生存率の低い「膵臓がん」、早く気づくためのサインとは?
2023/1/27 日経Gooday
ほかのがんに比べて生存率が極めて低い膵臓がんは、がんが小さく症状もないうちに転移することもあり、早期発見が難しい。
だが、小さながんを探し出すのは困難でも、がんに由来する「サイン」に気づいて早期発見・早期治療につながるケースもあるという。膵臓がんの特性や早期発見のポイント、治療の現状について、膵臓がんの早期診断に取り組んでいる近畿大学病院消化器内科特命准教授の竹中完氏に聞いた。
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100023/011700110/
1章 博士が愛した寄生虫 より
ノーマークが怖い
科学記者にとってノーベル賞は、年に一度のお祭りのようなものだ。研究の現場で黙々と働く人々を大いにPRできる好機でもある。
問題は、時差の関係で発表が日本時間の夕方になること。翌日の朝刊に、難解な科学の話題を分かりやすく載せるのは至難の業なのだ。
直木賞やアカデミー賞なら、誰が最終選考に残っているかあらかじめ分かる。ところがノーベル賞は選考過程を外部に漏らさない「厳秘」がお家芸ときている。
何十人分もの予定稿を作って構えるが、ふたを開けてみたらノーマーク、いうことが起こりうる。
2002年の化学賞を受けた田中耕一さんがそのケースだった。
ノーベル賞のウェブサイトに突然現れた「Koichi Tanaka」の名前。「誰?」「予定稿ないぞ、どこの誰か探せ!」
ほどなくタナカ氏の所属が京都の島津製作所と分かった。とりあえず、「104」で教えてもらった広報課に電話を入れた。
何回か呼び出し音が鳴って出た男性に「御社のタナカコウイチさんがノーベル賞に選ばれました」と告げると、相手は絶句。「……え? ウチのタナカ? 誰です?」。珍問答の最中に、広報課のすべての電話が鳴り出した。
後で聞いたのだが、この日は島津製作所の「ノー残業デー」だった。職場にいたのは部長だけで、それも帰る間際だったという。
当の田中さんはそのころ、自分の机に直接かかってきた、受賞を告げる国際電話に右往左往。一瞬、誰かが仕掛けた「ドッキリ」ではないかと疑ったそうである。
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一方、さほど騒がれなかったけれど、記者会見で重要な決意表明があった。
「技術を発展させ、医療に役立てたい。会社帰りに薬局に立ち寄って、自分の血液1滴から数百種類の病気の有無をたちどころに診断してもらえる、これが目標です」
当時は「まさかねえ」と思いながら聞いていたが、田中さんは約束通り、少量の血液から認知症やがんを早期診断できる技術を実現させた。
彼らにとって受賞は「通過点」なのだろう。ぶれずに打ち込む姿勢こそノーベル賞に値するというべきか。20年という長い目で眺めれば、そんな気付きもある。
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じじぃの日記。
私は後期高齢者だ。いつがんになってもおかしくない年齢だ。
作家の伊集院静さんが去年11月24日に亡くなった。73歳。
10月27日に「肝内胆管がん」の治療のため、執筆活動を休止すると発表していた。
「膵臓がん」の場合は、5年生存率は8.5%だ。
田中耕一さん。
「技術を発展させ、医療に役立てたい。会社帰りに薬局に立ち寄って、自分の血液1滴から数百種類の病気の有無をたちどころに診断してもらえる、これが目標です」
例えば胃がんなら胃がんに特徴的な組成パターンが、乳がんには乳がんに特徴的なパターンがあるという具合です。研究グループはこうした検討を13種類のがんについて検討を重ね、それぞれのがんに特有なパターンがあることを見出しました。
(https://kenko.sawai.co.jp/mirai/20200203.html)
研究グループは実用化に向けた研究を重ねて、検査装置「血中アミロイドペプチド測定システム Amyloid MS CL」(アミロイドMS CL)を完成させ、昨年12月に医療機器の承認を受け、今年6月に販売開始した。
この装置には、2002年にノーベル化学賞を受賞した同社の田中耕一氏が開発した技術が応用されている。
(https://tokuteikenshin-hokensidou.jp/news/2021/010220.php)
2回目の受賞は?