの実現には努力を惜しまなかった。
まず、一眼レフカメラの難点とされてきたミラー(鏡)作動時のブレ防止については、同社が研究を重ねた「震動記録装置」を使用し、ブレの量を最小限にくいとめることに成功。シャッタースピードだけではなく、世界で初めて絞りと露出計が連関する完全連動方式も実地した。電動モータードライブ(毎秒3.6コマまでの連続撮影可能)を実用化したのも、同製品が世界最初であった。運動部分が多く聞こうが複雑なため、いかなる条件下のしようにも充分酷使に耐えうるよう、耐久、耐熱、耐寒、震動テストなどの各種テストを繰り返し実地。またシャッターの耐久テストはモータードライブの助けにより、10万回の繰返し作動を短時間で行い、精度と機構に異常のないことを必須の条件とした。SPの完成度と評価の高さを受けて、SPと同じ部品が40パーセント使用された。
こうして昭和34(1959)年、一眼レフ本来の特徴を限界まで追及した「F」がレンズ込み価格6万7000円で誕生。当時の大卒初任給が1万4〜5000円の時代であったが、市場に出るや大きな話題を呼び、「35ミリ一眼レフカメラに要望したことがらは、ほとんどすべて『ニコンF』において実現された」(昭和34年9月号「アサヒカメラ」誌)などの高い評価が次々と寄せられた。国内外の報道カメラマンからは「最も堅牢性にすぐれ、最高級のカメラ」として圧倒的な支持を受け、昭和38(1963)年には、アメリカの経済紙「ビジネス・ウィーク」誌が「ついにニコンは一眼レフ35ミリ高級カメラの分野で主導権をとった」と記したほどである。
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その後、Fの堅牢性と多機能性を重視し、さらに改良を加えたニューモデル「F2」、そして電子化一眼の「F3」も登場。平成8(1996)年に発売された「F」の最新鋭機種、「ニコンF5」は、NASA(米航空宇宙局)に正式に採用され、平成11(1999)年12月に打ち上げられたスペースシャトルディスカバリー」号に、搭載されたことも記憶に新しい。
フォーカス、測光、露出制御などにおいて次々に最新技術が投入され、進化をとげる一眼レフカメラであるが、今から44年も前に製造された「F」をカメラファンが一目置くのは、クラシックの代名詞でありながら、現在においても普通に撮影が可能な「脅威のカメラ」であるからだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『国産はじめて物語〈Part2〉―戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話1950〜70年代編』という本を見ていたら、「一眼レフ時代の幕開け プロ・アマとも夢中になったロングセラー」というのがあった。
「昭和34(1959)年、一眼レフ本来の特徴を限界まで追及した『F』がレンズ込み価格6万7000円で誕生」
昭和34年か。ネットで「昭和34年」をキーにして調べてみた。今の天皇(当時・皇太子明仁親王)と正田美智子さんが結婚され、ミッチー・ブームが起きた。「週刊少年マガジン」、「週刊少年サンデー」の同時創刊された。ペギー葉山が「南国土佐を後にして」を、水原弘が「黒い花びら」を、スリー・キャッツが「黄色いさくらんぼ」を歌っていた。相撲では先代の若乃花の全盛時代だ。昭和天皇の天覧試合に長嶋茂雄阪神村山実からサヨナラ本塁打を打った年だった。次の年、 池田内閣で「所得倍増計画」が発表された。まさに、「Always・三丁目の夕日」の世界だ。
じじぃは中学生の時だ。切手ブームだったので、切手を集めていたことを覚えている。
「『ニコンF』――この単語を口にすると、カメラマンの多くは目の色を変えるに違いない」
このような人たちが、日本の科学技術を支えてきたのだ。
「民間の調査会社IDCによりますと、デジタルカメラの世界市場における日本メーカーのシェアは実におよそ75%に上ります」
世界市場でのデジタルカメラはほとんど日本製だ。
コダックは世界で初めてロールフィルムおよびカラーフィルムを発売した会社だ。また、世界で初めてデジタルカメラを開発した。
1月20日の新聞にこんな記事が載っていた。
「米コダック:破産法申請、経営破綻 初のデジカメ開発、時代に乗り遅れ」
カメラ業界にもサムスンが参入してきた。